2-3.嵐を呼ぶ男
『シキ』
幻聴ではない。再び聞こえた声に、シキは思わず振り返る。
そこには、ただの壁があるだけだ。
『俺に任せろ』と今度は、はっきりとした声。
「──うッ」
胸に衝撃を感じ、シキはのけぞる。体から飛び出したのは、光の球体。
「まさか……」
脳裏に蘇るは、永遠の別れの日。
死にゆく友から、この光を受け取ったのだ。
「お前は──」
勇利。とシキは呻いた。
『俺が道を開く』
そう言って、球体は広間の中央へ。
太陽ほどの光量はない。月のような、柔らかい光が降り注ぐ。
──前言撤回。
静かに浮遊する球体が、真昼の太陽を思わせる光を放った。
あちこちに雷撃が走り、広間一帯を白に染める。
やがて現れたのは、ゆっくりと回転する光弾。
シキの目には、それらが旋回する無数の鳥に見えていた。
雷を纏う鳥たちは、羽をたたみ急降下。
眼下の白氷に飛び込むさまは、海鳥の狩りを思わせる。
轟音とともに、氷柱が砕け散る。
光が波飛沫のように噴き上がっては、一瞬のうちに消えた。
『行け』
その声に、シキは頷く。壁に刺さった刀を引き抜くと、ためらいなく地上へ。
落雷に混ざり、銀髪が煌めいた。
視線の先には、ふらつくスニエーク。
頭上に、気配を感じたのだろう。理性をなくした赤い目が、シキを捉えた。
刀を大きく振りかぶり、シキは真っ向切りを繰り出す。
スニエークを守るように、立ち上がる氷の盾。
ぶつかり合った瞬間、衝撃波が広がった。
割れずに残っていた窓が砕け散り、壁の装飾が剥がれていく。
徹底的に破壊された床は、真っ直ぐに立っていられる状態ではない。
少しずつ、氷の盾に亀裂が走る。やがて、悲鳴のような破砕音。
威嚇する虎の如く、スニエークが叫ぶ。
大きな衝撃波が、さらに内部を崩壊させる。
木の葉のように、シキは後方へ吹き飛ばされた。
途中、体勢を立て直し、ひらりと着地。
舞い上がる粉塵の中、揺れる二つの影。
白髪を振り乱し、あちこちにヒビが入ったスニエーク。
いくつもの擦り傷を顔に刻み、血が滲むシキ。
「ワタシハ、シナナイ。……シニタクナイ」
ひび割れた唇から悲痛な声。犬歯を突き立て、スニエークは手を掲げた。
最後の力を振り絞り、自身の周辺のみの気温を、氷点下に変えたのだ。
集まった氷の粒が、昇り始めた朝日に照らされる。
幻想的なダイヤモンドダストが、スニエークを包んだ。
今、壮絶な戦いが終わろうとしている。
柄を握り直し、シキは深呼吸。負ける気がしない。という精悍な顔つきだ。
『迷わず突っ込め、俺が守る』と、勇利の声。
同時に、シキの刀が雷を帯びる。
踵に風を集め、シキは跳躍した。
足を挫いてしまいそうな悪路を、一瞬で飛び越えて。
スニエークの頭上では無数の氷刃が回転し、一つの球体を形成。
いずれも鋭く煌めき、強烈な殺意が込められている。
「オワリダッ!!」
咆哮とともに、一直線に飛ぶ氷刃。無論、避ける隙間はない。
恐れや迷いはない。シキはただ走る。
氷刃の群れが、数メートル前に迫った時──。
雷を纏った燕が、刀から一斉に飛び立った。風を切り、上昇と下降を繰り返す。
燕の体当たりによって、氷刃は撃ち落とされていく。
触れるもの全てを弾く、絶対的な雷の結界だ。
今しかない。とシキは手を掲げた。
生み出された暴風が、撃ち損じた氷刃を叩き落とす。
粉塵を巻き込み、風はだんだんと渦を巻く。
その中を、燕が縦横無尽に駆けては雷が閃く。一つの嵐がそこにあった。
「うおおおおオラァッ!!」
刺突の構えを取り、シキは吠えた。
──その背に、とぐろを巻く龍を従えて。
切先が、スニエークの胸骨を捉える。
そこに核はある。と死闘を経て、シキは確信した。
刺突が胸骨にめり込んだ。バチン。と感電音が鳴り、雷撃がスニエークを貫く。
背中から、何かが弾き出された。一切の混じりけのない、透明な氷の球体だ。
「アアァ……」
途端に、スニエークから力が抜ける。
膝から崩れ落ちる途中、シキと目が合う。
赤い目が水色に変わったあと、ふっと瞼が閉じた。
魚の鱗が剥がれるように、身体中から氷が散る。
骨灰を残さず、瞬く間に消滅した。
──不意に、風が止んだ。
広間の中心だった場所には、シキだけが立っている。
やがて、一筋の光が勝者に差した。
穿たれた天井の向こうには、澄み切った青空が広がっていた。