5-1.兄と妹
ところ変わり、午後八時を過ぎた憲兵局。
ソファに座り、シュッツェはペンを走らせる。
時折、手を止めては独り言を呟いた。
「兄さま……」と、レーヴェが声をかけた。
「……時間切れか」
机から顔を上げ、シュッツェからため息。
「考えがまとまらない」
「かしこまらないで自分の感じたこと、思ったことを言えばわかってくれる」
レーヴェは、水入りのコップを差し出した。
「とは言ってもなぁ。俺には語彙力だとか、対応力がないんだよ」
「大丈夫」と、レーヴェは首を振る。
「難しい言葉を並べたところで、もっとわかってくれないよ?」
「……腹、くくるしかないか」
その時、扉を叩く音。
「時間です」と、アインとシュテルが顔を出す。
「はいよ」と、シュッツェはペンを置いた。
「髪の毛、ぐしゃぐしゃです」
半笑いで、シュテルが手鏡を差し出す。死角から周囲を窺う、偵察用の手鏡だ。
「うわぁ、ひでぇ顔」
鏡に映る自身の顔に、シュッツェは唸る。
目元のクマに加え、うっすらと無精髭。かなり老け込んだ印象だ。
「ちょっと待って」と、レーヴェが鞄を漁った。
取り出したのは、あの化粧箱。
「せめて、クマだけは隠そう」
リキッドタイプのファンデーションを指に取り、兄の目元に塗っていく。
「化粧をする日が来るとはね」と、シュッツェは笑った。
何かを思い出したのか、小さな声を上げた。
「……小さい頃、こうやってイタズラされたな」
「あの時のゲンコツ、すっごく痛かった」
目を細め、レーヴェは頷く。
寝込みを襲った妹が悪いが、妹をぶった兄は激しく叱られたものだ。
ついでにコームを借り、ボサボサ頭を梳く。
浮浪者のような見た目は、いくらか公族らしい威厳を取り戻した。
一同は階段を下り、一階の大会議室へ。捜査会議や会見で使用される場だ。
これから兄妹は、マスメディアに会見を行うのだ。
昼間の騒ぎは『レジスタンスによる暴動』と、国民に通知された。
だが、新聞社やラジオ局は納得するはずもない。
放っておけば推論で記事が書かれ、誤情報で国が混乱する。
そのため、政府が持っている情報を開示する代わりに報道を控えてもらう。
マスメディアと『情報協定』を結び、事態の沈静化を図るつもりだ。
「レーヴェ。お前、本当に大丈夫か?」
扉の前に立つ、シュッツェの表情は硬い。
「大丈夫。自分の言葉で経験を伝えたい」
わずかな瞑目のあと、レーヴェは顔を上げた。
「この局面、兄さまだけに背負わせないよ」
緑色の目には強い意志。
これから吊し上げをくらうというのに、不安の色は皆無だ。
凛々しい妹の横顔に、シュッツェは見覚えがあった。
生き写しだと言われていたが、今日ほど母に似ていると思った日はないだろう。
「お前、母さんに似てきたな」
「兄さまも、お父さまにそっくり」
幼子のように笑い合い、二人は前を見た。
会見場の扉が開く。薄暗い廊下に、一筋の光が差した。