編集者からの無理難題(5)
六道先生は、わたしの隣に並んだ荻坂さんの姿を一瞥して、言った。
「……まぁ、先程よりはまだ見られる格好になったが」
あの露骨なミニスカメイド服ではなくなったものの、荻坂さんのメイド衣装は全体的にブカブカで、袖はまくって何重にも折り返し、だぶつくウェストをエプロン紐でぎゅっと絞って、スカートはマキシ丈みたいになっている。
ツインテールの髪型はそのままなのもあって、なんだかスケールを大きくした子供みたいだ。
「胸が収まるのがこのサイズしかなかったんですぅ」
「そんななりで務まるのかね。仕事を何だと思っているんだ」
「私の仕事は小説の編集ですよぉ!」
サイズについてはわたしも思うところがある。
屋敷に用意されたメイド服は、着丈こそ5センチきざみで取り揃えられているものの、バストやウェストの個人差はあまり考慮されておらず、どちらかと言えばスレンダーな体型を想定しているようだ。例えば、咲とかね。
男性である先生にはそのあたりが不見識なのか、先生の好みがそういうメイドなのかはわからないけど。
それにしても、荻坂さんだって歩み寄ろうとしているのだから、そこはもっと大目に見てあげてほしいと思う。
「まぁまぁ先生……じゃなかった、ご主人様。彼女だって好きで巨乳に生まれてしまったわけじゃないんです。『ぴったり身体に合ったメイド服なんてリアルじゃない』とおっしゃってたじゃないですか。ご主人様は、メイドを外見で判断するんですか?」
「い、いや……そういうわけではないが……」
「雇用主が、労働者の身体的特徴を理由に不当な扱いをする。これってつまりパワハラでありセクハラでありモラハラですよ。大変な事案です」
隣で荻坂さんが吹き出すのが聞こえた。おい。あなたのためにやってるんですけど?
横目でにらむと、彼女は悪びれた様子もなく言った。
「だって、まさかこんな練度の高いメイドとご主人様のコントを見せられるとは思ってなくってぇ」
この人には言われたくないと思う一方、まぁ言われても仕方ないかなともちょっと思う。
「とにかく、先生の好むメイド像っていうのは、こういう感じなんです。それさえ守っていれば普通に対応してくれると思いますよ」
いくら六道先生でも、本来は仕事相手にそこまで求めたりはしないんだろうけど……どうもこの荻坂さん、これまでも色々やらかしてきてるっぽいからなぁ。
出会って数時間、年下のわたしでさえそう思うぐらいだから、察するにあまりある。
「ふむ。つまり誰もがメイドになるべくしてメイドとなったような者ばかりではない……その資質や背景にも多様性があって然るべき、ということか。それについては確かに、私の認識が狭量な面もあったかもしれん」
そうそう。働く人の全てが、その職業を好きだったり、適性があったりするわけじゃない。
ただ、やらなくちゃいけないから、その仕事をやっている。そういう人だってたくさんいるはずだ。
「彼女の場合は言うなれば――商家の放蕩娘からメイドになったという感じか」
「そうですね。親の言いつけで、生活の矯正と花嫁修業を兼ねて、奉公に出されたとか」
「えっ? えっ?」
先生とわたしの流れに乗った阿吽の呼吸により、荻坂さんの設定ができあがっていく。
この背景は先生にもすんなりと腑に落ちたようだ。
「そうであれば、多少は至らぬ点があっても仕方ないな。そんなメイドだって世の中にはいることだろう」
「はい、彼女は彼女なりに頑張ってるんです」
「私の中でメイドの世界がまた一段と広がったようだ。例を言うぞ、荻坂さん」
「いえ……そっちの世界からは早く出てきて、原稿を書いてほしいんですけどぉ……」
少し控えめにそう言う荻坂さんに、先生は事もなげに答えた。
「私としてはこちらが本来いるべき世界だと思っているが……それはそれとして1章ぶんはすでに書きあがった」
「――え!?」
「有紗くん、そこの封書を渡してやってくれたまえ」
ホールの階段脇にあるサイドチェスト(殺風景なのでそのうち花とか置きたいと思っている)の上に、大判の白い封筒が置かれていた。
「そこにあるなら、自分で渡してくれればいいじゃないですかぁ。先生のほうが近いんだし」
「メイドがいるのに私自ら動いて手渡すなど不自然だろう」
自然とは……?
ともかく、わたしは言われた通り、白い封筒を手に取った。
「メールとかじゃなくて手渡しなんですね。原稿はPCで書いてるのに」
「前任者からの引継ぎの後、とりあえず出来ているプロットを送ったら2週間音沙汰もなく、『迷惑フォルダに入ってました』とか抜かしたからな」
罪の天秤がまた少し荻坂さんのほうに傾いた。
この2人はどっちもどっちと言うか、最終的にどちらの態度に問題があるのか判断が難しいところだ。
それにしても、これが、夢にまで見た『ガランドーア軍国記』の最新章――
外側の封筒は普通の市販品みたいなのに、中に入っているのはわたしにとって、札束以上に価値のあるものかもしれない。
なるべく大事に、丁寧に封筒を荻坂さんに渡そうとして、わたしは気づいた。
普通じゃなかった。裏面に封蝋で封がしてあった。ファンタジーでよく見る、溶けたロウを貼り付けた上から丸い刻印を押したアレだ。
受け取った荻坂さんも、さすがに怪訝そうな顔をしてそれを見ている。
「…………。中身、羊皮紙とかじゃないですよね? むちゃくちゃかさばるし、赤とか入れづらそう……」
「ヴィクトリア朝時代を中世と勘違いしていないか、君は」
……今は現代なんですけどね。
「だが確かに封蝋というものもまた、文書を使用人が直接届けていた時代に、差出人の名と内容の信頼性を保証するためのものであり、ヴィクトリア朝の時代に確立された切手と郵便制度によって、言わばメイドと入れ替わるように失われていった文化であって――」
先生がまだ話を続けようとしていたが、荻坂さんは封筒を大事そうに抱えて、そそくさと回れ右した。
「それじゃ、執筆のお邪魔になってもいけないから、今日はいったんこれで失礼しますね! 編集部も楽しみに待ってると思うんでぇ!」
「本当に大丈夫ですか? 先生に頼めば少しぐらい立て替えてくれると思いますけど……」
荻坂さんは以前のわたしと同じく、エプロンだけ外して地味な黒ワンピとして帰宅することにしたらしい。ツインテールとあいまって、なんかちょっと前衛的なそういうファッションのオシャレ上級者に見えなくもない。
「うん。名刺入れだけ、着てきたエプロンのポケットに入れてたでしょ? あそこにSuicaも入ってるから、電車で帰るだけならなんとか。『それは財布とは別にしておけ、もし財布を失くしても名刺とSuicaがあれば何とかなる』って、前に先輩が教えてくれたんだぁ」
……失くしたことあるんだろうなぁ、財布。
そしてもしSuicaのほうを失くしたとしても、名刺と一緒ならたぶん戻ってくる。なるほど。
そして荻坂さんは原稿が入った封筒を手に取り……封蝋をどう外すのかと思っていたら、躊躇なく反対側の端を手で千切って封を開けた。
先生にイヤがられるのはそういうとこだよ荻坂さん。
そりゃ、持ち帰る前に中身を確認しておくのは偉いと思うけど。
「あぁ、ホントに原稿だぁ……これで怒られなくって済みそう……」
荻坂さんは真顔になって、プリントアウトされた用紙に目を走らせ始めた。
わたしも読ませてもらいたいところだけど……そういうわけにはいかないんだろうな。
そのへんは、わたしもわきまえている。
作家さんの中には、発表前に家族や知人に広く読ませて意見を聞く人もいるらしいけど、たぶん六堂先生はそういうタイプじゃない。
荻坂さんは少なくとも、途中原稿を読ませてもいいという程度には信頼されているということだ。
「引き継いでから1年ぶりの原稿になるのかな? ……なんだかちょっとだけ、雰囲気変わった気がしますねぇ」
原稿に視線を落としたまま、荻坂さんは独り言のようにつぶやいた。
「少女キャラに対する視点? 表現? ……が少し丸くなったような」
そこで荻坂さんは顔を上げ、わたしを見た。
「有紗ちゃんの影響、なのかも」
「え……」
「それも含めて、編集長に報告かなぁ。とりあえず新居で上手くやってるみたいです、って」
荻坂さんは、原稿を再び封筒にしまって、更衣室から出る。
玄関まで見送りに行くと、六道先生はもう部屋に籠ってしまったようだった。
「――ねえ、有紗ちゃん」
屋敷を出る前、荻坂さんは最後に振り返って、わたしの名前を呼んだ。
「……誰かのかわりなんてね、無理だよ? 私だって、前の担当のかわりが務まるなんて思ってないもん」
荻坂さんは、封筒を持っていないほうの手で、結んだ髪を揺らしてみせる。
「自分で言うのも何だけど、私ってこんな感じだし……。苦手なこととか、できないこととか、たーくさんあるし。でも、それでも私は私としてね、図太く生きていけてるんだから」
わたしの事情なんて何も知らないはずなのに。
荻坂さんは、そう言って優しく笑った。
「できないものはできない! 無理なものは無理! ……それでいいんだよ?」
「荻坂……さん……」
「だからね、有紗ちゃんがメイドとして好きに生きていけるように、私も応援してるから!」
「……え、いや、ちょっと」
ガタン、と音を立てて扉が閉まる。
そりゃあ、今となっては、まったくやりたくないワケではないんだけど……。
人生の目標がメイドというのはどうなんだろう。
家事をしていても母親にはなれない。エプロンをしていても本当のメイドでもない。
――ぜんぶ、真似事だ。
そんなこと、最初からわかってる。
わたしはただ、もう二度と元のように戻ることはない“家族”を必死に繋ぎ留めようとしているだけ。
大きな階段を見上げる。先生はもう、執筆に戻って集中しているのだろうか。
ここで声を上げて泣き崩れたら、心配して様子を見に来てくれるだろうか。
嗚咽で上手くまとまらないまま、思っていることをぜんぶ話せば、耳を傾けて慰めてくれるだろうか。
もちろん、読者として、メイドとして、仕事の邪魔なんて絶対にできないし、ひとりの女の子としても、そんな痛々しい振る舞いはしたくない。
だからわたしは、エプロンの端っこでこっそり涙をぬぐって、メイドの真似事に戻るのだ。





