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3-1.虎の威を借る狐

 それは、ある弱者の記憶──。


 眼下に広がるは、煌々と輝く街。

 わぁ、きれいだ。

 そんな感情も刹那的。


 地に落ち、いくつもの足に踏まれる。

 泥にまみれ踏み固められ、道の端で無様に解ける。

 そこで意識は途切れた。


 眼下に広がるは、白波立つ荒海。

 いやだ、こわい。

 恐怖と絶望の中で、意識が途切れる。


 眼下に広がるは、純白の大地。

 まだ、いいか。

 時折、誰かに踏まれ、動物の糞尿を浴びる。

 それでも、春まで生き永らえた。


 そんなことを何千回も繰り返すうち、意識は自我へと変化。

 しにたくない。ずっと、いきていたい。

 最初はささやかな願いだった。


 純粋だった願いは、次第にどす黒い怨念へと変わった。

 こいつ(クリュス)さえいなければ。そうだ、こいつに成り代わればいい。

 負の感情が重なった奔流は、主人を容易く飲み込んだ。


 何度でも再生する、不滅の体。

 思うがままの、殺生与奪の権利。

 全てを支配する美貌。

 

 願いを叶えた瞬間、失うことを恐れた。

 生き続けるため、地の果てさえも凍った世界にしてしまえ。

 犠牲など知るものか。


 そうやって、欲望のままに走り続けた。

 醜悪な夢の先に待つのは、回帰──消滅だとも知らずに。



 いまだ、シキは動かない。

 勝鬨かちどきを上げることなく、ただ空を見上げた。


 今、心にあるのは空白感。ぽっかりと、穴が空いたような虚無。

 嵐とともに勇利ゆうりは去った。この世から、完全にいなくなってしまった。


 立ち尽くすシキの背後で、淡い光が立ち昇る。

 スニエークから弾き出した、氷の球体が発生源だ。


 光の中から、一人の女が現れた。Aラインの白いドレスは、花嫁を思わせる。


 女の顔を見た瞬間、シキは一歩下がった。

 絹を思わせる白髪に、水色の目。その顔は、スニエークと瓜二つ。


「私の名は、クリュス・ティグリス」と、女が言う。

 

「助けてくれて、ありがとう」

 スニエークのような、高飛車な口調ではない。

 

「そして、心から謝罪します。……ずっと、内側から見ていました」

 しおらしく、白いまつ毛が伏せられた。


「……あんたのせいじゃない。ただ──」

 少し経って、シキは首を振った。


「教えてほしい。スニエークとは何者だ?」


「……彼女は、私の眷属(けんぞく)です」

 クリュスは、スニエークが消滅した場所へ振り返る。


「あれは夏の終わり。休眠期の最中だった私は、一瞬で乗っ取られてしまったのです」


「眠っていた場所が、ヴェーチェル山だった」

 シキの呟きに、クリュスは頷く。


「抵抗した際、居合わせた人間たちを殺してしまった。以降、暴虐の限りを尽くしました。私は、いかなる罰も受けるつもりです」

 弱々しい声とともに、うつむいた時。


「その件に関して、一言いいかな?」

 男の声とともに、シキの胸から光があふれる。

 現れたのは灰色のローブをまとった、T字杖を持つ老人。


「アネモス様」と、クリュスは瞠目した。


「ひとまず叱っておこうか。眷属に乗っ取られるなど、言語道断である」


「仰る通り、返す言葉もありません」


「しかし、いい勉強になった。無垢むくな眷属であっても、主人に牙を向けることがあると」

 一歩踏み出し、アネモスは手を伸ばす。


「クリュス。私にとってお前は我が子同然。罰は与えられぬ」


「……ありがとう、ございます」

 無罪を言い渡された罪人のように、クリュスは目を閉じた。


「静かな場所で休むといい」と、シキは微笑ほほえむ。


「本当にありがとう。また、どこかで」

 晴れやかな笑顔を浮かべ、クリュスは光へ。


 球体に変化し、天へと昇る。次第に光は弱まり、残像を残し消えた。


「シキ、ありがとう」

 T字杖のグリップをさすり、アネモスは目を細めた。


「お前に託して正解だった。……いや、お前と勇利。だな」


「あいつ、挨拶もなしに消えやがった。……何も言えなかった」

 

「お前さん、どこまでも嫌われていたんだな」


「やかましい」と、シキは鼻を鳴らす。

 

「心配はいらん。お前の気持ちは、勇利に届いているさ。それより、まだ戦いは終わっとらん」

 ローブの裾を揺らし、アネモスは歩き出す。


「勇利の望みは、仇討ちだけではなかっただろう?」


「そうだな。まだやることがあった」


「では行くのだ。そろそろ、フロガが苛立っているだろう」

 

 アネモスの言葉に、シキは苦笑した。

 腕を組み呪いの言葉を呟く、総司令の姿を思い浮かべたのだろう。


 頷くと、アネモスは球体へと戻る。

 澄み切った朝の空気を引き連れ、シキは広間をあとにした。

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