4-4.懐古・二人の反逆者②
「……グロム」と、ヴィリーキィは唸る。
ビエールの宰相にさえ、その名は轟いていた。
サイファの首を手土産に、彗星の如く現れた男。
ヴィリーキィは、強く目を瞑った。
忘れもしない。サイファの首実検に呼ばれたのだ。
首だけになった幼馴染の顔が、鮮明に焼きついている。
「最近は、調べ物にご執心らしいですね」
「国を預かる身として、歴史や文化を知っておいた方がいいだろう?」
鉄仮面は、ヴィリーキィの得意技だ。
「閲覧禁止の本を盗み見するほど、勉強熱心とは知りませんでしたよ」
音もなく、グロムは切先を突きつける。
「皇后様を嗅ぎ回っているようですが、何を調べているのでしょう?」
ヴィリーキィは、必死に思考を働かせた。
面倒な奴に目をつけられた。この男に嘘が通じるとは思えない。
黙ったままでいると、切先が肩に当てられた。
「上等なお召し物を、傷つけたくないでしょう? もっとも、斬るのはスーツだけではありませんが。……もしや、少しずつ刃が食い込む方がいいですか?」
仮面の下の、グロムの目が細くなる。
「……皇后の素性を調べていた」
押し黙っていても、腕を落とされるだけだろう。
死を決意し、ヴィリーキィは口を開く。
「それで、気象兵器というわけですか」
根拠は? とグロムは、古文書を一瞥した。
「『氷の気象兵器』と容姿が似ている。さらに、あの女の嫁入り後、帝国は冷夏や猛吹雪に襲われ始めた。そして、皇帝は心臓発作で亡くなった」
「皇后様が氷漬けにしたとでも?」
「そうだ。ウームヌイは氷点下の日に、寒中水泳をするような奴だ。そんな奴が簡単に死ぬはずがない」
凍った川に引きずり込まれた日々を思い出し、ヴィリーキィは微笑む。
「何をきっかけに死ぬかなんて、わからないものですよ?」
「そうだな。だが、ウームヌイは殺されたに違いない。あの女からは、得体の知れぬ不気味さを感じる。人間らしさが感じられない」
ヴィリーキィは早口で言うと、グロムを睨んだ。
「あの女は帝国を乗っ取る気だ。それどころか、世界を滅ぼすかもしれない。お前はそれでも、あの女に手を貸すのか?」
グロムは黙ったままだ。しかし、刺すような視線は変わらない。
畳み掛けるように、ヴィリーキィはさらに続けた。
「口封じは無意味だぞ。私はこの仮説を、すでに第三者に提供したからな」
牽制を与えよう。という、とっさに出た嘘である。
首や手足が飛ぶかと思いきや、グロムは仕掛けてこない。
両者、睨み合ったまま動かない。
「……嘘なら、ここまで芝居がかったことはしないか」
先に口を開いたのは、グロムだった。同時に、刃が引っ込められる。
「数々の非礼、お詫びいたします」と、深く頭を下げた。
「……どういうつもりだ?」
「スニエークを倒す協力者に相応しいかどうか、あなたを試したのです」
ゆっくりと、グロムは仮面を外した。
切れ長の黒目に、薄い唇。凛とした印象を受ける、東洋の若者だ。
フードを外すと金髪が煌めく。人種的にはあり得ない髪色。
「俺は『雷の気象兵器』です。……あの女を殺すために、この力を手に入れた」
「まさか」と、ヴィリーキィは動揺を隠せない。
「俺なら、あの女に対抗できる。どうです、手を組みませんか?」
「……断る。にわかには信じられない」
差し出された手を、ヴィリーキィは取らなかった。
「でしょうね」と、グロムは苦笑した。
その時、遠くから靴音。司書が様子を見に来たらしい。
「密告はしないので、ご安心ください。じっくり考えて俺と手を組むか、否か決めてください」
一歩下がり、グロムは虚空に手をかざす。
途端に空間が捻じ曲がり、裂け目が現れた。
──地脈。
世界を滅ぼしかけたという、地の気象兵器が持っていた力。
おとぎ話ではなく事実だった。とヴィリーキィは悟る。
「ご連絡、お待ちしています」
裂け目に踏み出し、グロムは姿を消した。
※
首都を抜け、軍用車は北上中だ。
長い眠りから覚めるように、ヴィリーキィは目を開けた。
「……勇利と手を組み、本当に良かったと思っています」
「そうですね。勇利にとっても、幸運だったことでしょう。あっ……」
何かに気付いた様子で、シキは窓を開ける。
街灯に照らされる、細かい雪。
クローネの北端に来たのだろうと、察するには容易い。
「……ここに至るまで、数えきれない人々の日常を奪った。全てが終わった時、私は宰相を辞するつもりです」
「え?」
「勇利はその身をもって、自ら幕を引いた。当然、私にも義務がある」
前を見据えたまま、ヴィリーキィは呟く。
「……己を責めないでください。と言っても、あなたは納得しないでしょうね」
少しだけ思案したあと、シキは口を開いた。
「俺の返答は、戦いが終わるまで待ってください。その時になれば、受け取り方も変わると思います」
「楽しみにしています」と、ヴィリーキィは笑った。
坂を登り切った車の前には、都市の灯り。
光と闇の境界線を、霧のような雪が滑り落ちていく。
「ビエールヘようこそ。今日はゆっくりと休んでください」