1-2.『心』にて
眼前には、際限なく広がる草原。
耳を撫でる風に、身をほぐされるような優しい陽光。
そこには、シキしかいない。
またここか。とため息混じりに、白い東屋を見上げた。
その時、背後で足音。この世界で、シキ以外に存在する者は一人。
老人の姿を借りた、気象兵器である。
予想は外れた。振り返った先には、一組の男女。
男は茶髪に青い目。隣には、黒髪を束ねた女。
「グレンツェン」と、男が口を開いた。
「なん、で……」
うわごとのように、シキ──グレンツェンは呟く。死んだはずの両親が、そこにいた。
「怖がらなくていい」
父──リッターの、深みのある温かい声。
「大きくなったね」
母──朝陽の、鈴を鳴らすような声。
目をこすっても、頬をつねっても変わらない。困惑気味に、グレンツェンは一歩踏み出す。
「幽霊?」
「幽霊か、その通りだ」
豪快な笑い声を上げ、リッターは頷いた。
「どうしてここに?」
「あなたを、元気づけようと思って」
微笑むと、朝陽は夫と目を合わせる。
「嘘だ。都合のいい夢だ」と言いつつも、グレンツェンの目は泳ぐ。
もう一度会いたい。という幻想を抱き、今まで生きてきた。
「子供が壁にぶつかった時、支えるために親はいるんだ」
そうだろ? とリッターは手を伸ばす。
疑心暗鬼のグレンツェンが感じ取ったのは、ぬくもりと重み。
「……ずっと、会いたかった」
「俺たちもだ」
グレンツェンの本音に、両親は破顔した。
「大きくなりやがって」
父は潰れるほどに、息子の体を抱きしめる。体を離したあと、寂しそうに目を細めた。
「……あの化け物、俺には倒せなかった。でも、今のお前なら大丈夫だ」
暗い雰囲気を吹き飛ばすように、グレンツェンの肩を叩いた。
「あなたなら、今度こそ勝てる」と、母も力強く頷く。
「ここで、油を売ってる暇はないぞ! さっさと戻れ」
「仲間が待っているんでしょう?」
「……あぁ」と、グレンツェンは天を仰いだ。
もう、他に激励はいらない。
「ありがとう」
父譲りの青い目に、生気が宿る。まるで、天高く燃える炎のよう。
「お前からの感謝、初めて聞いたな」
茶化すも、リッターは嬉しそうだ。
「私たちは、いつだってそばにいる。あなたは、私たちの誇りよ」
朝陽は、我が子を優しく抱きしめた。ふわりと、沈香の香りが広がる。
抱擁ののち、グレンツェンは一歩下がった。
「さようなら」と、あえて別れの言葉を告げる。
幻影と、暗い過去から決別するために。
グレンツェンは、両親に背を向けた。
いくつもの光が、手を伸ばすように降り注ぐ。
──もう振り返らない。
涙を堪えるためか、決意のためか目を閉じた。
逃げ込んでいた『心』から、現実世界へと踏み出した。