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第3楽章 「転調~母娘の生命の秘密」

 話を聞き終えた私は、テーブルの天板に置かれたアナログレコードから、思わず目を逸らしてしまったの。

 さっきまでは普通に直視出来たアナログレコードなのに、今では不気味で悍ましい代物に見えてくるよ。

 盤面に刻まれた螺旋状の溝から、今にも妖気が噴き出てきそうだね。

「でもさ、ママ…それって偶然じゃないの?」

 だから私は、半ば無理に笑いながらママに問いかけたの。

 居間に漂う不気味な沈黙を、強引にも打ち破りたかったんだ。


-映画関係の不幸に注目したから、呪いのように見えるだけ。

 そうやって私は、合理的に考えようとしたの。


 だけど、ママの美しい横顔には深刻な影が下りたままだったの。

「その時に事故死したピアニストの名前は、笛荷栄江(ふえにさかえ)。つまり私なのよ、興奈…いいえ、千恵子。」

「うっ…!」

 久々に呼ばれた、私の昔の名前。

 誰にも内緒だけど、笛荷興奈と名乗っている私こそが本当の千恵子で、私が今「ママ」と呼んでいる人の身体には、元々は私の魂が入っていた。


-美貌の名ピアニストである笛荷千恵子には、笛荷栄江という早世の天才奏者である叔母が存在した。亡き叔母を敬愛する千恵子は、その音楽的センスを忠実に継承している。


 そう世間は理解しているが、実態はこうだ。


 私こと笛荷千恵子は、亡くなった栄江叔母さんの演奏に惚れ込み、彼女の霊に自分の身体を差し出す事で現世に蘇らせた。

 私の身体を得た栄江叔母さんは「笛荷千恵子」と名乗り、ピアニストとしてプロデビュー。

 そして大学時代から交際していたチェロ奏者と結婚し、妊娠した女の胎児に私の魂を固定させた。

 そうして以前の自分の身体から再び現世に産まれた私は「笛荷興奈」と命名され、元の私の身体と名前を使って生きる叔母を「ママ」と呼んで慕っている。


 かつては叔母と姪だった私達は、今では母と娘であり、共犯者でもある。

 あの時の自分の選択を悔やんだ事は、ただの一度だってない。

 それまでの半生や人間関係を身体ごと差し出し、「本来の自分」の娘として一から人生をやり直す羽目になったが、崇敬する叔母の演奏を現世に蘇らせる事が出来るなら、代償としては安すぎる位だ。


 しかし、叔母の霊魂に身体を差し出すという自身の行動を振り返ると、呪いのような超自然的現象を無闇に笑い飛ばす事は出来なくなってしまった。

 何せ、呪いの犠牲者が目の前にいるんだから。

「居眠り運転のトラックに轢かれる瞬間、『吸血鬼の遺伝子』の旋律が聞こえてきたの。この組曲は、関わる者に呪いを運ぶ悪魔のメロディーなのよ。」

 古いレコードを手にしたピアニストの美しい指先は、微かに震えていた。


 そしてどうやら、私も元に戻っていたらしい。

「もしそうだとしたら、この梢美さんも危ないんじゃ…忠告はしなかったの、栄江叔母さん?」

 興奈ではなく、本来の「笛荷千恵子」としての人格に。

 チェロ奏者の父は別のオーケストラのエキストラ演奏で帝都に出張中だし、祖父と祖母-栄江叔母さんに身体を譲る前の私が、「両親」と呼んでいた人達だ-は四国寺社巡りのバス旅行中。

 私達の話を聞く者がいなかったのは、幸いだった。


 ガラス細工のように華奢な首を左右に振る事で、叔母は私に応じてくれた。

「したわよ、何度も…私が笛荷栄江だった頃の死亡事故も引き合いに出してね。」

 自分自身の体験談としてではなく、親戚の不幸として。

 不信感を抱かれないようにするには、そう伝えざるを得ないだろう。

「でも、梢美さんは頑として生演奏に拘ったの。あの時の私みたいに…」

 完成度が非常に高い「組曲・吸血鬼の遺伝子」は、奏者としては観客達の前で演奏したくなる曲らしい。

 それも、サイレント映画のフィルムをスクリーンにかけた、生演奏付きの上映会という形で。

「この曲には、奏者を惹き付ける魔力があるのかな?」

 レコードを見つめる自分の声が、それとハッキリ分かるほどに震えている。

 生演奏への欲望を抱いた時点で、奏者達は呪いにかかっていたのだろうか。

 栄江叔母さんも、そして梢美さんも…


 以前にも増して、重く沈んだ居間の空気。

「でも、多分大丈夫だと思うの。梢美さんが私の忠告に従ってさえいれば。」

 それを変えてくれたのは、美貌のピアニストが見せた気品ある微笑だった。

「どういう事なの、栄江叔母さん?」

 私の問い掛けに栄江叔母さんは答えず、本来は私の物だった顔に意味深長な微笑を浮かべるだけだった。

「もう寝なさい、興奈。明日は学校なんでしょ?」

「分かったよ、ママ…」

 束の間だけ素顔を晒した私達は、再び母と娘の間柄に戻っていた。

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