9.王都からの使者
「……使者を送るという書簡は私が持っているのだが、さすがと言うべきだろうか」
光を背にしているその方は、お父様をはじめ、私達が揃って出迎えにいたのが予想外だったのだろう。苦笑いを隠そうとしていない。
その様子を見て、お父様はわずかに笑みを深くした。
「はて、どうですかな。しかし、あなた様が来るとは思っておりませんでした」
「私の事も知っているのか」
「もちろんでございます。守るべき国の王に連なる方のお顔を知らぬなど、どうして言えましょうか」
お父様の言葉を聞いて、苦笑いを浮かべていた使者の方から、表情が消えた。おそらく、持っているという書簡には書いてあると思うのだけれど。それでも、屋敷に戻ってから知るのか、この場でもう分かっているのかで取るべき行動が変わってくる。
お父様もそれを理解しているからこそ、顔を知らない私でもその正体に気付けるような言葉をわざわざ口にしてくれたのだろう。
お母様も、お兄様たちも小さく頷いているから、きっとこの方が誰であるか、思い至れる方がいたはずだ。
「ドルチェ。詳しいことは後で話すから、合わせなさい」
「分かりましたわ」
こっそりと声をかけてくれたロラントお兄様に、小さく頷くだけで答える。跪く代わりに腰を深く折ったお父様に倣い、私も同じように礼を取った。
人通りは少ないとはいえ、民や兵士がいないわけではない。私達の行動を見て、民や兵士たちは誰か、身分の高い方がやって来たのだと分かるだろう。直前とはいえ説明も済んでいるのだから、これで話はあっという間に広がるはず。
「ここまでのご移動、大変お疲れでしょう。屋敷に部屋をご用意してございますので、お寛ぎくださいませ」
「ロラント、馬を交代して差し上げて」
すっと姿勢を正した後、動いたのはお母様だ。使者の方が乗ってきた馬の手綱を預かって、我が家から連れてきた馬を前に出す。
ここは領の端っこ。屋敷があるのは中心にほど近いところだけれど、馬を十分も走らせれば着く距離にある。わざわざ馬を変えずとも走れる距離ではあるけれど、王都からこの国境近くまでずっと同じ馬で来たのなら、疲労は溜まっているはずだ。
「はい、母上。供の方の馬はどうなされますか?」
「……供はない。ここに来たのは私一人だけだ」
「さようでございますか。信頼の置ける方を遣わされたのですな」
「どうだかな……」
国境の視察だからこそ、人数は揃えていると思ったのだけれど、王都での考えは違うのだろうか。お父様の言葉を聞いて、自嘲のような表情を浮かべていた使者の方が、目を伏せる。ぽつりと誰に聞かせるつもりもないような音量で落とされたのは、きっとお父様までは届いていない。
ロラントお兄様が馬を交代するのに隠れて、こっそりと使者の方の背後に回っていた私だから、聞こえた言葉。
「フェルヴェ、先導は任せたぞ」
「もちろんです父上。それでは、使者殿。僭越ながらプレシフ家嫡男、フェルヴェがご案内させていただきます」
「あ、ああ。よろしく頼む」
耳の良いフェルヴェお兄様だったら聞こえていたのかもしれないけれど、そんな素振りも見せずににこやかな笑みを浮かべて使者の方の案内をするために、馬に乗る。
使者の方を気遣うように見せてその実、背後に向けられている視線は、確実に私を捉えている。ここまで警戒しなくても良いのかもしれないとも思ったけれども、それは全てが終わってから決まることだ。だって、使者の方は私がいなくなったことに気付いていないのだから。
「この地では、女性も馬に乗るのだな」
「ええ。移動手段が限られているものですから。それに、今は穏やかですがここは国境。万が一の時に馬車など用意できまして?」
「っ! 失礼なことを言った」
「失礼だなんて、とんでもございませんわ。使者殿がそう思えるほどに、この地に住む民たちが健やかに過ごせているのでしょう」
使者の方を守るように陣形を組んでいるのは、お父様とお母様にフェルヴェお兄様。ロラントお兄様は少し離れて後ろからゆっくりと馬を走らせているし、私もその隣。だから、会話はすべて聞こえてくるわけではない。
お母様が声を大きくしているのは、馬を走らせながらの雑談だから使者の方が聞き取れない事がないようにという配慮からだ。本音は、私達にも聞かせるため、なのだけれど。
「プレシフ辺境伯はすでに知っているようだが、この度視察として王城より遣わされた、第四王子のシェイドだ。
急な訪問にもかかわらず、このような歓迎痛み入る」
屋敷に着いてから応接室に案内するまで若干緊張した面持ちだった使者の方は、ソファーに身を預けてからわずかに表情を緩めた。
お父様の言葉から王族のどなたかだとは思っていたけれど、態度を含めてあまり王族らしくないというのが正直な印象。
お父様とお母様から聞く国王陛下の評判と、前王陛下の話しか知らないけれど、どちらとも違う。
「王子殿下に頭を下げていただくほどのものではございません。短い期間でしょうが、その間はこの屋敷を自室のようにお使いください」
「貴殿は……」
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。ロラント・プレシフと申します。父の補佐として執務に携わっております。
こちらは、末子のドルチェでございます」
「ドルチェ・プレシフでございます。ご尊顔を拝します機会を頂けたこと、光栄にございます」
並走していたお父様たちと違って、ロラントお兄様と私は後ろにいたから、まだご挨拶を済ませていない。それもあったからだろう、お父様がこの場をロラントお兄様が進めるようにしていたのは。
私の挨拶が済んだタイミングで、ルターがワゴンを持って入室してくる。もう少しこの懇談の場は続くようだ。
「改めて、こちらが国王陛下より託された書簡だ。確認してほしい」
一口に切り揃えたサンドイッチにキッシュ、ミートパイは湯気を立てているし、グラスには冷えたソルベが並べてある。使者が来ると知っていても、どんな好みなのかは分からないからアフタヌーンティーが出来そうな物をひと通り作ってくれたのだろう。
無邪気を装って我先にと手を出した私に、お叱りの声は上がらなかった。テーブルに並んだ料理全てを食べてから、紅茶を飲んで一息つく。
その様子を呆気にとられたように見ていたシェイド殿下は書簡をお父様に渡すと、そっとサンドイッチに手を伸ばした。
「ふむ、ここには使者を数名送ると書かれておりますが」
「他の奴らは手前の街で待機している。しばらくしたら、王都へ戻るだろう。私からの連絡がなくとも」
「視察なのに、ですか」
お父様がつい、と書簡をテーブルに滑らせる。それは、私達にも見えるように広げられた。フェルヴェお兄様よりも早く読み切ったのだろう、顔を上げたロラントお兄様の視線が訝し気なものに変わる。
「だからだよ。私が戻らなかったら、隣国との国境争いは激しくなっていると言えばいいだけだ。国王陛下はあの者たちの言葉なら信じるからな」
「なるほど。では、殿下には無事にこの地の視察を終えてもらわねばならないということか」
納得したように頷くフェルヴェお兄様に同調するような動きのお父様。王子殿下が王都からここまで一人で来たとは考えづらかったけれど、そういう事なら頷ける。
ひとつ前の街ならそれなりに大きな宿もあるし、設備も充実している。国境争いをしているプレシフ領に滞在するよりもそちらの方が便利だと思ったのだろう。
国王陛下から託された任務を自分の都合で捻じ曲げるような方々が滞在しているのであれば、向こうの領主様は苦労しているかもしれない。後で手紙を送っておこう。
「だが、隣国との争いは続いているのだろう? そう報告書を見ているのだが……」
私の考えが逸れている間に、話は進んでしまっていた。シェイド殿下が言うことも最もだ。隣国との国境争いが激化している最中に、余計な手間で負担を強いたいわけではないと思っているのが伝わってくる。
これで、使者としてきたのだから自分の身を守ることが最優先だと言い張る方がやって来たのだったら、ニアマト王国の方にわざと攻めてもらって、ほんの少しばかり私達の日常を見てからお帰り願いましょうと話していたのだけれど、どうやらその方向にはならないらしい。
「ええ。その通りです。ですから、護衛として我が家の者を付けることをお許しいただけますかな」
「辺境伯の手を煩わせることはない。この身だけならば、自分で守る術は身に着けてきた」
「もちろん、殿下が全てを私たちに丸投げするお方だとは思っておりません。国境に近づく時だけです。不測の事態が起きたとて、我らであれば対処の使用があります」
お父様の言葉を即座に否定するのは、守られることが常であるはずの王族としては珍しいのではないだろうか。お兄様たちもそう返ってくるとは思っていなかったのか、わずかに表情を変えている。ずっと微笑みを浮かべているお母様も、少しだけ口角を上げた。
「私に何かあったら、向こうが喜ぶだけか……」
「殿下、いかがでしょうか。護衛がお傍にあることをお許しいただけますか?」
「ありがたく、受け取ろう」
向こう、というのはひとつ前の街に滞在しているだろう残りの使者の方だろうか。何となく読み取れてはいたけれど、やはりシェイド殿下と使者の方は同じ気持ちで動いているのではなさそうだ。
シェイド殿下は無意識なのかもしれないけれど、時々呟かれるのは自分を卑下したり皮肉のようなものばかり。王族ともなれば、私の想像もつかないような重責があるのだとは思うが、この様子だったらこれからの一仕事に少々力が入ってしまっても怒られることはないだろう。
「では、今後はこのドルチェが護衛を担わせていただきます」
お父様の言葉を聞いてから、立ち上がって改めて礼を取る。王都の社交界でも問題ないとお母様から褒められたカーテシーは、シェイド殿下に取っても十分なものだったようだ。
ぽかんと口を開けて呆けた様子のシェイド殿下は、ハッと我に返ると慌ててお父様に向き合った。
「女性ではないか。辺境伯、さすがにそれは受け入れがたい」
「力不足だと、そう仰りたいのですね。ならば、こういうのはいかがでしょうか。
ドルチェと一度、剣を交えていただきたい。そのうえで殿下がこれでは護衛を任せられないとなったら、ロラントかフェルヴェが担いましょう」
いかがでしょうか、なんて朗らかに問いかけるお父様に、シェイド殿下はたじろいた。
お茶菓子に真っ先に手を付ける、末娘。それがまさか自分の護衛だなんて信じられるはずもないだろうと思っているのが良く分かる。
その認識、訂正させていただきましょうか。
愛でられるだけの花ではないのです。




