5-1.原点
あっという間に休息は過ぎた。
小鳥がさえずる前に、シュッツェ一行は自治区を発つ。
「途中で食べてね」とカロスは、バスケットをアインへ。
中には焼き立てのクルミパン。ほのかな温かさと漂う香り。
淡いピンク色の、イチジクのジャム瓶も添えられてある。
「朝ごはんは、抜いちゃダメ」
気をつけてね。と笑い、孫を抱きしめた。
「……ありがとう」
祖母の小さな背に手を当て、アインは頷く。
「車はあとで取りに来ます」
シキは、東西南北を駆けた相棒たちを見た。
「いつでもお立ち寄りください」と、住民が胸を叩く。
行ってらっしゃい。お気をつけて。
いくつもの声を背に受け、一行は馬車に乗った。
※
空は青い。が木々に阻まれ、森の底まで光は届かない。
朝の冷気が立ち込めるイチジクの道を、幌馬車が走る。
馬車を牽くのは一頭のペルシュロン。
鈍重な息遣いとともに、白い息が消えていく。
サラブレッドのような華奢な体格ではない。
中世では重装兵を乗せ、戦場を駆けていた。
「美味しい」
クルミパンに、レーヴェは顔を綻ばせた。
塩っ気のある生地に、イチジクのジャムが抜群に合う。
「舌、噛むなよ」と、シュッツェ。
砂利道を走る馬車は、上下左右にガタガタと揺れる。
「道が荒れていますね。クローネに赴くことがなくなり、手入れが行き届いていません」
手綱を操り、ラトは目を細めた。
伸び放題の枝が幌を撫でる。
帆布は強いが、速度を出せば引っかかってしまうだろう。
「しっかし、よく開拓したよね」
馬車の前を歩くネロは、拳大の石を蹴った。
小さな石でも、乗り上げて横転する危険がある。という心遣いだ。
「竜人が森を切り拓くなんて、意外でしょう?」
「まぁね」
「木が生えていれば、良いというわけではありません。間伐して木を育てる必要があります」
ラトは木漏れ日に手を伸ばし、ゆっくりと握った。
「光がなければ、私たちは生きられないのですよ」
パライ人は視床下部が未発達であり、日光浴は欠かせない。
「クローネが元に戻れば、また森を育てることができます」
「……ん?」
その時、静かに耳を傾けていたシキが顔を上げた。
ひらりと荷台から降りる。
「シキも気づいた?」
折れた枝を藪に放り、ネロは笑った。
馬車は停まり迫る何かを待つ。朝靄の中から現れたのは一羽の隼。
閃光とともに人の足が地面へ。昨夜、クローネへ向かったケラヴノだ。
「どうだった?」と、ネロが問う。
「エフティという娘に会い事情を説明した。潜入を手引きしてくれるそうだ。それと迎えも寄越すと」
その言葉に、一同は安堵の表情だ。
「勝手ながら合流場所を決めさせてもらった」
ケラヴノは、西の空を見上げた。
「エーヴィヒカイト城で落ち合う」
しん。と静まり返った。各々が吐く息だけが、天へ消えていく。
「……ははっ」
赤くなった鼻に手を当て、シュッツェが笑った。
「ここまで来ると、運命ってやつを感じるな」
始まりの場所への回帰。
かつての公世子であれば、躊躇していただろう。
「行きましょう」と、レーヴェも力強く頷いた。
「悪いが、私は休ませてもらう」
ケラヴノは球体へと姿を変え、フィラメント電球へ。
「そうとなれば、急ぎましょう」
ラトは手綱を上下に揺らし、ペルシュロンに伝達。
車輪が軋み、馬車が動く。
森の底にはいつの間にか、柔らかな光が届いていた。