2-3.邂逅
オープニングイベントは一転、地獄絵図と化した。
追い立てられる、牛のような群衆が迫る。
ジェネロを掴み、シキは路地へ逃げ込んだ。
群衆が駆け抜けた道には、無数の転倒者。
そこら中から上がる、呻き声と泣き声。
『ヴォルクが撃たれた……』
しばらくして、無線からディアの細い声。
「あいつ……」
「僕が行く。医師だって伝えれば、手当てができるはずだ」
応急セットが入った鞄を抱え、ジェネロは歩道を走った。
『おい! ボサっとしてんじゃねぇ!』
アウルの怒鳴り声に、シキは我に返る。
『拳銃を持ってる男が通り過ぎた! くそっ、群衆が邪魔くせぇ』
撃てねぇ。と舌打ちが上がる。
段々と近づく警笛。防護柵を飛び越え、シキは走り出した。
『肉屋の角を曲がった! これ以上の追跡は無理だ』
「わかった。シュッツェを連れて離脱してくれ」
『もうセアに任せたよ。俺もすぐに追いつく』
言い終わらないうちに、無線が切れた。
肉屋の角を曲がったところで、シキは立ち止まる。
コートの裾を揺らし、走る男の背があった。
入り組んだ路地に入り、鉄階段を駆け上がる。
姿が見えなくなったところで、追跡を再開した。
改装中なのか、建物の周囲には足場が組まれている。
階段を上がる途中で、シキは拳銃を握った。
「待ってくれ! 話が違うじゃないか!」
男の声が、開けっぱなしの扉から漏れた。
「あの位置で撃てば、当たるって言ったじゃないか!」
「お前がしくじったんだろう。まさか、乱入者の存在に気づかなかったのか?」
感情的な男とは、対照的な冷たい声。
「じ、じゃあ、次の作戦を練ろう! 次は失敗しない!」
「もういい、お前は用済みだ」
「待ってくれっ──」
男の語尾が跳ねた。続いて、重たい何かが倒れる音。
仲間れだ。拳銃を構え、シキは入口に立った。
「動くな」
いつでも撃てるように軽く肘を曲げ、前傾姿勢を取る。
銃口が捉えるのは金髪の男。
奥の壁には絶命した男。命乞いをしていた、実行役だ。
「両手を上げて、床に伏せろ」
「……『エタンセル』?」
男の頭が動き、ゆっくりと振り返る。
その言葉に、シキの頬が痙攣した。
青い目に映るのは、石膏の仮面──。
「やっぱり。『エタンセル』じゃないか」
男の声に色がつく。仮面の留め具を外すと、顔があらわになった。
「お前……」と、シキは呻く。
愕然とした表情を浮かべ、銃口が揺れる。
「違うか。今は『シキ』だったな」
「ユーリ……」
ついに、シキは拳銃を下ろした。
すぐに、眉間に深いしわが刻まれる。
「てめぇ、どの面下げてここに来た!?」
「この面だよ。撃ってみろよ、憎い仇だろ?」
両手を広げ、ユーリは一歩踏み出す。黒目に映るのは、後ずさるシキ。
「来るな」
青い光とともに、シキの手に短刀が握られた。
素早く、ユーリの喉仏に切先を当てる。
「お前、その髪はなんだ?」
「お前と一緒だよ」
ユーリは、薄い唇を吊り上げた。
「てめぇ……!」
シキの目に浮かぶのは、激しい怒気。
逆手に持った短刀を、神速の勢いで首に突き立てる。
かと思われたが、喉を貫くことはない。
すでに、ユーリが抜刀していた。
先にこちらの頭が貫かれる。と悟ったシキは、部屋の隅に転がった。
同時に、刃が壁に刺さる。
「落ち着け。俺は仕事中なんだ」
鍔がない刀──合口拵を引き抜き、ユーリは笑う。
「シュッツェを追っている途中で、お前に会えるとはね」
「まさか──」
全てを理解したシキは、ぐっと喉を鳴らした。
どす黒い殺気が、全身から放たれる。
「グロワールの名を汚して逃げて、今度はビエールに与するか! どこまで外道に堕ちるつもりだ!」
「ほざいてろ。お前の相手をしている暇はない」
卒倒するほどの威圧を、ユーリは一蹴した。
「逃げないと、焼け死ぬぞ」
懐から取り出したのは小さな瓶。絶命した男に、躊躇なく投げた。
割れた瓶から、茶色い液体が飛び散る。
独特な臭いはガソリンだろう。さらに、点火したマッチ棒を弾く。
小さな炎が男に当たった瞬間、火柱が上がった。
「じゃあな」
ユーリは、窓から飛び降りた。
シキはすぐに頭を出すも、姿はどこにもない。
人が焼ける臭いと煙が充満し、建物から飛び出す。
鉄階段を駆け下り、脇目もくれず走った。
「シキ!」と、聞き慣れた声。
ジャケットの片方が脱げながらも、アウルが駆け寄った。
「火事だ!」と、住民の悲鳴。
それを皮切りに、辺りは騒然となった。
誰もが混乱に陥る中、シキは座り込む。
「何があった?」
息も絶え絶えに、アウルが問う。
「……俺じゃない」
忙しなく泳ぐ目は、ひどく動揺していた。
「場所を変えよう。立てるか?」
余計な詮索は止め、アウルは手を差し出す。
ザフィーアの街から、一人の男を焼く黒煙が上がっていた。




