編集者からの無理難題(2)
翌日の放課後。いつもどおり、お屋敷の前に自転車を停めて、制服のスカートを整え直す。
次にポケットミラーに自分の顔を映してチェック。今日は前髪がいい感じに決まっていたので、少し気分が上がる。
……これはべつに乙女心じゃなくて、食事の用意について六堂先生と相談しようと思っているからだ。
もちろんメイド服に着替えてからね。
その姿のほうが交渉がはかどるに決まっている。それに、どうせなら少しでも見た目が可愛いほうが……。
いつの間にか、わたしもずいぶん打算的になってしまったかもしれない。
でも、メイド以外の価値観に目を向けようとしない先生に対しては、これぐらいでないとダメだ。
真鍮の竜のノッカーにも、最近はなんだか愛着がわいてきた。心の中でこっそり“ボリス”という名前を付けて呼んでいる。
そのボリスを形ばかりに鳴らし、わたしは豪華な扉を開けて屋敷の中にお邪魔した。
この時間にわたしが来るのはもうわかっているので、最近は仕事部屋にこもってわざわざ出て来なかったりするんだけど――今日は入ってすぐのホールに、六堂先生が立っていた。
先生はいつも通り上品な三つ揃いをきっちり着こなしている。わたし以外の人と会う予定がない日は、ループタイを仕事用と決めているらしい。
そして先生は、懐中時計ならぬ懐中スマホを手にして何か喋っていた。
「……は? 聞いていないぞ。いいかげん事前にアポイントメントを取るということをおぼえたらどうかね」
「先生、どうかしたんですか? お芝居の練習?」
いつもならすぐ更衣室に行ってメイド服に着替えるところだけど、主人を無視するわけにもいかないので、わたしはそう声をかけてみた。
先生はちらっとわたしに目配せすると、そのまま懐中スマホに向かって話し続けた。
「駅からの道順ぐらい自分で調べたまえ。なぜ私が出迎えに行かねばならんのだ」
……あ。それ、通話もできたんですね。
ベストのボタンから金色の鎖で繋がれ、精巧な細工の施された真鍮の懐中時計と会話している姿を見ていると、なんだかわたしの持っているスマホよりも近未来的なアイテムのように思えてくるから不思議だ。
「女の子の声……? あぁ、わたしが新しく雇ったメイドだ。――なんだ、騒々しい。何を騒いでいるんだ」
そこで通話を切ったのか、先生は首を振りながら懐中スマホをベストのポケットに入れ、bluetoothらしい金色のイヤホンを耳から外すと、反対のポケットにしまう。
「やあ、有紗くん。体裁の悪いところを見せてしまったかな」
「いえ……わたしこそ、お電話中にすみません」
「ところで、さっき芝居と言ったようだが……私がご主人様として振る舞うのは芝居ではなく私の本質だからね。そこのところは理解してくれるかな」
「そんなことより、どなたかいらっしゃるんですか」
「ああ――出版社の担当編集者だよ」
そう言えば、引っ越したことも連絡していないとか言っていたような。
これは大事な問題だ。いくら原稿を書いても、編集者がいなければ新刊は出ない。
「執筆を再開したこともあり、昨夜メールでいちおうここの住所だけは伝えたのだが、まさかすぐ次の日に押しかけてこようとは」
しばらく音信不通だった人気シリーズの作家から急に連絡があったら、それも無理はない気がするけど……。
先生の口ぶりから、気になっていたことを聞いてみる。
「六堂先生は、その編集者さんとその……仲が良くないんですか?」
先生は少し口ごもったあと、困惑と苦々しさが入り混じったような様子でこう言った。
「――私が小説の続きを書かなかったのは、この家を建てていたからばかりではない。私をスカウトしてくれた最初の担当編集者が異動になり、新人の担当がついたからだ」
「新しい担当さん、ですか」
「ああ。その者と私は、なんと言うか……どうにも相性が悪くてね」
先生は確かに風変わりではあるけれど、頭ごなしに他人を否定したり、好きこのんで誰かと衝突したりするような人ではないと思う。
その先生がそこまで言う新しい担当者とは、いったいどんな人なんだろう。
――まさにそのとき、車のエンジン音が屋敷に近づいてくるのが聞こえた。その音は、ブレーキ音と共に屋敷のすぐ前で止まった。
『六堂せんせぇーーーーーーーっ!!!』
若い女性の大声が、ドアごしに響いて来た。足元を動き回っていたお掃除ロボットのサルサが、ピッと電子音で反応する。
「……すまない有紗くん。ちょっと出てくれないか」
先生は今にも自室に逃げ込みそうな様子だけど、とりあえず表にいる人を放っておくわけにもいかない。
幸い、まだ着替える前の制服姿だったので、わたしはそっと玄関の扉を開けた。
屋敷の前に停まったタクシーから降りてきたのは――目にも痛々しいピンク色で、かつミニスカートのメイドだった。
つまり先生が言うところの『低俗で浅薄で論外』な、ここに来る前にわたしが想像していたようなフリフリしたメイド服を着た若い女性が、ツインテールに結んだ髪を揺らしながら、エントランスの石段を駆け上がってくる。
さすがにドアを閉めるわけにもいかず、その場で固まってしまったわたしの前に、その家政婦ではない特殊な職業感を醸し出すメイド女子が立ちはだかった。
量販店のパーティーグッズ売り場にナースだのバニーだのと一緒に並んでいるような、安っぽいテカテカしたショッキングピンクの生地。スカートの丈にいたってはわたしの半分か、下手をすると3分の1ぐらいしかない。学校でいちばんギャルっぽいグループにだって、なかなかここまで短い子はいない。
身長はわたしよりちょっと高くて、少し踵のあるパンプスを履いているので、露出が激しい胸元がわたしの目線のすぐ下あたりでずっしりした存在感を主張している。
彼女は、制服姿のわたしを上から下までジロジロと眺め回すと……糸が切れたようにそのまま玄関先にへたりこんでしまった。
「ああああああ……遅かったああああああ……!!」
涙まじりの大声を上げるツインテールのピンクメイドさん。さすがに屋敷の前でそんな大声を立てられるのは困ると思ったらしく、六堂先生がわたしの背後から声を上げる。
「静かにしてくれたまえ、荻坂くん。何が遅いと言うんだ」
「六堂先生が一軒家を建てたと聞いて、イヤな予感がしてたんですよぅ……! 案の定、こんなJKを連れ込んでるなんて……」
「人聞きの悪い言い方はやめたまえ。彼女は正式にこの屋敷のメイドとして雇っているのだ」
「……JKを? メイドとして? そんなの世間に知れたら大炎上ですってばぁ……! 弊社のコンプライアンス的にも大問題ですよぉ……!」
荻坂という名前らしいこのミニスカメイドさんは、へたりこんだまま両手で顔をおおった。
……あれ。
なんだか、このミニスカメイドさんの言うことももっともな気がしてきた……?
「コンプライアンスがどうこう言うなら、作家の家を訪れる前にはアポイントメントぐらい取ったらどうだ」
「事前に連絡したら、逃げて会ってくれないじゃないですかぁ!」
「だいたいなんだ、そのふざけた格好は……! それが仕事の話をする服装だとでも言うのか?」
ピンクのミニスカメイド服を指さし、珍しく苛立ったような声を上げる六堂先生。
なんだかもう、どちらがマトモなことを言ってるのかわからなくなってきた……。
「ともかく、そんな破廉恥で下卑た服を着た者にこの屋敷の敷居をまたがせるわけにはいかない。出直してきたまえ。――有紗くん、すまないがその女を追い返しておいてくれたまえ。私はもうその、メイド服を名乗る邪悪な布きれを、視界にも入れたくないのだ」
え……。
わたしが何か言う間もなく、目の前でバタンと扉が閉じられ、JKの制服姿のわたしと、ピンクのフリフリミニスカメイドの荻坂さんだけがその場に残された。
関わり合いたくないとばかりにタクシーが急発進して走り去る音だけが背後から聞こえてきた。





