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雨降る夜に眠りたい(2)


「――ふむ。この雨ではもう外には出られまいな。車でも危険だ」


 背後から六道(りくどう)先生の声がして、わたしは思わず飛び上がりそうになった。

 雨音に紛れて、気配に気づかなかった。


「す、すみません、勤務中に」

「いやいや、集中豪雨はれっきとした緊急災害だ、甘く見てはいけない。確か、幼い妹さんがいるんだったね。自宅が気になるのは当然のことだろう」


 手にした懐中スマホをしまいながら、先生は言った。妹はもう中学生だし、幼いというほどではないんだけど。


「本来なら私も気象情報をチェックして、休みを取らせるべきだった。私の責任だ」


『――ほら、先生も責任取ってくれるって。なんなら私からも話させてよ。有紗の保護者として、あらためてご挨拶を……』


 何か言っている咲を無視して、わたしは通話を切った。保護してくれる気ないでしょ。


「だが、この屋敷は、外観こそクラシックだが中身は最新技術で建築されている。この程度の風雨、どうということはない。安心したまえ」


 わたしの様子がどこかおかしいのを感じ取ったのか、先生は優しくそう声をかけてくれた。

 気にしているのはそこじゃないんですけどね……。


「まぁ、数時間もすればあっさり止んだりするものだ。君さえ良ければ、定時を過ぎてもいくらでもここで雨宿りしていってくれて構わない。あまり夜遅くなるようなら、またそのとき考えよう」

「で、でも……それはメイドの立場として、いいんですか?」

「契約の時間外はメイドではない……という話ではなかったかな?」

「あっ、はい、もちろんそうなんですけど」


 まだ動揺が収まらず、変なことを聞いてしまった。


 ということは、つまり――

 

 このまま雨が止まなければわたしは、メイドと主人としてではなく、ただの男女としてここに泊めてもらうことになるわけで……。


 いやいや、ダメだ。頭の中とは言え、変な言い方をするな、わたし。

 先生にしてみれば、バイトの子を雨宿りさせてあげるという、ただそれだけの話だ。


 わたしは、掃除道具を片付けるふりをして先生と目が合わないようにしながら、話題を変えようとした。


「そうなると、ご主人様の夕食をどうするか、困っちゃいますね」


 この天気では今から買い物にも行けないし、デリバリーを頼むのもさすがに悪い気がする。

 と言うか、同じアルバイト労働者としては、こういう状況ではお店側もちゃんと断るべきだと思う。


 こうなるとわかってたら、モール1階の生鮮食品コーナーで何か買ってくるんだったなぁ。フードコートのテイクアウトでもいい。


「ああ、そう言えばそうだな。有紗(ありさ)くんだって、スムージーだけではもたんだろう」「あ、いえ、わたしは平気です」

「そうか……? 若い女の子というのは小食なものなのだな」


 ……その前にドーナツを食べたことは黙っておこう


 野菜スムージーのおかげで栄養は摂れてると思うし、わたしはしばらく食べなくても平気だ。

 ……もし、もし万が一によ?

 先生と一夜を過ごす中で、咲が言っているようなことが起こり得るんだとしたら……夕食をたらふく食べて、ぽっこりしたお腹は見られたくないと思うわけで……。


「心なしか、顔が赤いようだが、熱でもあるのかね? 雨には濡れていないはずだが」


 先生が顔をのぞきこむようにしてくる。その距離の近さが、わたしをますます意識させる。

 わたしは慌てて言った。


「あの、それじゃあ、わたしのほうで何か作れそうなら作ってみますね!」




 ろくに返事も待たないまま、わたしは逃げるようにキッチンにやってきた。

 ふぅ、と息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。


 先生はどうやら、キッチンまわりにはあまりこだわりがなかったらしい。

 ヴィクトリア朝時代の台所がどうだったかは知らないけど、かまどや薪が並んでいるわけではなく、ごくごく現代的な電化キッチンだ。


 コンロは3口で、焼き魚用のグリルも付いている。

 まだ使ったことはないけれど、IHのグリルはオーブンに近くて、お手入れがラクらしい。ピザやケーキも焼けるとは聞くんだけど……でも魚の臭いが付いちゃうから、けっきょくは焼き魚専用になっちゃうんじゃないかなぁ、と思っている。

 ともかく、機会があれば一度は使ってみたい。


 対面式のキッチンカウンターの向こうには、ダイニングとリビングを兼ねた空間が広がっている。これも一般的なよくある間取りで、わたしの家もだいたいこんな感じだ。

 このあたりは、建築家さんが生活面の暮らしやすさを考慮して設計してくれたんだと思う。


 一方で、映画やアニメでたまに見かける細長くて広い食堂もこの屋敷には用意されている。

 向こうの端が見えないような、やたら長いテーブルが置かれた部屋だ。


 キッチンスペースから出て真向いには洗面所に続く扉があり、右の廊下を進めばその食堂、左がリビング兼ダイニングになっている。

 もちろん、食事のたびにわざわざ離れた食堂まで料理を運んだりしてられないし、普段の先生も簡単な飲食はこのダイニングのテーブルで済ませているようだ。……何のために作ったんだろう。


 リビングに入って右手の壁の一部は、美容室やダンススタジオにでもありそうな、横に長い鏡張りになっている。これも謎だ。

 どちらかと言えば更衣室のほうに付けて欲しいぐらいだ。あそこにはスタンド式の姿見しかないしね。

 こんなところに大きな鏡を置く意図がわからないけど、一般家庭のリビングと違ってここには窓がないので、空間を少しでも広く明るく見せたい……っていう感じなのかな。


 そう言えば、間取りとかでよく見る“1DK”と“1LDK”とはどう違うのか。

 実際にはこんなふうにダイニングとリビングが地続きな空間であることが多く、どこがリビングだと定義するのは難しい。だから、壁で区切られてるとかそういうのとは関係なく、単純に広さで決まるらしい。


 台所周辺のスペースが4畳半から8畳未満なら1DK、8畳以上なら1LDK。

 部屋がもうひとつある場合は、6畳から10畳未満が2DKで、10畳以上が2LDK……だったかな。


 要するに日本の住宅事情では、畳4枚ぶんぐらいのスペースがあれば、そこはリビングルームだと主張しても良いのだ。

 茶道で使う茶室も4畳以下のものが多いとか。日本人ってそういうところがあるのかな。

 このメイド屋敷でそんなこと考えてたら、先生に怒られそうだけど。


 あと確か……4畳ってダブルベッドを置くのにギリギリの広さ、つまり男女がふたりで寝ることができるスペースで――


 ハイ、やめよう。本を読んでいると雑学が増えていくものだけど、こういう時に限って余計な知識ばかり思い浮かんできて困る。


「♪たららった、たったった」


 気持ちを切り替えるために、わたしは料理番組のテーマソングを小さく口ずさんでみた。

 さて、今日は何を作ろうかな。

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