4-3.公女の行方①
話は、亡命の日に遡る。
「俺は二階に行く。先に下りて」
シュッツェの変装を見届け、ウルフは部屋を出た。
公女の部屋には、香水の匂いが充満している。
鼻に襲いかかる刺激に耐えつつ、ビエール兵に声をかけた。
「いた?」
「どこにもいない」
「シュッツェが外で目撃されたなら、合流するかもね。ここは俺が残るから捜しに行くといい」
「悪いな。任せるよ」
疑いもせず、兵士は部屋を出て行った。
扉を閉め、ウルフは暖炉へ歩み寄る。ダンパーを叩くも反応がない。
今度は炉室に上半身を突っ込み、ダンパーを押し上げた。
見上げれば、闇が広がっている。ただ、それだけ。
隠れると宣言したはずの、公女がいない。予想外の展開に、ウルフは瞠目した。
『森へ走る、シュッツェを見た』
脳裏に、無線の声が蘇る。
なぜ。と違和感を覚えた瞬間、ウルフは踵を返した。
「マクシム」
二階へ下りたシキを、偽名で呼ぶ。
「どうした?」
「いなかった」
「え?」とシキの口が、半開きで止まった。
「残って調べるよ。待たなくていい」
ウルフは、ブロマイドを差し出す。怪しまれるような物は、持ちたくないらしい。
「気をつけろよ」
シキは神妙そうに、ブロマイドを受け取る。
これがアウルなら「ざまーみろ」と笑うだろう。
ウルフは、公女の部屋へ戻った。
年頃の娘相応に、化粧品や香水に手を出している。
香水は、有名ブランドのオードトワレ。
隣には、正方形の化粧箱。かなりの年代物だ。
何気なく、引き出しを開けた。
入っていたのは、装飾が施された折り畳み式のナイフ。
さらに、足元のゴミ箱を漁る。
中には、黒い糸の束──と思いきや髪の毛だ。
刃物で切ったらしく、切り口は揃っている。よく見ると、ダークブロンドだ。
ナイフで髪を切り落とす光景が、容易に想像できる。
後ろ姿は、シュッツェに酷似するだろう。
やはり、城外で目撃されたのは公女。とウルフは確信した。
さらに、家探しを続ける。
ベッド脇のテーブルに、一冊の本。とある冒険家の旅行記だ。
本を手に取ると、中心辺りのページが自然に開く。
挟んであったのは、ちぎり取ったメモ用紙。
元のページに戻したあと、ウルフは懐にしまった。
そろそろ公女を追わなければ。と裏庭へ。
清流が城外の森へ続き、しゃれた橋が架かっている。
あちこちで、ビエール兵が捜索に当たっていた。
「聞いたか?」と、雑談が聞こえた。
「広域用の無線が故障したらしい」
「嘘だろ。なんでこんな時に……」
無線は、兵士たちの詰所にある。常に人目があるため、破壊など不可能だ。
IMO隊員以外の、何者かに破壊された。
その上、公女一人で逃げ切れるわけがない。
やはり、IMOとは違う何者かがいる。ウルフは、その答えを導き出した。
裏庭の隅に、森へ出られる扉があった。
何人もの兵士が、飛び出して行ったのだろう。
ぬかるんだ地面に、無数の足跡が残っている。
裏口から一歩出れば、トウヒが立ち並ぶ国有林だ。
方角を見失えば、遭難は確実。
川沿いに下り、ウルフは沢を歩く。
間伐されたトウヒが際限なく広がり、方向感覚を狂わせる。
立ち止まり、耳を澄ませた。
聞こえるのは車のエンジン音。どうやら、近くに林道があるらしい。
たとえ潜入に長けたウルフでも、森に踏み込むのは気が引けた。
森には、危険生物がたくさんいる。
神経毒を持つクサリヘビに、コブラ以上の毒を持つクロゴケグモ。
そして、狼と熊。
狂犬病に感染した狼に襲われれば、死は確実。
その苦しむさま、死にざまは惨たらしいものだ。
熊は、ウルフが最も恐れる生き物だ。
体重は三百キロを越え、時速四十キロで走る。
巨体に似合わず、音もなく獲物の背後に迫るという。
しかし、野生動物に遭遇することも、公女を見つけることもできなかった。
日没前に城へ戻ると、撤収した兵士たちが花壇に座り込んでいる。
どの顔にも疲労困憊の色が浮かんでいた。
「聞いたか? 新兵が侵入者に襲われたらしいぞ」
裏門をくぐるなり、そんな会話が聞こえた。
「何かの薬を打たれたって話だ。無事だといいけどな」
ウルフは、シキの顔を思い浮かべた。
麻酔薬を打ったのだろうと、結論を出すのは早かった。
日没が迫っているが、敵とは雑魚寝できない。
まさか、今日も野営になるとは。
赤い空を見上げ、ウルフはため息を吐いた。




