5-1.追憶・ヴェーチェル山の頂にて
十五年前、とある山の頂にて。
雲一つなかった空。今は世界の終焉を思わせる、曇天が広がっている。
穏やかだった晩夏の風は、暴風へと豹変。
遠吠えのような轟音の中、雪が乱れ舞う。
吹雪の中、少年は意識を取り戻した。
体を起こすも、錘がのしかかったように動かない。
頭を上げ、視線を胸部へ。誰かが覆い被さっている。
風になびく黒髪。それが母のものだと、すぐに気がついた。
数分前、少年はかばわれたのだ。
子を守った母の手は、もう動くことはない。
「母さん」と、呟きかけた時──。
何かが通り抜ける気配を感じ、少年は息を殺した。
長い足にくびれた腰、程よく張り出た肩甲骨。
骨格や肉のつき方は女だが、服を着ていない。
一糸纏わぬ己の姿や、広がる惨状さえ気にする素ぶりはない。
白髪をはためかせ、吹雪の中へ姿を消した。女が去ると、次第に風が弱まった。
少年は母を押し、雪上に横たえる。やはり目が開かれることはない。
背中には、折れたトレッキングポールが突き刺さっていた。
力なく膝をつき、少年は辺りを見回した。
絶命した大勢の登山客が、雪に埋もれている。
その中に、青いパーカーを着た死体があった。それは少年の父だった。
無数の死体が転がり、灰のような雪が舞う光景は、戦場を彷彿とさせる。
母の亡骸を前に、少年はうなだれるだけだった。
その日以来、少年は『鬼』に取り憑かれた。
※
西洋に遅れ、東洋の小国──日輪に文明開花が訪れた。
技術や文化を取り込むために、開拓団は世界へ。
桑原 未知は、二十三歳でレヒトシュタート帝国へ渡った。
そこで日輪人の男、大勇と出会う。二人は恋に落ち、未知は子を宿した。
しかし、幸せは一瞬で終わる。
大勇はザミルザーニ帝国住まいの教師。さらに妻子持ちだった。
一人残され、未知は子を産んだ。
捨てられても、愛した男に未練があったのだろう。
赤子は『勇利』と、名付けられた。
未知には裁縫の腕があったが、妊娠をきっかけに無職となった。
赤子を抱きながらの、ましてや日輪人の働き口はない。
路頭に迷う母子を救ったのは、大貴族グロワール家。
一家だけでなく使用人からも可愛がられ、勇利は育った。
十二歳になったある日。母に連れられ、勇利はザミルザーニへと赴いた。
一度でいいから、子供の顔が見たい。という大勇の嘆願。
三人はヴェーチェル山へトレッキングに向かった。
それが最初で最後の、家族旅行となった。
生き残った勇利は、グロワール家が引き取った。
恩に報いるため、悲壮感も差別も跳ね返す強い少年へと成長。
開花した武術の才を生かし、幼馴染である令嬢の護衛となった。
幼少期から令嬢──エクレレは男勝りで破天荒。
護衛をまいては街へ繰り出す。そのたびに勇利が捕まえた。
エクレレが十八の時、お家騒動が勃発。
きっかけは婚約の話。それも知らない男どころか親戚との婚約。
堅苦しく理不尽な立場に、我慢の限界を覚えたのだろう。
父との壮絶な喧嘩を経て、数日後にはアジュール共和国へと渡った。
五年も経てば帰ってくると、勇利は待ち続けた。
同時に『ストランノスチ事件』を調べる時間が作れたことは、暁光だった。
図書館や古本屋へ通い、あらゆる本を読み漁った。
時には非公開の書庫にも忍び込んだ。
それは半年後のこと。古文書から『気象兵器』という推測に辿り着く。
さらに偶然か宿命か。グロワール家にも気象兵器が隠されている。
探究心と燻る復讐心に、拍車をかけるには充分だった。




