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永和の曙光  作者: 更紗 悟
第一章
3/35

向・二

     向・二


 寄り道をした後、仁朗が家に辿り着いた時には、夜も更けていた。夕暮れ時には隣家などから聞こえて来ていた人の笑い声も絶え、鳥か何かが発する不気味な鳴き声だけが耳に届く。

 人の顔など判別できないほどの深い闇の中を歩いてきたが、途中で暴漢などに襲われずに済んだ。武芸の鍛錬を積み、圧倒的な切れ味を誇る刖を持つ佑にあえて手を出そうというものはそういない。この頃はまだそれで良く、後年その思い込みを自分が揺るがすようになるとは、仁朗は考えもしていなかった。

 ただ、仁朗の力量を知っている両親は、夜遅くに息子が出歩く事を心配していた。案の定、灯りを持ち、門前で母みつが待っていた。

「遅くなりました」 と、仁朗は深く頭を下げた。気弱な彼女には、陽が落ちてから外を出歩く事など考えられない。それでも、いまだに仁朗の帰りが遅いときには、こうして出来うる限り迎えてくれる。過保護だとは思いつつも、母にそうさせてしまう原因が己にあると承知している仁朗は、みつに頭が上がらない。

「帰って来られて、何よりです」 と、仁朗の頬に手を宛て、みつは言う。変な勘が働いたのか、掌が頭の傷の上に触れたが、仁朗は何事も無いかのように我慢した。

 苦笑いにならないよう、仁朗は笑顔でみつを見返した。

「大げさですよ。ただ勤めが長引いただけです」

「それなら良いのです。御疲れ様でしたと、労う言葉をかけることができるのですから。でも、戻って来なければ、もう労いも叱責もできない。そうなることが、私は怖いのです」

「今は永和の世です。生きて帰って来ないという事など、そうある訳がありませんよ」

「そうですか。頼もしいことを言えるようになったのですね」

「私はもう一端の佑ですよ。過保護も程ほどにしてください」

 そうですね、と母は控え目な笑みを浮かべた。


     *


「どこで道草を食っていた」 と、父・篤朗(とくろう)のいつも通りの説教が始まった。

 ようやく支士と成ったのは良いが、同じ授賛部に属しているので、嫌でも篤朗の目に付くようになった。これまで以上に見られており、その分、帰宅してからの説教は長くなる。

 いつものように伏し目がちに畳を見ていたが、今日の父の声色はいつもと違って聞こえた。

「葛西と、会っていたのです」 と、仁朗は言葉を投げてかけてみた。

「なに、葛西殿と……」

 篤朗は表情の選択に迷ったようだ。息子が出世頭の葛西貫之と会っていた事が、喜ばしいことであるように思い、同時に、因縁のある幼なじみと再び接触していた事を、どう解釈すべきかと迷ったようだ。

「何も諍いなど起こしていませんよ」 と、仁朗は苦笑する。「ただ行き合い、雑談をしただけです」

「それなら、良い。彼と仲良くしていれば、お前もいずれ―――」

「四検に眼を付けられる―――」 と、仁朗は口を挟んだ。人の良い篤朗は、仁朗の揺さ振りに反応し、ぎょっとした顔になった。

 あの噂は父も知っていたらしい。そして、その疑惑の目が息子に落ちる事を恐れている。

「―――ようなことは、しませんよ」

 試されたと悟り、渋面を作り、篤朗は言う。

「故なきことを口にするな。勘違いからでも、あらぬ疑いをかけられることもあるのだぞ。我らは、そういう眼で見られているのだ」

「御婆様は、まだ忘れられていないのでしょうか」

「いや、そんなことはないだろう。さすがにな。だが、念を入れておくに越した事は無い」

 祖母を切り捨てろ。己の身の安全を図る為に。そう言う父に対して生まれた感情に、仁朗は気づかない振りをして俯いていた。

「良いか。我らは真っ当な日向人として生きている。佑の本分を発揮して、邦の為に尽力している。そうであろう?」

「その通りでございます、父上」

 よし、と頷いた篤朗は、安堵した顔になった。息子がまた、迂闊な事をしていないかと心配していたようだ。

 検見が来るというこの機に、東景が目をつけていた彼女の所へ顔を出さないかと、父は不安に思っていたのだろう。

 実は、その足ですでに祖母レツに会って来たとは、とてもじゃないが、口に出せなかった。会ったと言っても、ただ事情を伝え、しばらく顔を出せないと言い残してきた。それ位では、何の疑いともならないと仁朗は思っていた。


     *


 篤朗は相当に酔っていた。動きが緩慢で、時折大きくよろめいた。一人酒を過ぎる事が多くなっていたので、仁朗は夜酒に付き合うようにしている。一度座を立ち、着物と心を入れ替えて戻った。父に合わせて飲む振りをしつつ、酒に慣れぬ仁朗は体の火照りを感じていた。

「聞いたか。また、畠山の所で一騒動あったらしいぞ」 と、篤朗はうんざりしたように言う。

「畠山様、です。家の中といえども、統士(とうし)様の呼び捨ては控えてください」

 息子に嗜められるが、篤朗は気にしていない。

「民との諍いが多過ぎる。あの家に統士をさせておくのはどうか」

 各邦の佑を統べているのが統主であり、その下に州を統括する統士達がいる。畠山(はたけやま)義重(よししげ)はその内の一人で、今も満洲の北端の地・オル州を監地(かんち)としている。

「オルは、確かに他よりも多くの収穫を上げている。それだけ耕地を快復させたとも言える。佑として、統士として、成すべき事はしているが、いかんせん、やり方がまずい。オルの民の数は、他よりもずっと少ないのだぞ。それで収穫だけは多いとなると、どれだけ酷使していればそうなるのだ、と疑問に思う」

「隣り合っていながら、松永様とは真逆なのですね」

 イダネハ州の統士・松永貞英(まつなが さだひで)の評判は良い。松永家は代々、佑の本分を重んじ、昂民を手厚く保護している。

 ただ、やりすぎだと言う声もある。あまりに昂民を優遇するので、先の【モゼンの巻乱】で松永の先代は、昂民の側に立ったと疑いをかけられた。結局、静観していたと言う主張は受け入れられ、御咎めなしとなった。

「邦を出れば荒斗がおり、気安く外に出られない。逆を返せば、気軽に外の様子を覗けないということでもある」

「つまり、畠山様は邦の外で、何かをしているというのですか。しかし、そのような所では、荒斗に邪魔されて何もできないでしょう」

「そこよ。そこが、畠山のずる賢い所だな」 と、篤朗は興に乗って言う。明らかに、酒の量に比例して口が軽くなっていた。

「邪魔をするのは、誰だ? そこら中にいて、力を持て余しているのは、誰だ?」

「それは……」

「荒斗だ。畠山は、その無闇に数だけはいる荒斗をかき集め、届出のない耕地を作らせているのだ。そうすれば、邪魔をする者もおらず、労働力も大量に確保できる」

「なんと。勝手に邦の外を拓いただけではなく、取り締まるべき荒斗を良い様に使っていると」

「うむ。それには、邦と荒斗の仲介役として、邦司も関わっているに違いない」

「昂民の代表である邦司が、同胞を売るような真似をしていると」

「その通り。見下げたやつらだ」

 昂民の低俗さを嘆く言葉が続く。いつものことなので、父の気が済むまで仁朗は聞き流していた。

 だから自分たちが導いてやらねばならん、ましてや、勝手に独り立ちしようなどと、と一人で盛り上がり、強く否定して、いつも通り父の話は落ち着いた。

「―――導くと言えば」 と仁朗は、話しかけても大丈夫そうな頃合を見て質問した。「統主様は、この事をご存知なのでしょうか」

「知らないことになっているが、実は承知しておられる。両家の関係は古く、深いのだ。モゼンの巻乱の時も、畠山家の疑惑を懸命に取り消したというからな」

「藤原家は元和に強力な繋がりがありますからね。その強権を持って、庇っているのですね」

「しかし、さすがにあれでは、収まるまいな。荒斗をどう処分しているか、想像が付くか?」

「処分……。使えるだけ使い、必要がなくなれば、捕まえて東獄へ送るのですか」

「いや、そんな事をすれば、自分がしていることが外に漏れてしまう」

「しかし、口封じするにも数が多すぎる」

「そうだ。だから、流してしまうらしいぞ」

「流す?」

「海から揚がって来た穢れ物ならば、海へ還すべきだ。荒斗の扱いについて、そのように畠山が豪語しているのは知っているか」

「ええ。だからこそ、隠れて使っているとは思いもしませんでしたが」

「ばれないように、始末は徹底的に、だ。全員を沖へ連れて行って、船から落すらしい。まず陸まで生きて戻って来られない。ただ、それでは、さすがに直属の佑といえども、気が咎めるのだろう。それで、断片的にでも情報が漏れ出てくる」

「それがもし、昂民や荒斗に知られれば……」

「そう、伝わっている。だからこそ、荒斗が騒ぎ、オル州での騒動が増えている」

「そういうことですか」

「ああ。さすがに畠山家も安穏とはしていられないだろうな」

 それからしばらくして、篤朗の酒は話し相手を必要としなくなった。好物の貝柱を何度も噛みつつ、脳内の相手に向かって、くどくどと日頃の鬱憤をぶつけている。

 仁朗は適度に合いの手を入れながら、手渡す酒の量を調整している。この状態になってから要する量が年々減っているのは、仁朗の酒の渡し方が上手くなっているからか、父が老いたということなのか。

 父の酔態を見ながら、これは自分の未来の姿でもあるのだろうかと、時折仁朗は思う。

 言葉と行動が伴うようにと気をつけているが、それもいつかは歳と共に動きが鈍くなるのか。そして、好ましくないと分かりきっているのに、実際には体を動かさず、ただ繰言を流し続けるようになるのか。

 そうはなりたくない。

 なりたくはないが、ただ、家族のことを考えると、その位の方が良いのだろうなと仁朗は思った。



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