表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
永和の曙光  作者: 更紗 悟
第一章
7/35

昂・一

 

     昂・一


 立ち昇っていく朝日から逃げるかのように、男が走っている。すでに息は切れ、大きく吸い込もうという意欲すらない。口は開け放たれ、からからに乾いた喉の奥から異音が聞こえる。いつ倒れてもおかしくないが、それでも光を失っていない眼光に、男を支える強い使命感が垣間見える。

 道の左右は人の手で大きく拓かれている。けれどもまだ表層を均し、倒木や巨石を除いただけで、土中は手付かずで、作物を植えられる段階にない。

 獅鳳の北の境を出た所にある、このデマムン幹国の故地は、かつては森が多く緑豊かであったが、大災害を境に土地の力は損なわれ、荒地と化している。

 ただ表層を均して作物を植えても、豊かな実りをもたらしてくれる農地にはならない。見よう見まねで、土中に植物などを混ぜ込み、養分豊かな土壌を作ろうと試行錯誤してきた。

 すぐに成果が出るものではなく、失敗の連続だった。それでも、民は諦めずこの地を耕し続けている。投げ出したくなることは数多いが、それでも我慢している。同じ格好で苦労している仲間達の中に、この開拓を始めた者の子が混じっている事を思えば、まだ頑張れるというものだった。

 今日もまた朝早くから民は作業している。そこへ駆けて来た男は、ふらふらとしながらも歩みを止めない。

 誰かを探しているのか、ぎょろりとした眼を巡らせるが、皆散らばって作業している上に、同じような野良着の為、すぐに見つけられない。そうこうする内に、足を踏み出そうとして石に躓き、あえなく倒れこんだ。

 半身を起すのがやっとであったが、大きく息を吸い込み、男は一人の名を叫んだ。

 呼び求めたのは、リウ・(ほう)。この獅鳳の邦司である。

「一大事でございます。なにとぞ、お応えを―――」

 喉が裂けようと、届くまで声を上げ続けてやる。そんな気概すら感じられる男の懸命な呼びかけに、反応があった。

 同時に遠くの丘の上から、一人の若い男が駆け下りて来た。山颪のように颯爽として、長い足で地を蹴り、軽やかに駆けて来る。最後は大きく跳躍し、見事男の側に着地した。長身を折って屈み込んだが、汗も掻いておらず、息の乱れすら無かった。

「リウさま……」と、男は擦れかけた声で名を呼んだ。「畏れ多いことです。私がそこまで、参りましたものを」

「邦の一大事なのでしょう。私が行かなくてどうしますか」

 その力強い声を聞き、男の眦に安堵の涙が滲む。それから感情に身を任してしまいそうになるが、その前に、はっとした顔になった。

「私は、アデオから参りました」

「そんな南から……。もしや、夜を通して、走って来たのですか」

 男はぶるぶると震えながら頷いた。

「私の事など……。とにかく、邦司さまが、ここにおられると聞いて……」

「申し訳ない。司館を空けていました。それで、一体何が?」

「九辛が、出ました。やつらが、町を襲ったのです」

 何事かと集まりつつあった民の中から、苦しげな声が漏れた。使いの男の必死な様子から、誰も話を疑う者はいなかった。

 噂の九辛がついに来たかと、リウの顔も微かに歪んだ。

「すぐにいらして下さい。皆が、お待ちでございます」

 リウは頷く。そして、立ち上がろうとする。

「それはどうかだかなァ」 と、その背に棘のある声がかけられた。集まった民の中にいた老人だった。「何が、皆がお待ち、だ。昂民なぞ、誰も待っておらんじゃろうが」

 リウは笑みを取り戻し、どういうことですか、と返した。

「邦司として、この事態を見過ごす事は出来ません」

「それよ、それ。身を伴わぬ、名ばかりの邦の主など、誰が来て欲しいと思うものか」

「爺さん。無礼だぞ」 と、周囲の者達が諌めようとするが、老人は取り合わない。

「事実じゃろうが。邦司など、何もできん飾りじゃ。できるのは、働きたくない民を焚き付けて、共に農作業をすることぐらいか」

 おい、と皆が気色ばんだ。

「リウさまは、我らにこの地を与えてくれるために、一緒に苦労して下さっているのだぞ。恩知らずの物言いを止めろ」

 老人は、ひどく可笑しい事を聞いたような顔をした。

「与えてくれる、だと? ヒヒっ。どうかな、分からんぞ」

「爺、いい加減にしろ。これ以上暴言を吐くなら、ここを追い出すぞ」 と、本気で押し出そうという様子を見せた。その剣幕に怯まず、返って興奮して老人は声を上げる。

「本当に与えてくれるのかどうか、分からんじゃないか。どうして信じられる? こいつは、()()()()()なのだぞ。信じて付いて行けば、また奪われるのだぞ」

 場がしんとなった。

 ここにいるのは、リウに声をかけられ、新しい土地を得ようとしている者達である。豊輔部の指示に従って農作業していては何も手元に残らない。そのため民の蓄えを作ろうとリウがみなに声をかけた。

 しかし、新しい土地といっても、ここは邦の外に当たる。勝手に外に出ていたと日向人に知られれば、取り上げられるのは確実で、悪くすれば罰せられる。それなのに、リウ、そして彼の父親は、率先してこの土地へ皆を導き、そして時間の許す限り共に汗を流した。

 そんな恩義あるリウを疑う言葉が出たのだが、みな、すぐに否定の言葉を返せなかった。老人のいうような懸念が、皆の心にあるからだ。

「―――信じられないのは、分かります」

 リウは疑われても怒らず、静かに言った。

「それならば、それで構いません。無理にとは、言いません。ですが、私は続けます。そして、皆の理解を得られる日を待ちます」

「邦司さま……」

「そう。邦司とは、邦の民の為に、一番に働く者を言うのです。だから、このような仕事をすることに、私は何ら他意を持ちません」

「リウさま、それは違います。邦司は、昂国に九人しかいない、尊い立場のお方ではありませんか」

「九人しかいないのは、その通りですが、全員が同じ考えとは、限りませんよね?」

「同じではない、のでしょうか」

「ええ。全てが同じ人でないのならば。では、一人くらい、こういう邦司がいても、良いではありませんか」

 リウは、優しく微笑んだ。老人も返す言葉もないようで、そっぽを向いた。

 

 ところで、邦司は尊い立場という言葉があったように、邦を統べ、民を導いていく存在である。

 そもそも邦とは、倭人が昂人を救済するために設けた保護区である。一応この地は昂民の物、という前提は崩せず、その代表・邦司は昂の血を引く者が勤める。それは今でも変わりない。

 だが、実際の所、邦の管理、運営は和昂真府・九幹部から指示が下り、民が実働して、それを邦の支士達が監視している。邦司はお飾りで、実権は無いのである。

 獅鳳はさらに、とある事件を機に、その領土を縮小された。豊かな故シシン幹国地帯は取り上げられ、新湊という良港までも失った。

 この領地縮小は、リウも無関係ではない。彼の祖父ズウ・鵬が、この失権に大きく関わっているからだ。

 モゼンという男が起こそうとした反乱の際、ズウは彼に同調したとされ、乱の終息後、責任を問われた。結果、獅鳳という名は残ったものの、土地を狭められる事になった。そのせいで獅鳳の民の大半が東部へと流れ込み、混乱を呼んだ。

 この領土減少は邦司ズウが深く関わった所為だと思われ、民の鵬一族への信頼は霞んだ。

 真府からの指示があるので、獅鳳をまとめる立場に依然としてあるというのも、鵬一族への不信を募らせている。五十年経ち、ズウの子、そして孫の代になっても、民がリウを見る目は冷たく、誰もまともに相手をしない。

 リウが親身になって声をかけ、ようやく個人として信じてみようかと思った者でさえ、ふとしたことで、疑心が生まれる事がある。そうした変わり身は、リウにとって見慣れたことだった。


「あんたが―――」 と、老人は尚も口を開く。ただ、口調が変わっていた。言わずにはいられないというのは変わらないようだが、嘆きが入っていた。

「―――あんたが、どれだけ頑張ろうとも、奴らタスクイには何も響かん。奴らには儂らは見えておらん。便利に使える邦司という名前は覚えていても、リウ・ホウという名前は、興味のないものだ。行っても何もできん。何もさせてもらえん。それでも、あんたは―――、リウ様は、行かれるのか」

「もしかして、私が苦しんでいると、心配してくれているのですか」

「……いや、そういうわけではないが」

「お優しい。確かに、おっしゃるとおりです。民の代表でありながら、私は無力に等しい」

「ならば」

「だからと言って、止めて良い道理はありません。今は小さく、何も出来ずとも。それでも、立ち向かい続けて、何かを残せれば。私は、そう願っています」

「リウ様……」

 老人の目から尖ったものが消えたのを見て、リウは頷き、使者の側に屈み込んだ。

「貴方は、ここで快復するまで待っていなさい」

「リウ様は? まさか、直接お一人で行かれるつもりか」

「急ぎます。私一人で移動した方が早い」

「しかし」

「私が強い男なのは、ご存知でしょう」 と、リウは微笑む。確かにリウは昂国古来の武芸を治めており、それを承知していた使者は納得した。

「南で苦しんでいる者のために、今は行きます。ですが、私は必ず、戻ってきます」

 リウは、老人を見据えて言った。

「私は、あなた達を見捨てません」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ