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永和の曙光  作者: 更紗 悟
第一章
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向・一

     第一章


     向・一


 ズキズキと痛む頭を手で押さえながら、吉田仁朗(よしだ じんろう)は家に向かっていた。

 立ち止まり、眼を閉じてみる。気を落ち着かせれば、痛みが小さくなるかと期待したが、逆にはっきりと痛みの存在を感じる。眉を顰め、仁朗は眼を開けた。

 迫る夕闇の中、男が一人、半身をこちらに見せて立っている。仁朗と眼が合うと、その男は袖から手を出し、軽く振ってくる。

貫之(つらゆき)……」 と、さらに眉間に力を入れて、仁朗は呟いた。

 親しげな笑みを浮かべて、葛西貫之が寄ってきた。

 昔は、この屈託の無い笑顔が好きだった。この笑顔を向けられている自分が誇らしかった。今では、何か腹の底に隠しているのではないか、と勘ぐってしまう。

「おぉ、やられたものだな」 と、葛西は無邪気を装って傷に触れようとしてくる。「自分の力量と、それが通用する相手かどうかくらい分かるだろうに、何故挑むんだ?」

 葛西には悪意はなく、純粋にそう思っていることは承知している。仁朗は渋面を作り、傷に触れてくる手を払った。

「そういう問題じゃないんだ」

 仁朗は、自分が佑〈タスクイ〉であることを誇りに思っている。佑とは、日向(ひむか)人の内、昂民を助け、導く身分の者達を言う。日本の侍と並んで有名な存在である。

 彼は佑になって日が浅く、しかも、邦の治安維持を任とする護士ではなく、統治と指導を主とする支士である。それも、教育や啓蒙活動を行なう授賛部(じゅさんぶ)に属している。佑の中でも頭を使うことを得意とし、荒事は不得手なのである。

 それでも、町で騒動が起きたらしいと聞いて、たまたま近くにいた仁朗は駆けつけた。騒ぎを収めるのは廣翼部(こうよくぶ)の護士で、その裁きを下すのは治祐部(じゆうぶ)の支士たちである。つまり、仁朗は全くの門外漢であるが、民が助けを求めていると思えば、いても立ってもいられない。(じゅつ)の心を持ち、己の力を他者の為に使うのが、佑であると信じているが所以である。

 その結果、支士の若僧がどういう成果を上げたのか。結果は渋いものだった。

 佑が駆けつけて来ると知り、昂民たちは慌てた。佑は心身を鍛えるために武芸を習い、その上外敵と戦うために(がつ)という鋭利な武器を持っている。刖は昂国に古くから伝わる固有の技術をもって鍛え上げられており、その切れ味は日本刀に引けを取らない。腕利きの護士でなくても、昂民にとって佑は恐ろしい存在なのである。

 やってきたのは支士の若僧であるが、昂民はそれなりの敬意をもって仁朗を迎えた。ただ、このときは間が悪かった。先に日向人がいたのである。

 昂民同士の些細な諍いであったが、居合わせた護士がすでに力づくで黙らせた後だった。ただその護士は気が荒く、必要以上に昂民を痛めつけていた。それを見た仁朗は、いても立ってもいられず、つい、口出ししてしまった。

 分を弁えず(さか)しげな口を利いた若僧に待っていたのは、鉄拳制裁である。

「佑ならば、当然のことをしたまでだ」

 口を尖らせ、言い捨てて歩き出した仁朗に、葛西は付いてくる。

「分かっていても、引けない。結果の良し悪しではなく、筋を通す事を選んだ、って所か。だとすると、お前は、変わらないなぁ」

 さすがに長い時間を共に過ごしただけあって、仁朗の性格は御見通しのようだ。それでも素直に認める事はできず、仁朗は足を速める。

「わざわざ待ち伏せて、言いたかった事はそれだけか?」

 ぶっきらぼうな言い様に、葛西は首を傾げる。

「やはり、どこか引っかかるな。何か問題を抱えていたかな、俺たち?」

「いや、何も」

「なら、幼なじみに対して、その物言いはどうなのだ?」

 仁朗は振り向き、挑戦的な眼をして言った。

「何もありませんよ。葛西殿」

「あぁ、それか」 と、葛西は頷いた。

 葛西はここ満洲(みす)獅鳳(しほう))における治祐部に属していたが、邦外の組織に転属することになっている。一般の支士は出身の邦で奉仕するのが当たり前なので、邦を跨いだ広域の仕事をさせたいと上層部に思わせた葛西の才能は格別だった。

 いずれ、仁朗たち支士に命令してくる立場になると目されており、仲間内でも微妙な距離感が生まれている。葛西に阿って出世を願う者と、あいつは遠くに行ってしまうのだと、心の上でも距離を取る者がいる。

「しかし、そんな立場の違いぐらいで、無くなってしまうほど薄い友情ではなかったはずだが?」

 実際、仁朗が葛西を遠ざけたのはそれが理由ではない。だが、面と向かってそれを言い出すのも躊躇われ、仁朗は口を閉じていた。

「まぁ、良いさ。用というほどのことは無い。ただ、聞きたかっただけだ。お前、あんなことを、いつまで続けるのか、とな」

「……あんなこと、とは?」

「河東やら田辺やら、お喋りな連中と会っているそうだな。しかも、どうでも良いことの議論に時間を使っているとか」

 確かに仁朗は、河東という同輩が主催する会合に参加している。そこで、佑はどうあるべきか、昂民とどう付き合っていくべきか、増え続ける荒斗をどう対処すべきか、などの持論をぶつけ合っている。

「無駄な時間とは思わない」

「その結果が無益なものならば、どれだけ白熱しようとも、時間と体力の浪費であろう」

「無益だと……。荒斗の対応がより大きな問題となってくるのは明白だ。それを、話し合っておくことの、どこが無益なんだ」

「なぜ、我らが荒斗などの事に気を揉まねばならん?」

「え……? いや、あれらがいるから、民の安寧が守られず……」

「確かに、邦が安寧であることは、我ら佑に課せられた使命だ。対して、各邦の外に生じる荒斗の問題は廣翼部か、各邦の護士が対応するものだ」

 廣翼部は昂国に生きる者達の安全を守るためにあり、外敵を排除する為に軍を要している。本来は外国からの侵略に抗するためにあるが、問題が荒斗であっても、あまりに多数で、邦で手に負えない場合、攻団を派遣する。

「だが、現にこうして、荒斗が邦を侵し、略奪を……」

「入ってくれば、排除すれば良い。護士ならずとも、荒斗ごとき、切り捨てるのに何程の苦労があろうか」

「それは―――」 と、仁朗は答えに詰まった。この葛西の自信には裏づけがある。彼は、同世代の中でも、指折りの達人である。すでに実戦も経験しているという。

「―――その通りだ。だが、我ら佑が駆けつけるまでに、邦民に被害が出る。そうならないように、いかに事前に備えて置けば良いのか。そこが―――」

「不要だ」

 葛西はすっと手を振り下げた。無手だが、切り捨てられたように感じられた。

「襲撃されるのは、邦の際にいる者達。昂民として邦に生きる事を許されているが、所詮最下層の者達だ。多少は被害が出るかもしれないが、痛痒も感じる必要は無い。中心に住む日向人には害が及ばなければ、何も問題はない」

「だが、昂民に―――」

「我らが守るべき対象。俺はそれを、邦と人と考える。人とは、言うまでも無く、邦を治める日向人である。よって、これ以上無為な物に、思い煩う必要はない」

 日向人は、元々昂民を救済するために諸外国からやってきた者達である。しかし今では、その目的は風化し、援助という立場を超え、実質的には昂民を支配している。

 まだ佑という本分を失わず、仁朗のようにこれで良いのかと自問する者もいるが、現状に即した厳しい態度を取る者もいる。幼なじみであった葛西はいつの間にか、極端な思想を持つようになってしまった。

「それに、荒斗の問題が解消できればというが、それは、どういう事態になるか、分かっているんだろうな?」

 身構えながら仁朗は答える。

「彼らの自由と生活が保障されれば、より働き手が増える。国全体が豊かになり、我等の暮らしも底上げされる」

「もしやと思ったが、早くも平和惚けしているのか」と、葛西は呆れた顔をして言う。

「何だと」

「仮にも支士の子だ。邦の維持は日向人にとっても死守すべきものだと分かっていると思ったが……。いいか。仮にお前らが言うように、荒斗どもに生きる権利を認めたとする。奴らは自立して、誰の手助けもいらなくなる、ということだな」

「そうだ。良い事ではないか」

「馬鹿。この地の本来の主を自称する彼らの言い分を認め、自立を許せば、我等はここに居られなくなる」

「どうしてそうなる? 共存していけば良いだろう」

「無理だな。これまでの扱いを忘れてはくれないだろう。自立して対等になれば、奴らは我らを不要と考える。穏やかに対応してくれたとして、もはや救国の必要性はないと言って、追い出すだろう。そうなれば、我等はどうする? どこへ行けば良いのだ?」

「何処へ、って言われても……」

「西国に帰るのか? こんなにも大勢が、数万もの人が移住する事を許してもらえるとでも? 任を果たしたと言っても、誰が何百年も前の事を覚えているのだ? それほど留守にしていた我等に、戻る土地などあるのか? ―――無いよな。そうなれば、今度は我等が奴らの立場になるのだ」

 祖先が生きた場所に戻りたくても、そこにはすでに別の者達がいる。昔そこで生きていたと権利を主張しても、今は違うと、受け入れてくれない。何処へ行っても邪険にされ、迷惑な存在としか思われなくなる。長年の苦闘の末、そんな境遇に落ちるというのか。

 仁朗は唾を飲み込み、嫌な想像を払うように首を振る。

「……それは、そうだろう。だが、追い出されるなんて、悲観的過ぎやしないか? これまで共存してきたんだ、同じ立場に立って、助け合えば」

「無理だな。他人にしたことは、必ず形を変えて返って来るものだ」

 人は他人にされた事を忘れない。嫌な思いであるならば尚更だ。今は良いが、立場が逆転するときが来たならば、彼らもまた人である以上、不遇の念をここぞとばかりに晴らそうとしてくるのは確実だ。

「邦の為に働くというのならば、日向の不利になる事を口にするな。いつまでも現実を見ない戯言を言い続けていると、新しく来る四検(しけん)の者に眼を付けられるぞ」

 真府の監視機関、四検から検見(けみ)が派遣されてくる、という話は、仁朗も聞いていた。

 九つ全ての邦を統括して、全邦の運営を指示する機関を和昂真府(わこう しんふ)という。それは元和(もとわ)昂邦(こうほう))という邦に置かれていたが、五十年前に満洲で起きた騒乱を受けて、監視の拠点を東に設ける必要性が生まれた。その結果、東景(とうけい)という特別な邦が設けられ、真府も移転してきた。

 誰が来るかは分からないが、噂話が流れている所を見ると、おそらく天検(てんけん)地検(ちけん)からではなく、日向人を監視する真検(しんけん)からの派遣だと噂されている。

 ()()()のように、思想の乱れがある者を見出し、処分することが目的かもしれない。だとすると、注意しておかないと……。

 考え込んでいると、葛西が素早く動き、仁朗の額を指で弾いた。

「おいっ、貫之」

 傷にほど近い所であった為、涙目で睨むと、すでに葛西は背を向けて歩き始めていた。軽く振り返って言う。

「その痛みで、少しは眼を覚ましてくれ。そうしたら、昔のように仲良くやれるはずだ」

「……」

 葛西の背中が闇に溶け込んだ後、ふぅ、と仁朗はため息を付いた。

 昔のように振舞えない理由、どこかよそよそしさがある理由は、他にある。だがそれをこちらから言い出すのも格好が悪い。ゆえに、葛西との関係は上手く行っていないのだ。

「昔のように、か」

 こんな気分の時は、真っ直ぐ家に帰りたくない。

「そうだな。昔のように、婆様に話を聞いてもらうかな……」

 そうして、祖母・レツのいる屋敷へと仁朗は向かった。



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