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永和の曙光  作者: 更紗 悟
第一章
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荒・三


     荒・三


 広間を出た後、ゲンヴは物見台へと向かった。

 体は疲労を感じ、鉛のように重い。それでも内側は熱く滾っており、その熱の鋭さにより精神は尖っている。時折吹く風の冷たさが、昂ぶった心をそっと撫でていく。

 少しでも気を落ち着けようと、夜の山をぼうっと眺める。思い思いの向きで枯れ果てた巨木が横たわっている。かつて森があった名残だが、こんな所でもどこかしらに混成(まなり)(生き物のこと)はいるようで、完全な静寂の世界ではない。そうした雑多な音を拾っていると、少しは心も落ち着いて来た。

 ドルン・クンがこの森に立てこもっていた頃、ここから見渡す景色全てが緑一色であったらしい。その緑の海の中にあっては、この砦は海面から突き出た小島のようであったのではないか。本当にそうならば、葉の覆いの上から見下ろしても敵の接近に気付きにくい。警戒のためというより、こうして孤独になれる時間を与えてくれる場所であったのかもしれない。

 軽めの足音が近づいてくる。わざと音を立てているようで、邪魔する気は無いが、側に行ってもいいかと無言で訊ねているのだろう。それで誰が来たのかゲンヴには分かった。

 隣に立って、しばらくゲンヴと同じように夜の静寂を味わい、それからナヴは言った。

「舟は、残らず沈められたよ」

「……そう」 と、ゲンヴは答えた。予想された事とは言え、何処か体の奥深い所まで自分の心が沈んでいく気がした。

 先の襲撃は、二つの集団が手を組んだものだった。

 身の安全を考えず、とにかく怨念を晴らしたい、思いのまま暴れたいという荒斗は数多くいる。そうした者達が集まり、九辛に共闘を持ちかけてきた。

 舟は清宝(せいほう)周辺の荒斗を取りまとめるコタラが調達してきた。強奪して来た物も多少はあるだろうが、大半はコタラの懐から出ている。

 彼は普段、清宝の初有(しょゆう)という街を拠点にして、海運を取り仕切る廻人として振舞っている。その程度の出資は、廻人として成功している彼には痛くも痒くもない事のようだ。それでも普段はあまり協力的でないコタラが張り切っていたのは、獅鳳有数の港・アデオが痛手を負う事は、隣り合う清宝に利をもたらすからだ。

 そうして得た舟は全て荒斗達に渡して、海からアデオを襲わせた。護士たちは、漂人(ひょうと)(海賊)の襲来だと思ったことだろう。意識が海に向けられ、迎撃・追撃の船が用意されている間に、九辛は陸路から侵入し、内部で襲撃を開始した。

 九辛は静かに動き回わった為、最初その存在は察知されていなかった。そして、闇に溶け込むようにして、迅速にその場を去った。

 対して、舟と言う移動手段を曝し、砲撃まで行なった荒斗達は、完全にその動きを把握されていた。徹底的に追われ、逃げられないであろうことは明らかだった。

 目立っていた彼らを囮にすることで、九辛は逃げ果せたと言える。それは事前に説明してあり、生き残れない事は折り込み済だ。それでもなお、荒斗は、内に潜む衝動を解放する機会を望んだ。自分達を拒絶した邦を襲い、日向人に一矢を報いる事を願った。

 そういう末路だとはっきり断言した上での合意とはいえ、同じ目的で戦った者を見捨てて来たことになる。それを、惜しいと思う者もいる。ゴオクなども、暴れ足りないと言っていたが、本心では、同胞を置いて帰った事に気の咎めを覚えているのかもしれない。

「今回も、彼らの話を聞いたのね?」

 ゲンヴは、黙ったままだった。否定する素振りを見せないことで、図星だと判断したようで、ナヴはため息を付いた。

「全く。重たくなるだけだから、止めた方が良いのに」

 ゲンヴは、荒斗となった者達と会うと、その過去を聞き出そうとする。

 辛い経験を誰かに聞いて欲しくてたまらないという者もいるが、そうしてさっさと吐き出してしまおうとする場合は、まだ救いがなくもない。それよりも、口を閉ざし、何事も無いと思い込もうとしている者の方が、心にずしりと重く圧し掛かる話をする。

 話した所で、すっきりするというものでもない。一度掘り返せば、眼に焼きついたものが、再び脳裏に浮かぶのであろう。あの時聞こえなかった声が、嫌でも囁いて来るようになるかもしれない。それでも荒斗達は、思いを余す事無く取り出し、ゲンヴに全てを語る。

 どうやら、それは聞き手がゲンヴだからという点が大きい。語ることで、その経験が目の前の他人にも起きたことなのだと思うことができるという。ゲンヴは、そう思わせる眼をしているらしい。

 彼女の眼の底に垣間見える悲しみは、いったどこまで深いのだろうか。自分と同じくらいのなのか、それよりも深い傷があるのか。測り比べようと話す内に、目の前のこの人に、己の想いを受け取ってもらえたと感じる。

 同じような痛みを抱えている人がいるのだと知って、荒斗達の心は幾らか穏やかになる。


     *


「辛い事ばかり聞いていたら、いつか零れ出してしまうんじゃないの」

 咎めているようで、ナヴの声には労わりがある。知らないよと言いながら、きっと、そうなった時は、落ち着くまで面倒を見てくれるに違いない。

 彼女が居なかったら、九辛はもっと早くに内部崩壊しただろう。皆、狂気の際にいるような連中ばかりなのだ。彼女が少しでも良識的な考えを示さなければ、最初からそんなものなどなかったかのように、破滅へと突き進んで行ってしまう。放って置けば、ゴオクなどは悲惨な末路を辿っているだろうし、ゲンヴ自身もそうした傾向があることは否定しない。

 最も、ゴオクが、いや、九辛の誰もが、ナヴに対して気を使うのには、別の理由もある。今でこそ安定しているが、ナヴの心はいつ後戻りできない状態にまで陥ってもおかしくないのである。

 ナヴには、子どもを捨てた過去がある。

 彼女自身が、まともな育ち方をしていない。幼児の頃、庇護者を失っている。人が人として暮らせない邦の外では、そうした孤児はありふれている。かといって、代わりに誰かが保護してくれるという親切な話もない。子ども達は自然と集まり、〈穴〉に潜んで、支え合って生きていく。

 そこは文字通り穴である。昼間は、獣から身を隠す為に狭い穴に身を寄せ合って潜んでいる。着る物も少ない為、冬などは身を寄せ合って過ごす。夜になって、食べられる物を探して彷徨うのだが、そこにも彼らを狙う眼がある。非力な子どもを、大人が襲うのだ。

 大人は大人で、獣のように弱肉強食の世界で生きている。他人の子ども達の群れは、格好の獲物とされる。

 そんな中、弱者達で寄り添い、ナヴは生き延びてきた。その後、孕んだ経緯を語ることはないが、ナヴは子どもを産んだ。

 非道な大人達を見て育った反動からか、子どもを溺愛し、何者からも守ろうとしていた。我が身に代えてでも、この子には手を出させない、とナヴは主張していた。

 だが、その彼女の覚悟を問う事態が起きた。

 ナヴ達は人狩り集団〈シユ〉に襲われ、捕獲されそうになった。

 首尾よく女子どもが犇く〈穴〉を見つけ、シユ達は上機嫌だった。どうやら他でも獲物を見つけており、ほぼ目標の頭数を得ていたようである。そこで、全員を連れて行く事はしない、と言った。

 二人に一人。一人が誰かを差し出し、他方が反対しなかったら、その差し出された者のみを連れて行く、と言った。不一致の場合は、両方とも連れて行く、とも。

 母子も例外ではなく、己か子か、どちらかを選べと迫られた。

 ナヴの愛情の深さを知る周囲の者達は、当然、ナヴが自らを差し出し、反論する言葉を持たない子を救うのだと、誰もが思った。

 ところが、ナヴは、そうしなかった。

 半笑いを浮かべ、ナヴはわが子を差し出した。何も分からないナヴの子は、こちらも笑っていた。

 ナヴは直前まで我が身を差し出すつもりでいたようである。だが、最終的に、震える手で押し出したのは、わが子の命であった。

 自分の行為ながら、自分の思い通りでない事態が起きている。生きようとする本能が、良心を封殺して、体を動かしている。

 荒斗にとって、他を見捨てる事は日常茶飯事である。だから、正しいような気がするが、それでも、間違ってしまっている気もする。それは感じているが、ただ、受け入れられなかった。

 それ以来、ナヴは、自分が誰かを見捨てた、と思うことを受け入れない。

 そう指摘しようものなら、狂気じみた反応が返って来る。もう一歩踏み込み、精神の均衡を崩せば、廃人として荒野を彷徨い、獣同然に堕ちていただろう。

 彼女を憐れんだ周囲の者達は、ナヴの矛盾を指摘しなかった。よくあることだと、追い詰めなかった。そのおかげで、ナヴは堕ちずに済んだ。

 最近では、人の事を心配する余裕まである。九辛の連中は、皆、同じような棘を心に刺している。自分よりも哀しい人がいると知り、不安定さを見かねたのだろうか。ゲンヴ達を見守るナヴの態度からして、母親であった頃の気持ちを取り戻しているのかもしれない。

 ただ、際どい、とゲンヴは案じている。

 もし、また選択を迫られたら。そして、我が身を諦めろと理性が言うが、生きたいという本能が、他者を見捨てるという行動を採ってしまったならば。

 その時はきっと、彼女は帰って来られなくなるだろう。



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