編集者からの無理難題(4)
こうしてわたしは、ピンク色のメイド服の上からブレザーを羽織った女性編集者の荻坂さんを従え、六道先生の屋敷へと引き返すことにしたのだった。
……ピンクメイドを引き連れた変な女子高生と思われるのと、ピンクメイドの後ろについていく変な女子高生と思われるのとでは、どっちがマシかなと考えながら。
玄関に立って今日二度目ノックをし、お屋敷の扉を開ける。
先生にどう説明するかは、すでに案があった。
「――戻ってくるだろうとは思っていたがね」
玄関ホールで待ち構えていた先生が、冷ややかに荻坂さんを見て言った。
「タクシー会社から連絡があった。どうやら荷物の中にあったメモに私の住所と電話番号が書いてあったらしいな。作家の個人情報の漏洩、それこそ今の時代のコンプライアンス的に由々しき事態ではないかね?」
「えっ! それで……私の荷物は……?」
「出版社のほうに送ってもらうよう言っておいたよ。編集長あての着払いでな」
「なっ、なんてことするんですかぁ! また怒られちゃう! だいたい今日どうやって帰ればいいんです!?」
「徒歩で帰ればいいだろう」
わたしだって、立て替えたパフェ代は返してほしいのに。女子高生の財布の中身は、そこまで余裕はないのだ。
そう思っていると、先生の視線が眼鏡越しにわたしへと向けられた。
「有紗くん。私は君をメイドとして信頼していた。なのにこれはどういうことかね。私は追い返せと言ったはずだ」
先生は仏頂面でそう言った。あまり表情が動かない人ではあるけれど、ここまで露骨に不機嫌な顔をするのは見たことがない。
怒っていると言うより、イヤがっている感じ。
メイドたるわたしが主人の言いつけにそむいたからか……でなければよほどこの荻坂さんという編集者が苦手なんだろう。
メイドマニアである六道先生にとって、目の前に突っ立っているこのピンクのミニスカメイドは、中途半端に自分の趣味の領域に踏み込まれているようで、余計に許せないのかもしれない。
実はその気持ちはわたしにもわからなくもない。教室でファンタジー小説を読んでいると、男子から「へー、早蕨さんってそういうの好きなんだ。オレ知ってるよ、異世界転生とか最強チートとかハーレムとかいうやつっしょ?」などとウザ絡みされるのと似たような感じなんだと思う、たぶん。
「お言葉ですが、ご主人さま」 わたしはかしこまった調子で言った。「新人のメイドが何度か失敗したからといってすぐにクビにしていては、メイドのなり手がいなくなってしまいます。長い目で成長を見守るというのもまた、主の度量というものではないでしょうか」
「……む」
思った通り、先生の表情が少し揺らいだ。
先生だって、このまま出版社の編集さんと喧嘩別れというわけにはいかないことぐらい、頭ではわかっているのだ。
だったらあとは、落とし所として先生が納得できる設定を用意してあげれば、乗ってきてくれるはず。
「この屋敷のメイドとして、わたしが責任を持って彼女を躾けてまいります」
「……躾って」
後ろで荻坂さんが不満げな声を漏らしたが、わたしは構わず先生に向けて一礼するのだった。
「――ということで、とりあえずわたしと同じ服に着替えましょう」
更衣室のクローゼットを開け、中にずらりと並んだ白黒のメイド服を荻坂さんに見せる。
そのピンクのフリフリが視界に入る限り、毒蛾を警戒するみたいに、先生の機嫌が良くなることはないだろうから。
「そっかぁ、先生はこういうのが好みだったのかぁ。ピンクのがぜったいカワイイのに……」
ぶつぶつ言っていた荻坂さんだったが、ふと思いついたように声を上げた。
「あっ、わかった! 六道先生って――ロボットアニメで主人公やライバルの派手な機体より、量産型のほうが好きなタイプだ!」
的外れなような、当たらずも遠からずのような……。
もはやすっかり手慣れてしまったメイド服への着替えを終えて、荻坂さんはどうなったのかと見てみると……。
「とめてとめてー!」
こちらに背を向けた荻坂さんが、ゆらゆらと身体を揺らしながら腕を上げたり下げたりして変な踊りのような動きをしていた。
いつの間にかすっかりちゃん呼びで定着しちゃってるし。
「止めるって、その奇行をですか?」
「そうじゃなくってぇ、背中のボタン留めてー」
なんだか懐かしい光景。こんなの、妹がまだ小さかったころ以来だ。
「だってだって、胸がきつくって布が引っ張られて、腕が回らないの~」
……理由だけは無駄に大人だった。
自分より年上の社会人のボタンを留めてあげながら、わたしはそんなことを考える。
荻坂さんはそんなわたしの心中も知らず、のんきに話し続けている。
「こうやって着替えながらおしゃべりしてると、学生時代の体育の時間とか部活とか思い出すねー。あっ、そっちは現役かぁ」
この人は学生の頃もクラスメイトに着替えを手伝ってもらってたんだろうか。そんなことをふと考える。いるよね、そうやってすぐ周囲に助けを求めることができて、自然とそれに応えてもらえる人。
それが悪いとは思わないし、現にわたしもこうして手伝ってしまっている。
……でも、わたしにはきっと無理だ。
全てのボタンを留め終わったわたしは、つい妹にやるように荻坂さんの両肩を掴んで、くるりとこちらを向かせる。
「はい、そしたら次はこのエプロンを付けてください」
まっさらな白いエプロンを手渡そうとすると、荻坂さんはじっとこちらを見つめていた。
「……なんですか?」
「こんなふうにメイドさんにお世話してもらうのって、なんかイイね……わたし、初めて先生の趣味がちょっと理解できたかも……」
ヤバいヤバい。また誰かの変な扉を開きそうになってしまっている。その扉はオートロックにすべきだ。
荻坂さんは、わたしが手渡したエプロンに袖を通し始める。……その動作を見て、「あぁやっぱり、この人はふだん料理とかしない人だな」と思う。
もっともこのメイド制服のエプロンは、主婦が日常で使う一般的なデザインとは少し違っていて、肩紐のところに控えめなフリルが綺麗に並んでいて、実はそこはわたしも少しお気に入り。
あまりフリフリで自己主張が激しいエプロンは嫌だけど、フリルが一切ないような、最もシンプルなデザインは、それはそれでなんだか物足りない。
地味で実務的な機能美の中で、あの肩のフリルがメイド服のデザインを決める大事な要素だと思っている――
――いけない、わたしってばいったい何を考えているの……?
いつの間にか、わたしまでメイド趣味に侵食されてしまっている!
「やっぱり有紗ちゃんも、メイド萌えだからこんな仕事をしているの?」
荻坂さんの問いかけに、わたしは慌てて首を振って否定した。
「お金のためにバイトしてるだけですっ」
「ふーん、そうなんだ。何か欲しいものでもあるのかなぁ?」
「まぁ……そんなとこですね」
たぶん隠し切れていないわたしの内心の機微を気にしてくれるような相手ではない。
「せっかくだから、リサーチのために聞いとこうかな。最近の女子高生って、どんなものが欲しいの?」
「うーん……ノンフライヤーかな」
「のんふらいやー……? 何かアクセのブランド名? それかバンドの新曲とか?」
「油を使わずに揚げ物ができる調理機械です。安全だし、後始末も楽だし、少ない人数ぶんの揚げ物を作るときに便利らしいんですよ」
日ごろから検討していた内容だけに、ほぼ考えることなくスラスラと言葉が出てくる。
「……自動食器洗い機も便利だって聞きますけど、あれってある程度の人数が同時にご飯を食べる家庭でないと、あまり意味ない気がするんですよね。お鍋とか包丁とかまな板なんかはどうせ手で洗わないといけないわけだし――」
荻坂さんは、初めて見る真剣なまなざしで、またじっとわたしを見ていた。
まるでわたしの心の奥をのぞきこもうとするみたいに。
そして、言った。
「あなたは、“お母さん”になりたいの?」
わたしが口ごもったり、いかにも話したくないそぶりを見せたりしても、この人はそんな空気を読むタイプじゃない。
わたしが答えるためそのままずっと待っている。たぶんそういう人だ。
――“お母さん”になりたいの?
だって、もういないんだよ?
だったら、誰かがその役をやらなくちゃ。
女子高生である前に、メイドである前に、早蕨有紗である前に。
わたし以外に、いないじゃん。
それを咎めているのか、同情しているのか。
それともただ聞いてみただけなのか。
荻坂さんがどんな意味を込めて訊いたにしろ、今のわたしにとってそれに答えることは、とても面倒で、気が重くて、胸が軋む作業だ。
だからわたしはあえて、強引にでも話題を変えることを選ぶ。
「……荻坂さんは、どうして編集者になろうと思ったんですか?」
「えっ、私?」
彼女は、話をそらされたことについては特に気にする様子もなく、あっけらかんとした様子で答えはじめた。
本を読む人間としてわたしも、編集者という職業には興味がある。
「私はねぇ、就活の季節になっても、何になりたいとか何を目指そうとか特に決まってなくってね……」
のんきな調子だけど、意外とみんなそういうものなのかもしれない。わたしも今までそんなこと具体的に考えたことなかったし、それが数年経てば自然と決まっているだろうなんて、見通しが楽観的すぎるというものだろう。
「それでとにかくいろんな人から仕事についての話を聞いてみようと思って。中学高校大学の先輩たちとか、友だちのお兄ちゃんお姉ちゃんとか、親戚一族郎党とかに片っ端から電話をかけたの」
「え……その全員にですか」
「うん。だって電話って、番号さえわかってればそれを押してかけて話すだけでしょ? 簡単だよ」
お、恐るべき行動力……。
こういうところは確かに編集者に向いているのかも。
「それで最終的にね、飲み屋でたまたま仲良くなった人が今の職場の先輩で」
えっ。……電話した方たちは?
「出版社ってなんだか面白そうだなぁ、って」
そしてけっきょく、予想以上に動機がふわっとしていた。
「ねっ、だからさぁ……」
荻坂さんは、にっこりとわたしに笑いかけた。
「そんな感じでも、意外と何とかなるもんだよ、人生って」
わたしに何か伝えようとしているのか、それとも深い意味はないのか、その笑顔からは特に何も読み取ることはできない。
「あ、それから有紗ちゃん――」
荻坂さんは思い出したように真顔になって、付け足した。
「エプロンの紐、後ろで結んでくれないかなぁ?」





