3-3.行雲流水
ストレングスの発言から、数秒後──。
「クローネには戻らないのですか?」
ヴィリーキィは寝耳に水。といった表情だ。
「ええ、やめときます」
平然と返し、シキは朝日に目を細めた。
「俺が帰ったところで結末は予想できる。今は祝勝会よりもやることがあります」
「おっしゃる通りですが、少しは勝利の余韻に浸っては……」
「シュッツェから『引き留めない』と言われました。きっと、あいつならわかってくれます」
心配無用。とシキは首を振る。
「そもそも、IMOはクセ者だ。大公になるなら深く関わるべきじゃない」
「……ならば、これ以上の問答は不要ですな」
諦めたように、ヴィリーキィは肩を落とす。
「立ち話はここまでだ。お前はさっさと怪我の手当てをしろ」
ストレングスが割って入り、シキの顔を指差した。
「明日の正午までにヴェルメル支部に来い。船を準備させておく」
「え、早くない?」と、シキは不満げだ。
「時間があるだけありがたいと思え」
ストレングスは、相変わらずの横暴な物言いだ。
「兄妹には俺から伝えておく。……伝言があれば預かるぞ」
しかし、どこまでも冷酷ではないらしい。
「じゃあ、お願いしようかな。宰相、手帳ってありますか?」
「どうぞ」
ヴィリーキィは手帳とともに、ペンを差し出した。
冷気で、インクの出が悪い。
はぁ。とペン先に息を吹きかけ、シキは手帳に向かう。
「破いてもいいですか?」
「もちろん」
「じゃ、これを渡してくれ」
破いたページを受け取るも、ストレングスはしかめっ面。
「お前。そんなことがまかり通ると思うか?」
すぐに、不機嫌そうな声が上がる。
「なら、オヤジが決めればいい。書いた言葉さえ伝えてくれれば文句はない」
「クソガキめ」
それ以上、ストレングスは罵ることはなかった。メモをポケットに突っ込むと、シキを睨みつける。
「遅れたら、ケシズミにしてやるからな」
現実味のある脅し文句を吐き捨て、大股で歩き出す。
兵士の目があるため、地脈は使わないらしい。朝日の中を、振り返ることなく去った。
「あなたには、頭が上がらないのですね」
巨躯を見送り、ヴィリーキィは呟く。
「あれのどこか?」と、シキは苦笑い。
「『舌の上では蜂蜜。心の中は氷』。……彼の場合は逆ですな」
「どういう意味ですか?」
「ただの独り言です。さぁ、治療に行きましょう」
意味ありげに笑い、ヴィリーキィは歩く。
「お腹が空いた……」
シキの声に合わせ、ぐぅ。と腹が鳴る。
「朝食を準備しましょう。妻に作ってもらいます」
「え? 奥さんって、ザミルザーニにいるんですか?」
「子供たちが大学に入るまでは、帝国に留まる予定でした」
ですが。とヴィリーキィは続けた。
「私は帝国へ戻ることになる。……ようやく家族水入らずで過ごせそうです」
空を見上げる横顔は、すっかり父の顔。
「さぁ、参りましょう」
雪上に残る、二人の足跡。憑き物が落ちた空に、広がる青。
冬毛が膨らんだ雀たちが飛び回り、さえずりが重なる。
人間だけではない。全ての命が、この日を待ちわびていた。
冬の北国とは思えない、穏やかな朝だった。