第2楽章 「暗黒組曲~銀幕界と音楽界の忌むべき伝説」
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
コンサートから帰宅して一息ついたママに尋ねてみた所、やっぱり私の記憶に間違いはなかったの。
「よく覚えていたわね、興奈。あれは確か、卒業生のホームカミングコンサートね。学生時代の面識は無いけど、梢美さんは私の後輩にあたる子よ。」
テーブルに広げた例のチラシを、ママは懐かしそうに見つめていたんだ。
「生演奏付き上映会…何事も無ければ良いけど…」
だけど次の瞬間、ママの気品ある美貌には不安げな影が下りてしまったの。
「どういう事、ママ?お客さんは、『曰く付きの映画』って言ってたけど…」
ママに聞いた所、この「吸血鬼の遺伝子」という映画は、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」の舞台を明治末期の日本に移したリメイク物で、伴奏曲である「組曲・吸血鬼の遺伝子」共々に大評判だったらしい。
「普通に有名になったなら別に良いんだけど…この映画と伴奏曲には、妙な噂が囁かれているのよ。少し待っていてね、興奈。」
居間を後にしたママの言葉によると、映画「吸血鬼の遺伝子」や、その伴奏曲である「組曲・吸血鬼の遺伝子」に関わると、何らかの怪現象が起きるらしい。
書庫から戻って来たママが抱えていたのは、古びたアナログレコードだったの。
「特にいけないのは、この伴奏曲よ。」
険しい形相をしてタクトを振り上げる指揮者の上半身が大写しになったジャケットには、おどろおどろしく歪んだ書体で「組曲・吸血鬼の遺伝子」と赤色で印字されていた。
「聴くだけなら大した害はないんだけど、深入りすると危険なの…」
プレイヤーにレコードをセットし、螺旋状に刻まれた溝へと針を落とす。
サイレント映画時代に収録されたという事もあり、時代がかった古めかしい曲調だった。
暗く沈んだ陰鬱な演奏は、ホラー映画にピッタリだ。
「何なの、この曲…背筋がゾクッとするような…」
無意識のうちに鳥肌が立ち、身体がブルッと震えてしまう。
それでいて、蝸牛神経や脳の奥に直接響くようなダイナミズムも感じられて、思わず聞き入ってしまう程の魅力に満ちた曲だったね。
レコードの再生が終わっても、私は直ぐに声を出せなかった。
座って聴いていただけなのに、こんなにエネルギーを消費するなんて。
「伴奏曲の作曲家が楽譜を書き上げた直後に自殺を遂げたのが、全ての始まりだったの…」
危険な魅力に満ちた組曲の余韻が、私達の居る部屋から去ったのを見計らい、ママは重々しく口を開いた。
「続いて、錯乱した音響監督が主演女優をメッタ刺しする傷害事件を起こしているわ。音響監督は獄死。主演女優は一命を取り留めたものの、銀幕から引退せざるを得なかったの。」
相次ぐ事件が話題を呼び、怖い物見たさの観客が詰め掛け、皮肉にも映画は大ヒットを記録した。
しかし、今度は上映する映画館で怪事件が連続したらしい。
不審火による劇場の全焼に、売店のソフトクリームが原因の集団食中毒。
一番多かったのが、生演奏を担当していた奏者達に起きた不幸な事件なの。
恋人と心中したり、劇場からの帰り道に酔漢との喧嘩で刺されたりして、音楽人生どころか命まで失う者もいたとの事だ。
「初演時のベルツリー奏者の最期は、未だに語り草になっているわ。愛用のベルツリーを抱えて、ビルの屋上から真っ逆さまに飛び降り自殺。その死体は、理容店のサインポールに頭から突き刺さっていたらしいの。」
そんな異様な死に様では、きっと遺族も遣り切れないだろうな。
ところが、音声トラックに劇伴が録音されているサウンド版のフィルムをかけていた場合は、特に何事も起きなかったらしいの。
そのため、この映画の上映はサウンド版に限られ、生演奏付きの上映は敬遠されたみたい。
やがてトーキー映画が主流となり、サイレント映画が過去の文化となる事で、この映画に纏わる呪われた事件は忘れられていったの。
「ところが今から40年程前。映画評論家に再評価され、この映画は再び日の目を見たの。そして呪いの歴史も再び動き出した…」
それでも、サウンド版の上映や映像ソフト化に関しては、これまで通り何事も起きなかったみたい。
しかし、封切り当時を忠実に再現した生演奏付き上映会で、ついに最悪の事件が起きてしまったの。
生演奏を担当したプロデビュー直前の女性ピアニストが、帰宅途中で交通事故に遭って即死してしまったんだ。