編集者からの無理難題(3)
幼い頃から、家を閉め出された経験なんてない。
ましてここは勤務先、おまけにフリフリピンクのミニスカメイド服を着た年上の社会人と一緒だ。
わたしのささやかな人生経験ではどうしていいかわからず途方にくれていると、ピンクのメイド編集者――荻坂さんというらしい――は、さほど動じた様子もなく、軽くため息をついて言った。
「しょうがないですねぇ。……このへんに喫茶店かファミレスか何かあります?」
最寄りの街道沿いのファミレスまで案内してあげると、荻坂さんは動じる様子もなく堂々と店内に入り、元気よく店員さんに向かって声をかけた。
「2名、禁煙席でお願いしまぁす!」
……あれ? もしかして、わたしも同席する流れになってる?
ここで流されてしまうのがわたしの良くないところだと思いつつ、仕方なく四人掛けのボックス席の、荻坂さんの向かいに座る。
――『わたしたちJKって周囲の目を気にしがちなものだけど、有紗は特に他人の視線に敏感だよね』
以前、咲にそんなふうに言われたことがある。自覚はなかったけど今回ばかりは、店員や周囲の客たちが、目にも毒々しいピンクのミニスカメイドを着た荻坂さんをチラチラと物言いたげに見ているのが痛いほどわかる。
さすがにいたたまれなくなって、わたしの制服のブレザーを貸してあげたが……なんだか余計にいかがわしくなったような気がしなくもない。
「えっと、早蕨……有紗ちゃんっていったよね。17歳、高校2年生」
ここに来る道中で、間をもたせるために軽く自己紹介したのをおぼえていてくれたらしい。こういうところはちゃんと編集者なんだな、とわたしは妙なところで感心した。
荻坂さんは、申し訳程度に腰に巻かれているだけで本来の機能を全く果たしていない小さなフリルエプロンのポケットから紙片を取り出す。――何かと思えば、名刺だった。
「ソーシャルソート社、書籍出版部の荻坂と申します」
あらたまって丁寧に差し出された名刺を受け取る。
見慣れた社名とレーベルのロゴの下には、『荻坂 智映琉』とルビ入りで名前が書かれてあった。
「えっ……作家さん?」
「本名ですよぉ! 私は編集者ですってば」
荻坂さんは、説得力というものがまるで感じられない格好で、そう言った。
名刺を差し出したときに前に身を乗り出した姿勢のままでいるせいで、谷間があらわになるほど開いた胸元の中身が、テーブルの上ではち切れんばかりに存在を主張している。
わたしが今まで身近に見てきた誰よりも大きい。
「……ツインテって、社会人になっても許されるんですね」
「許されてないよ! 罪の十字架だよ!」
荻坂さんは自分の頭の両サイドのツインテールをつまみ上げて、ぴこぴこと振ってみせた。
「編集部で六堂先生はメイド好きだって聞いたから、私なりに先生に気に入られようと、いろいろ工夫してきたんですよぉ。これでもライト文芸・ファンタジーレーベルの編集なんですから、そういう知識には詳しいんです!」
「じゃあ、そのメイド服も、好きで着てるわけじゃなく……?」
「タクシーに乗る前に、駅のトイレで着替えたんですよ! こういう格好が“萌え”というものらしいので!」
荻坂さんは、口をとがらせて不満げにそう言った。
なんだか、年上と言うより、妹の結伊を相手にしている感覚に近い。
店員さんが荻坂さんのほうをなるべく見ないように気を使いながら、お冷を運んできた。
「えっと、季節のキャラメルマロンパフェひとつ」
商品名をメニューも見ずにすらすらと言う荻坂さん。
「有紗ちゃんも好きなの頼んでいいよ。経費で落とすから」
健全な女子高生としては、放課後のこの時間には、いつもなら甘いもののひとつやふたつ食べたくなるが、さすがに遠慮してドリンクバーだけ御馳走になることにした。
「ファミレスで打ち合わせとかしょっちゅうだから、メニューも一通りおぼえちゃうんだよねぇ」
……いつもパフェを頼んでるのかな。パフェを食べながら打ち合わせするのって、普通なんだろうか。
「それで――」
荻坂さんは少しだけ真面目な顔つきになって、わたしに問いかけた。
「有紗ちゃんは、六堂先生のお仕事を知ってますか?」
「はい、もちろんです。『ガランドーア軍国記』、中学の頃からずっと楽しみに読んでます」
わたしがそう答えると、荻坂さんはツインテールをぴょこんと揺らして、ひれ伏さんばかりにテーブルの上で頭を下げた。
「読者だった! いつもお買上ありがとうございますっ!」
……この人、悪い人じゃないのかかも。
平伏している姿を見てそう思うのもどうかって感じだけども。
でも、六堂先生はこの荻坂さんのようなタイプを苦手にしているんだろうな、というのは、まだ付き合いの浅いわたしにさえ、すでに十分すぎるほど伝わってきてしまった。
「でも……そろそろいいかげん新刊の原稿書いてもらわないと、わたしのクビが危ないんですよぉ……!」
運ばれてきたパフェを子供のように頬張りながら、荻坂さんはそう言った。
「最近は、少しずつ書き始めているみたいですけど……」
「ホントっ!?」
口元にクリームを付けたまま、荻坂さんは驚いたようにそう言った。
「進捗を話題にするのも嫌がられるって聞いてたけど……先生、有紗ちゃんにはずいぶん気を許してるのねぇ」
何気ない荻坂さんの言葉に、心臓がコトリと特別な脈を打つ。
……だめ。回路はオフにしなくちゃ。
「私のどこが悪いんだろう……やっぱり新卒社会人でツインテはナシだった……?」
荻坂さんは、指先でくるくるとテールをもてあそびながらつぶやく。
それもあるかもしれないけど、先生がいちばん許せないのはその安っぽいピンクのメイド服なんだろうと思う。
「――ねぇ、有紗ちゃん」
荻坂さんが再び、豊満な胸でぐいっと前に乗り出してくる。
「なんとか先生に機嫌を直してもらえるよう、取りなしてもらえないかなぁ?」
わたしは考える。いくら六堂先生との相性が悪いとしても、担当者とこんな調子じゃ、いつまで経っても新刊は出版されない。
具体的にどうするかはともかくとして、わたしと荻坂さんの利害は一致するはずだ。
「取引ってわけじゃないけど、そうしたら私も、有紗ちゃんのバイトのこと会社には報告しないでおくし。……あ、なんだったら他にも何着かメイド服余ってるから、あげてもいいよ?」
「わたしも趣味でメイド服着てるわけじゃないです」
たぶん派手な色で、過剰にフリフリで、スカートが短くて胸元が露出したやつなんだろうし。
なんとなく、先生のメイド服に対するこだわりがちょっとだけ理解できてしまって、複雑な心境になる。
この荻坂さんを見ていると、「そんなのメイドじゃない!」と思わず口について出そうになるのだ。
「……あ」
パフェを食べ終わり、伝票を手に取ろうとした荻坂さんが、短く声を上げた。
「どうかしたんですか?」
「着替えとバッグ……タクシーの中だ……」
けっきょくその場は、なけなしの小遣いでわたしが立て替えることになった。
ドジっ子メイドはフィクションの中だけにしてほしい。





