第4楽章 「終曲~改められた呪曲の余韻」
ママの真意が分かったのは、それから数週間後の事だったの。
ママの伝手で同行させて貰った女性ピアニストの集まりで、私は加東梢美さんの元気な姿にお会いする事が出来たんだ。
「素敵なアレンジだったじゃない、梢美ちゃん。」
アサリのボンゴレビアンコをフォークで器用に巻き取るママの手つきは、娘の私が見ても惚れ惚れする程に美しい。
「ありがとうございます、笛荷先輩!」
螺旋状にカールしたフジッリのクリームパスタを口に運ぶ梢美さんも、思わず見とれしてしまう程に上品だけどね。
浜寺公園に程近い、お洒落なイタリアンレストラン。
そこの奥を借り切った女子会の話題の中心は、梢美さんが手掛けた「組曲・吸血鬼の遺伝子」のジャズアレンジ版の出来映えだったの。
ママは梢美さんに、「上映会で生演奏する時は、何らかのアレンジを加えるように。」という忠告をしたんだって。
あの夜にママが言っていたのは、この事だったんだ。
「お客さんの評判も上々だったみたいね。流石は堺音大OGが誇るジャズ奏者よ。」
ママが言う通り、梢美さんはジャズ方面に才能があったから、アレンジ版のクオリティは素晴らしい物だったの。
「お客様に生で御聞かせするのは、先日の堺電気館での上映会が初めてだったのですが…皆様に御満足頂けたので、本当に励みになりましたよ。」
敬愛する先輩であるママに褒めて貰えて、梢美さんったら嬉しそうだよ。
どうやら例の堺電気館での上映会は、このジャズアレンジ版の御披露目も兼ねていたみたいだね。
あの「組曲・吸血鬼の遺伝子」は、サイレント映画「吸血鬼の遺伝子」の伴奏として原曲通りに生演奏をする事で、呪物として正常に機能するみたい。
そのため、生演奏をせずにサウンド版のフィルムをかけたり、生演奏をするにしても何らかのアレンジを加えたりと、どこかの条件をずらしてあげたら、それで大丈夫らしいの。
必要な条件を1つでも欠いたら、呪いとして成立しない。
まるでコンピューターのプログラムみたいだね。
念には念を入れて、梢美さんはアレンジ版を世に出す前に、原曲の作曲家を始めとする犠牲者達の菩提寺への御参りや御祓いも行ったんだって。
ちょうど、「四谷怪談」を題材にした歌舞伎を上演したり映画を製作したりする時には、お岩さんをお祀りした稲荷神社にお参りするような物かな。
このジャズアレンジ版「組曲・吸血鬼の遺伝子」は、映画「吸血鬼の遺伝子」のフルプライス版DVDに音声トラックとして収録されたり、生演奏付き上映会が全国各地の名画座で企画されたりと、かなりの高評価を得たようなの。
-曰く付きの曲も、正しく向き合えば人々を楽しませる音楽になる。「呪いの曲」として封印したら、それこそ曲が浮かばれない。
ママや梢美さんの言うのはもっともだし、一見すると呪いが克服されたように思えるよね。
だけど私には、どうにも気掛かりな事があるんだ。
それは、ここ最近の梢美さんの音楽活動が、ジャズアレンジ版「組曲・吸血鬼の遺伝子」一色になっている事なの。
今は「吸血鬼の遺伝子」のリバイバルが受けているから良いけど、リバイバルブームが去ってからが心配だね。
下手に「『組曲・吸血鬼の遺伝子』をジャズアレンジした人」というイメージで認識されたら、他の仕事がやりにくそうだもの。
「特定のイメージで固定されるのも、表現者としては呪いなのかもなぁ…」
そう呟いた私は、本棚から「吸血鬼の遺伝子」のDVDを手に取った。
モノクロのジャケットの表面には、加東梢美さんのサインが記されている。
それが梢美さんにとって、悪魔との契約のサインにならない事を祈るばかりだ…