雨降る夜に眠りたい(3)
好きな人のために手料理を作ってあげる……なんて、恋愛ものにはよくあるシチュエーションだけど、残念ながら現実はそうは甘くはない。
キッチンに立って、わたしはひとつため息をついた、
そもそも、一人暮らしの男性の家に、まともな調理器具と食材が揃っている可能性は低い。
漫画やドラマなら、肉じゃがだか何かを作ったりして『こんな家庭的な料理、久しぶりだ』なんてセリフを言われたりするけど、ぜったいウソだ。
お味噌汁レベルでさえ怪しいと思う。料理をしない人の家にはお味噌も普通ないんじゃないかな。
幸いここには、まな板と包丁はもちろんとして、ボウルとざる、菜箸におたま、ピーラーと計量カップぐらいならある。
以前の買い出しで調理器具なんかも買い揃えてきたわけだけど、実際にやったことと言えばお湯を沸かして紅茶を淹れたぐらい。
まだここで本格的な料理というのはしたことがなかったので、いい機会だとは思うんだけど……。
調理器具は工夫次第で何とかなるとしても、問題は食材だ。
うちの家より大きいぐらいの真新しい冷蔵庫を開けてみる。
案の定、中身はスカスカで、まず目に入るのはエナジードリンクの類(先生はワイングラスに注いで飲んでいた)。隅っこにかろうじてハムのパックと、それからキュウリとトマト、カット野菜のパックがあった。
「……ウサギかモルモットのエサみたい」
いかにも、なるべく手間をかけずに最低限の栄養素は摂ろうという感じだ。
でもわたしも、もし一人暮らしだったらそんなものかもしれない。自分のためだけの料理なんて、張り合いがない。
右のラックには卵が1パックぶん。これは助かる。日付も大丈夫そうだ。
あまりコンロを使った様子はないから、卵かけご飯にでもしてるのかな。
わたしの兄も、夜中に突然帰ってきて食事を用意していなかったときとか、よく食べていた。お手軽だけど美味しいしね。
卵の下には、マヨネーズやケチャップといった最低限の調味料が並んでいた。うん、これなら何とかなるかも。
続いて、引き出しになっている冷凍庫を開けてみる。ストックされている冷凍食品の横に並べられている四角い塊のようなものは、ご飯だ。
少し前のこと、ご飯は多めに炊いておいて、余ったぶんラップにくるんで冷凍しておくといいですよ、と教えてあげたのだった。
六道先生は、「ご飯を凍らせるという発想はなかった」となぜかしきりに感心していた。
もちろん、冷凍食品のほうには今日は手をつけないでおく。わたしの腕の見せ所だ。
この材料で、あまり手間をかけずに作れる、無難そうなメニューと言うと……。
「やっぱり、アレかなぁ。ちょっと子供っぽいかもだけど」
電子レンジでさっとご飯を解凍して、炒める準備。
調理器具を買うにあたって少し調べたけど、電化キッチンでの炒め物はガスコンロとは勝手が違う。火力は高いけど熱くなるのは底面だけなので、ちゃんとIH対応の深めのフライパンを使って、振ったりせずに熱をちゃんと対流させることが大事らしい。
ご飯を入れる前に、まずは具材と……それからケチャップを炒め始める。
そう、わたしが作ろうとしているのはオムライス。
妹の大好物なので、母が月に1、2回のペースで作ってくれていた。
わたしは正直、もう食べ飽きた、なんて思ってたのだけど。
……自分で作らない限り、もう二度と味わえないんだ。
冷蔵庫にあったハムと、それからカット野菜の中にちょうど生タマネギがあったので、刻んで具材にした。
母が教えてくれたところによると、ご飯を入れる前に具材を多めのケチャップで水分が飛ぶまで炒めておくのがコツなんだとか。
解凍したご飯を投入し、慣れないフライパンで四苦八苦しながら炒めていると、キッチンに立つ自分の姿がリビングの鏡張りの壁に映っているのが目に入った。
記憶の中のエプロンを付けた母の姿と違って、わたしはメイド服姿なわけだけど。
そう言えば、オムライスってメイドさんっぽいなと、ちょっと考えてしまった。
先生が好きではないメイド喫茶のほうだけど。
でもわたしの――我が家のオムライスは、メイド喫茶のオムライスのように卵でくるっと包むやつではなく、ふわとろ半熟スクランブルにした卵を上から乗せるやつだ。
こうしてなんとか無事に二人前のオムライスをお皿に盛り付け終わったわたしは、ケチャップを手にして一瞬だけ迷った。
卵の上に、ケチャップでハートマークでも描くべきだろうかと。
トマトと残りのカット野菜で簡単なサラダを添えて、キッチンカウンターの向こう側のダイニングテーブルに並べる。
ここでまた少し悩む。……メイドが主人と一緒に食事をするというのは変だろうか。
でも一人前ずつ作るなんて面倒だし、この状況で別々に食べるというのもおかしい気がするし。
なんて心の中で言い訳をしながら、向かい合った席に食器を並べていくと、なんだか緊張してきてしまった。
家族以外の男性と二人きりで食事なんてしたことないし、しかも相手の家で、自分の手料理だなんて。
(やっぱり、わたしだけどこか別の場所で)
そう考えたとき、ちょうど六道先生がやってきた。
「なんだか良い匂いがすると思ったら……もう支度をしてくれたのか。見事な手際だ」
「いえ、仕事ですから」
……そう、これは仕事。バイトのまかないみたいなものだ。
「とは言え本来の業務ではないし、もう時間外だろう。なんだったら着替えてきても……」
「い、いえ。大丈夫です」
意外な言葉に戸惑いつつも、わたしはそう答えた。仕事だと思わないと、緊張に耐えられそうにない。
六道先生が椅子に腰を下ろしたので、わたしも自然と向かいに座る。いつもの身長差がちょっとだけ縮まり、眼鏡をかけた先生の顔が思ったより近く感じられる。
彼がふわふわの卵とケチャップライスを銀色のスプーンですくって口に運ぶのを、わたしはドキドキしながら眺めていた。
「あ、あの、お口に合うかどうか……」
間に耐えられなくなって、自分からそう訊ねてしまう。
先生は「美味だ」とか何とかそんなふうなことを言ってくれた気がするが、正直あまり記憶に残っていない。
わたしはただ、下品な食べ方に見えないだろうかと思いながら、自分のオムライスを飲み込むのでいっぱいいっぱいだった。
ただそれでも、母が残してくれたオムライスの味は、わりと再現できていたと思う。
娘が憧れの作家の家でメイド服を着て、こんなシチュエーションでそれを作ることになるなんて、きっと想像もしてなかっただろうけどね。





