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永和の曙光  作者: 更紗 悟
第一章
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昂・三


     昂・三


「御不在か……」

 リウは落胆のため息を付いた。

 ここは云堂(うんどう)と言い、素真(そしん)を敬う者達が、伝視(でんし)と呼ばれる者達にその言葉を仲介してもらう場である。

 昂国には古い伝承がある。万物は火・水・気・物といった微細な素から成り、その素が集まって素真となり、様々な現象を起こしていると信じられている。普段は眼に見えない火の素が集い、素真となれば炎となり、それが昂じて異常な状態・禍形(まがり)となれば大火となる。

 人や動物といった混成(まなり)の体もまた、比較的大型の物の素が結集し、その間を水の素が流れ、気の素が循環を為し、火の素が熱を生み出してできている、とされる。

 はるか昔、人でありながら素を操り、万物を自在に改変できた者がおり、それは組成士と呼ばれていた。その技は失われたとされるが、一部の力は伝視に伝わっている。ただし、その力は対マガリにのみ用いられる。表立っては、マガリが顕れた際、説得を試みる程度の力しかないと思われている。

 リウは邦司を継ぐ使命があったが、それまではゲンカクを師として、伝視の教えを学んでいた。近くまで寄ったので、その恩師に会いたいと思ったが、ゲンカクは不在だった。会う約束をしていた訳ではないし、師が時々ふらりと何処かへ行ってしまうことも承知だ。それでも、できれば顔を見て、話をしたかった。

 それほどリウは、先日のことを不甲斐なく思っている。

 アデオに駆けつけ、愕然とした。想像以上の惨状に、ありえないことだと放心しかけるが、何とか気を取り戻した。

 けれども、老人が危惧していたように、リウはほとんど何もさせてもらえなかった。まだ着任して数年の若僧ではあるが、リウは昂民の代表たる邦司である。それなのに、リウは歓迎されず、むしろ邪魔者扱いされた。

 民が傷付いているのだ。その救護を指示するのは当然だ。それなのに支士たちは、自分達の眼が届かない所に人が多く集まる事を嫌った。釣られて昂民が暴動を起こす事を恐れていたのだろうが、今はそんな場合ではないとリウは声を荒げた。とにかく仲間たちを助けさせてくれと。

 しかし、支士は聞き入れず、集まってきた民は護士達により散らされた。そして、遺体の運搬などの用にだけ、力を貸せと要求してきた。

 怒りが満ちてくるが、今、自分が暴れれば余計に酷いことになる。自分の微かな発言権は取り上げられるだろうし、この事態は非協力的な民の所為で悪化したと責任を押し付けられる可能性もあった。

 リウは堪え、少しでも状況が改善されればと苦心した。

 状況が落ち着き、司館のあるエントまで戻ってきた折、ふと通い慣れた云堂を眼にして、つい師に甘えたいという気持ちになった。だが、無情の不在である。

「ということは、早めに退散した方が良いな」

 師の不在を告げ、少々お待ちくださいと奥へ消えた見習いがまだ戻って来ないが、リウは腰を上げた。師がいないならば、できるだけ顔を合わせたくない者が、代わりにいるはずなのだ。

 邦司様の来訪を告げることが気の利いたことだと勘違いした小僧が、すでに伝えてしまったようだ。リウを呼び止める不機嫌そうな声が聞こえた。

「そんなに急いで、どこへ行く? やはり、副業が忙しいということかな」

 振り返ると、巨漢がいた。腕を組み、眼を細めてリウを見ている。

「御久しぶりです。ゴオキ様」

 リウは、先知(せち)(兄弟子)に当たるゴオキに、頭を下げた。ゴオキは微かな頷きで、リウに応じた。

「すでに何も教わる必要も無い者が、一体何の用だ?」

「それは違います。私は未熟者です。知らないことが、山ほどあります」

「ふん。すでに秘義・知真掌(ちしんしょう)を会得したので、もうここには用が無いと豪語した、と聞いたぞ」

「決して、そのように筋違いのことは申しません。技の一つや二つ、覚えた所で、何を誇ろうというのです。それに、私には役目がありました。幸い、ゲンカク様からご配慮を頂き、今はそちらに専念せよ、と申し付けられました。こちらに足遠くなったのは、私の怠慢ゆえです」

「それも、自慢に聞こえるぞ? 己は他と違うと。二足の草鞋を履きながらも、二つともこなしてみせる、とな」

「とんでもない。民の私に向ける眼差しが、私の不足を示しています」

「ふん、それは、そうだろうがな」

 顔を合わせる度にぶつけられる侮辱の言葉は、相変わらず減らない。

 入門した頃は、兄弟子として、素直にリウの成長を喜んでくれていた。共に励み、技を高めるのだと、気負ってもいた。良き先達に恵まれたと、リウもゴオキを慕っていた。

 先知であるゴオキを差し置いて、リウが深奥の技を教えられた時にも、まだ態度は変わらなかった。才能の差を認め、素直に深奥に至れた事を喜んでくれていたのだ。そんなゴオキがリウを見下し、皮肉を言うようになったのは、リウが父の後を継ぎ、獅鳳の司となるべき準備を始めた頃からだった。

 邦司といっても、数十年前ならともかく、今の獅鳳は貧弱である。その司も、民を導く立場というより、民の不満をぶつけられる先、というほどの力しかない。その立場を継いだからと言って、権力を得る訳ではない。贅沢な暮らしなど望めるはずも無い。始終見張られ、少しでも増長しようものなら、ほれみたことかと吊るし上げにされる。鵬家はここ三世代、そうした立場にある。

 それはゴオキも承知であるはずだが、向けられる態度は一転して、冷たいものとなった。

 ゴオキが、探るような眼をしてリウを見る。

「リウ、お前、迷っているのではないか?」

「迷い? 私に?」

「だから師に会いに来たのだろう? その腹に巣食った不穏な考えを実行するにはどうすればいいかと、聞きに来たのではないか」

 あらぬ疑いをかけられ、胸の奥で熱い毒が生じたようであるが、リウはそんなものは無きものと振舞い続けた。

「確かに、溜まった悪い物を吐き出せればと、ここを訪れたのですが……。しかし、そのお言葉は幾らなんでも酷すぎます。私は、何も不穏なことなど考えていません」

「そうか? 本当に、動くつもりは無いのだな?」

「不動。それは私の誓いです」

 リウには、上と下からどれだけ言われようとも、過激な行動を起こすつもりはない。動けばどうなるというものでもないと、現状を分析している。また、もはや祖国など存在しないというのに、同じ土地だからと戻ってこようとして、悶着を起こしてばかりの荒斗への不信もある。

「ふん。祖父の血が流れているのは確かだからな。暴れ出すのは決まっている。それがいつなのかという、時間の問題なのだろう」

 祖父を侮蔑された形だが、リウは応えない。

 こうした挑発にまともに向き合い、それで感情が昂ぶれば、どちらかの平静を崩す。その結果は、ろくなことにならない。

 自分が耐える事で、何事も面倒が起こらないのであれば、リウは我慢できた。

 ひとしきりゴオキの皮肉を聞き流した後、リウは云堂を後にした。


     *


「触るな、穢れる」

 そう言い放ったエナカは、嫌悪に満ちた表情だった。向けられると酷く不快になる顔だが、こういう顔をリウは良く見かける。

 他でもない、自分もまた、しているかもしれない。それは、昂民が荒斗による害を受けた時、彼らを蔑む時に出るものだ。

 リウは仮にも邦司、昂民からそのような扱いをされる道理はないが、祖父の件がある。あの事を恨んでおり、その係累であるリウに感情をぶつけてきたのだと最初は思った。だが、それはリウの勘違いであった。

 リウは、何とかエナカと話し合えるように、心を砕いていた。だが、エナカは冷たい眼でリウを見下してくる。

「お前は本当に、あの人の血を引いているのか」

 あの人とは、リウの祖父ズウ・鵬の事だった。エナカは、邦に迷惑をかけたズウを否定する所か、むしろ、逆に改革を望んで動いた事を評価していた。そして、自身も同じように大きな動きを為す事を望んでいる。

 それを知って、リウはなるほどと思った。逆の対応をしていたのだから、嫌われるはずだ。しかし、そうと知っても、エナカの態度は軟化しなかった。彼の願うように行動する事はできない話だから、無理もなかった。

「私は、確かに祖父の血を引いています。だからこそ、その子孫である我等は、少しでも民の安寧を取り戻すよう、努力を……」

「ならばなぜ、立ち上がらない?」

「それは……」 無茶を言うなと、喉まで出かけた言葉をリウは飲み込んだ。

「あの人の後を継いだというのならば、同じ志を持って、同じ活動をするべきではないのか。確かに民の生活は下落した。彼らを励まし、少しでも豊かにしようとする心掛けは良い」

「でしたら―――」

「だが、お前は、あの人の血を引くお前は、他にやるべきことがあるはずだ。途中で挫折したが、あの人の志を間違ったものとされたままで良いのか。お前が動き、続きをなし、正しい行為だったと証明すべきではないのか」

 エナカは、祖父を崇拝している。その考えを継ぎ、日向人の統治を疑い、この地を自分達のものに取り戻すのだと主張している。

 確かに昂民は邦に押し込められ、軽い扱いを受けている。不条理を受けて、苦しんでいる。荒斗も昂民も同じで、まともな人として見られない。ただ飼っているだけ、搾取して問題のない、家畜だと思われている。

 日向人の援助のおかげで生存でき、生活圏を再び広げられたというのは事実だ。衣服や日用品だけでも、工佐部の指導がなければ十分な数を得られず、日本から大量に仕入れて、ようやく野人と区別ができているくらいだ。

 だが、幾らなんでもこの扱いはないのではないか。そう言って、気を吐く昂民もいる。

 いくら大恩ある日向人といえども、暴挙が過ぎる。まるで、取り上げる為に与えて、そして十分な実りが期待できるようになった途端、収奪されているようではないか。

 許せない。このままではいられない。変えてやる。モゼンのように、我等は立ち上がり、闘うべきだ―――。

 獅鳳にもそういう過激派はいて、その代表とされているのが、このエナカ・ギだ。


 何とか、彼らを説得せねばならない、とリウは気を揉んでいる。

 昔からこういう権力に立て付こうとする者達はいる。ゆえに真府には四検という監視機関があり、その内の人検(じんけん)という部門から検見が送られて来る。捕まった者達は、実際大なり小なり活動していたのだろうが、処罰は大概厳しい。おそらくは見せしめの効果を狙って、罪状を過大に評決されるのだ。

 もし、本気で日向人に害を為すような活動をし始めたら、と思うとぞっとする。たとえば、九辛と同調されたら最悪である。

 九辛はただ殺戮を楽しんでいる非道の集団であるという噂は本当だった。

 町を襲撃して、住民を血祭りにする。略奪のためでもない。占領のためでもない。何の主張も無い。ただ、死を量産して行く。

 折角正しく暮らしているのに、彼らと同様の過激なことを考えているなどと思われたら、災難である。人検は関係した邦の昂民をも罰するのである。

 リウの内心を知りもせず、エナカは挑戦的な目で言う。

「それとも、リウ殿は、日向人により何か甘い香りでも嗅がされているのか」

「まさか、そんな。今はとにかく民の信頼を取り戻すことに専心すべき時なのに、そのような道徳に悖ることなど致しませぬ」

 ふん、とエナカは鼻で笑う。リウに秘密があると決め付けているようだが、何かの確信があるのだろうか。

「何か人に言えない副業でもしているのではないか? 最近、近辺の荒斗の数が減っているというが」

「そうでしょうか。誰も真剣に奴らの頭数など数えないでしょう。気のせいです。増えすぎない限りは、気にする必要も無い」

「そう。それを逆手に取り、そうした者たちを用いて、稼いでいるのではないか」

 つまり、エナカの疑念とは、リウが荒斗を寄せ集めて、何らかの活動をさせているというものだ。公には秘密で、己の私腹を肥やすために。

「エナカ殿。確かに、我が祖父の罪は重いものです。だからこそ、私はその罪を(そそ)ぐため尽力しているつもりです。それなのに、よりにもよって、民を裏切るような行為を、私がしていると―――」

「民と言っても、いるはずのない者達、荒斗だ。確か、お前は荒斗を認めないという立場であったな」

「それは、勿論、邦を司る者として、民の安寧を脅かす輩は許容できません」

「だからと言って、何をして良いとも思わないがな」

 エナカは探るような眼でリウを睨む。最近何故か、こうした疑いをかけられることが多い。何が原因だろうかと、リウは気になっていた。

「……ふん。あくまで知らぬ振りか。まぁ良いだろう。精々今の立場に甘んずるが良い。もしも、使命に目覚めて、正しい事を成そうと思ったなら、いつでも我等は話を聞くぞ」

「話をするのは、私も望む所です。ですが、民のためにならない無謀な話だけは、どうかご遠慮願いたい」

「ふん。考えが変わった後で、また会うとしよう」

 妙に確信を持って、エナカは言った。

 


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