2-2.白昼堂々
冷たい雨が降りそうだ。そうなれば、客人は屋内へ移動する。
刺客なら、その前に行動に出るだろう。
「雨が降りそうだ。動きがあるかも」
ヴォルクは、小さなマイクに語りかけた。
『了解』と、シキの返事。
「対象が来ました」
ディアの声に、割れんばかりの拍手が重なる。
「今回はこの『ザフィーア・ユルティム』のオープニングイベントに、皇太子殿下にお越しいただきました!」
興奮を煽る、司会の声のあと──。
ワッと歓声が上がった。
ベネディクト・ディアマントが壇上に現れた。
長身に清潔感のあるブロンドと、優しい顔つき。
観衆──特に婦人や若い娘から、嬌声が上がる。
「さらに! 当ホテルに出資していただいた、エクレレ・グロワール様もお見えです!」
拍手に応え、エクレレは片手を上げた。
シルクのショールに、ワインレッドのドレス。
装飾品に派手さはないが、余計な飾りは不要。と誰もが思うだろう。
イヤイヤ言っていた割には、笑顔を遺憾なく振りまいている。
冗長なスピーチを聞き流し、ヴォルクは遠くを見た。
不意に、風の流れが変わった。あらゆる香水、口臭、汗臭が鼻を襲う。
嗅覚が鋭敏な人狼にとって、拷問に等しい。
その中に一層際立つ、鼻を衝く臭い。瞬間、ヴォルクの目が見開かれる。
最も嗅ぎ慣れた臭い──血に次ぐ、硝煙の臭いだ。
花火の予定はない。となれば、答えは一つ。
「いる」
呟きに、アインが目を見張った。
「刺客がいる。支援を頼む」
インカムに手を当て、ヴォルクは無線を繋げた。
『了解』とアウルが即答した。
おそらく、狙撃銃のスコープを食い入るように見ていることだろう。
ヴォルク、ディア、アインは周囲を見回した。
目を輝かせる婦人、子供を肩車する男、壁際で腕を組む男女。
誰も彼もが怪しく見える。
ヴォルクの嗅覚を持ってしても、群衆の中では力を発揮できない。
ならばと、隊員手帳をディアに押し付けた。
身元が割れる──負傷か死亡の際に、IMO隊員であることを隠匿するためだ。
「前に行く。優先することがある」
「待って」と、ディアが肩を掴んだ。
「待たない。いい? 事が起きたら二人は退避」
『ヴォルク、待て──』
無線に、シキが割って入る。
「ヴォルク!」
ディアの言葉も無線も無視し、ヴォルクは歩き出す。
観衆を押しやり前へ。壇上にも下にも、屈強な護衛。
失敗を避けるため、刺客は高い位置から狙うはず。
雑踏を進む間も、ヴォルクは思考を止めない。
「皆様! 『ザフィーア・ユルティム』を、ともに盛り上げていきましょう!」
意気揚々とベネディクトは拳を掲げた。
壇上から降りるため、観衆に背を見せる。
ついに、ヴォルクは駆けた。
「おい止まれ!!」
異変に気づいた護衛が殺気立つ。彼らの目には、暴漢として映っているはずだ。
鉄柵に足をかけ、ヴォルクは観衆と護衛を飛び越えた。
ズシン。と壇上を揺らせば、客人が振り返る。
護衛に撃たれないように、ヴォルクは身を低くした。
ベネディクトの前に立ち、体を突き飛ばす。
同時に、響き渡る轟音。
ヴォルクは一歩踏み出した。反響音が、ゆるゆると空に吸い込まれる。
静寂を破るは、女の叫び。一瞬のうちに、伝染する恐怖。
蜘蛛の子を散らすように、観衆が走り出した。
ある者は転び、いくつもの足に踏みつけられる。
転倒者に足を取られ、また一人転ぶ。
それでも逃げようと這いつくばる。まるで底なし沼のよう。
ヴォルクの目が、ふっと閉じた。膝をつき、力なく横たわる。
「君! しっかりしろ!」
危険も顧みず、ベネディクトは手を伸ばす。
その手に付いたのは、真っ赤な血。
「うわぁ!」
悲鳴とともに、尻もちをついた。
護衛によって半ば引きずられるように、ホテル内へ誘導された。
「そんな……」
一部始終を目撃したディアは、唇を震わせた。
「ディア!」とジェネロが、建物伝いに駆け寄る。
「ヴォルクが撃たれた……」
「シキは?」
二人をかばいつつ、アインは辺りを見た。
「彼は刺客を追った。ヴォルクの処置は任せて。彼女を頼む」
落ち着き払った声とともに、ジェネロは頷く。
壇上に上がると、慌てふためくスタッフに声をかける。
自分は医師だ。と話しているのだろう。
ディアの肩を支え、アインは歩き出した。




