表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/145

3-1.傀儡の巣窟から

 静まり返った、憲兵局の一室。

 

 書類から目を離し、アインは時計を見た。時刻は午後八時を回っている。


 意識を移すと、集中力が切れてしまった。書類を放り、アインはまぶたを押さえる。

 こめかみと目の奥が、鼓動に合わせて痛んだ。

 

 簒奪さんだつの事実はその日のうちに、国中を駆け巡った。

 外遊に出ていた首相が帰国し、閣僚と議員たちが議事堂に集結。


 しかし、すべてが手遅れだった。

 すでに、ビエールの師団が入り込んでいた。

 武力行使をちらつかせ、行政・立法・司法を黙らせた。


 憲兵局にも、多くの兵が送り込まれた。

 アインは警護官の任を解かれ、警護課も解体。

 皮肉にもビエール傘下の憲兵として、デモ鎮圧に駆り出されている。


 あれから一週間。抑圧されてはいるが、国内は落ち着いている。

 しかし、連行される兄妹の背が、アインの脳裏から離れない。

  

 今日は寝よう。と書類を片付け始めた。その時だった。


 扉を叩く音に、アインは動きを止めた。

 こんな時間に誰だろうと、首をかしげる。


「入っていい?」

 扉越しに聞こえたのは、気の抜けた声。返事を待たずに扉が開く。


 カーキ色の詰襟つめえりに身を包んだ、男が入室した。

 その姿から、ビエール兵だと確信できる。

 赤みがかった茶髪に、大きな目が印象的だ。


「アイン・フェヒターさんだよな? 迎えに来たんだけど」


「誰だ」

 長身が迫り、アインは身構えた。


「質問はあとにしてくれ。時間ないから。最近は泊まりがけらしいな。荷物、あるなら持ってきて。外で待ってる」


「ちょっと──」


「急いでね」

 言葉とは裏腹に、動作や口調は緩慢だ。

 質問を一切受け付けず、男は廊下へ出た。


「……何なんだ?」

 我に返ったアインは、独りごちた。


 だが、ここで考えあぐねていても仕方がない。

 男の指示通りに、仮眠室からトランクを持ち出す。


 簒奪後、夜間に呼び出されることが増えた。

 いちいち出勤するのも面倒なので、現在は仮眠室で寝起きしている。

 アインが家に帰るのは、洗濯やゴミ出しといった、家事を済ませる時だけだ。


 最後に机の引き出しを開けた。手に取ったのは憲兵バッジ。

 全てを奪われたアインが、まだ持っている矜持きょうじの証。


 電気を消し、男が待つ廊下へ出た。


「俺はビエール兵()()()、あんたを家まで送る。俺の言ってる意味、わかる?」

 壁にもたれていた男が、声を潜めた。


 アインは無言で頷く。疑問を浮かべるも、口には出さなかった。


「行こう」と、男が歩き出す。


 二人分の足音が、廊下に反響した。

 アインはふと、緊張していると自覚した。心拍数が上がり、手のひらが汗ばんでいる。

 無機質な廊下を歩いていると、気が遠くなるような錯覚に陥る。


 だが、足を止めてはいけない。

 この男について行けば道が開くと、第六感が訴えている。


 廊下を早足で抜け、エントランスへ出た。車寄せには一台の軍用車。


 アインは助手席に座り、サイドミラーに映る憲兵局を見た。

 治安維持の砦は陥落し、今は傀儡かいらいうごめく巣窟でしかない。

 ここから抜け出すことを渇望していた。

 

 しかし──。

 いざ現実に直面すると、歓喜よりも不安が心を支配している。


「そんな顔するな。『家に帰る』だけだろ?」

 ハンドルを握る男が、声を上げた。


 視線の先には検問。

 アインの顔を見るなり、兵士は胡乱うろんな目つきになった。


 男はサイドブレーキを上げ、流暢りゅうちょうなザミルザーニ語を発する。

 通行許可証と身分証を提示した。


 何度か頷くと、兵士はバリケードを開けた。すぐに車が動き出す。


 角を曲がり、検問の灯りが見えなくなった。

 アインは大きなため息とともに、ヘッドレスに頭を預けた。


「ドキドキしたか? もしかして、派手な脱出劇でも期待した?」

 茶化すように男が笑う。


「どういうつもりだ? 君は何者だ!?」

 呼吸を整え、アインは語気を強めた。


 つい十五分前まで、憲兵局にいた。兄妹の身を案じ、己の非力さを呪っていた。

 当然、事情が飲み込めていない。


「落ち着けって。質問に答えるから。な?」


「……名前は?」

 渋々、アインは正面を向いた。


「アウル。ラストネームはない」


 夜目が効かない鳥とは違い、夜行性の猛禽類。

 本名とは思えないが、アインは詮索を止めた。


「あんたはアイン・フェヒター。フェヒター家って、大金持ちなんだろ?」


「家も財産も接収された。今はただの没落貴族さ」

 自嘲気味に、アインは笑う。


「君が私に接触した理由は、何となくわかる。……君は何者だ?」


 核心に触れる言葉に、アウルの整えられた眉が動く。


「傭兵」


「……ん?」


「だから、傭兵だって」


 傭兵とは、自国の軍に属さない兵士。

 現在は『民間軍事会社』の名で活動している。


「……だとすると、雇い主がいるはずだ」

 顎に手を当て、アインは鋭い目つきになった。


「鋭いね。俺の独断だとか思わないの?」


「こんな国難に個人が動くわけがないだろう。それとも君は傭兵じゃなく、慈善活動家か?」


「あんた、冗談とか言うんだ?」

 皮肉に反し、アウルは大ウケしたらしい。ハンドルを叩き大爆笑。


 茶色の目が、フクロウの如く見開かれる。


「依頼者はレーヴェ・ネイガウスって女の子。あんた、よく知ってるだろ?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ