3-1.追撃の狼煙
半日前、ミリュー市のアパートにて。
「短い間でしたが、お世話になりました」
鍵を差し出し、セアリアスは微笑む。
本人は住んでいないが部屋の契約者として、退去の挨拶に訪れたのだ。
住人の顔を把握していないのか、大家が怪しむことはなかった。
「こんなボロいアパートですまないねぇ。不便とかなかった? ……あっ」
しまった。と大家は、口に手を当てた。
「ボロいなんて言ったら、オーナーに怒られちゃうねぇ。おじさん、雇われ大家なんだよ」
ねっとりとした口調だが、人は良さそうだ。
オーナーとはIMO総司令官──ストレングスのこと。
ストレングスはIMO名義で貸す物件と、他人を介し貸す物件を所有している。
境界線は至って単純。IMOの存在を、その国が認めているか否か。
傭兵に対し、批判的なセルキオは後者だった。
「それより知ってるかい? セルキオに、クローネからの亡命者がいるって話だよ」
「え?」
立ち去ろうとしたセアリアスは、目を丸くする。
「しかも、追手がいるかもしれないんだよ? 追手って、殺し屋とかだよねぇ?」
大家は、眉間にしわを寄せた。
「俺たちには、関係ないと思っていたんだけどねぇ。こんなことになったら、不安で眠れないよ」
大家の言葉に違和感を感じたらしい。セアリアスは首をかしげた。
「……クローネとセルキオは同盟国ですよね? 確か、安全保障条約を交わしているとか」
「あんなの、国が勝手に決めたことでしょ? そもそも、何でセルキオに逃げ込むんだろうねぇ? 早く捕まえてくれないかなぁ」
「捕まえるって、亡命者を?」
「そうだよ。そのうち、俺たちに被害が出るかもしれない。クローネなんて国、なくなったって問題ないでしょ」
セアリアスは閉口した。聞き捨てならない言葉に拳を固める。
「……そうですね」
反論しても怪しまれるだけだ。と怒りを鎮めた。
「では、失礼します」
早足で路地を抜け、市道に出た。路肩にはセアリアスを待つ車。
「滞りなかった?」と運転席のディアが、片手を上げた。
「はい。……実は、まずいことが──」
セアリアスは重たい口を開き、事の顛末を話した。
「そんな事態になっているの? とにかく、ヴォルクに知らせなきゃ」
ディアはアクセルを踏み、車を発進させた。
ホテルに戻ると、ロビーにはヴォルクがいた。その手には新聞。
二人の姿を認めると、天井を指差した。
詳しくは部屋で話そう。という合図だ。
「ビエールが発表したらしい。メンツのために、伏せておくと思っていたけど」
ベッドに新聞を放り、ヴォルクは窓辺に寄りかかる。
「二人を待っている間、散歩に出たんだ。もう亡命者捜しが始まっている」
「それは僕も感じた。街全体が色めき立っている感じ?」
「そうだろうね。約十三万人のミリュー市民が、この記事を見たはず。……情報はすぐに行き渡り、姿を変える」
ヴォルクは、眼下の市街地を見た。
「そういうことか」と、セアリアスはうつむく。
「シュッツェは、セルキオにとって災いの火種。……民衆の不安を煽り、悪者に仕立て上げるつもりだ」
「ひどい。彼は国を追われた立場なのに」
呆れたように、ディアは首を振った。
「ビエールは意外と手強いかもね。……セア。フロントから、ジェネロがいるホテルに電話して。『絶対にミリューに来るな』って伝えておいて」
ヴォルクは、電話番号が書かれたメモを差し出す。
「わかった」
「で、これからどうする? シキと合流する?」
腰に手を当て、ディアは問う。
「チェックアウトして、早めの昼ご飯を食べよう」
ヴォルクは時計を見た。時刻は午前十時を過ぎている。
「そうね。じゃあ、荷物をまとめてくる」
「ただし──」
ドアノブを掴んだディアは、その声に振り返った。
「ただの散歩じゃないから」
無表情は相変わらず。
しかし、ヴォルクの黄色い目は、獲物を捉えたように鋭かった。




