魅惑のスーパーもふもふパラダイス
よろしくお願いします。
アリシアは医者だ。
女が仕事に就くのが珍しいこの世界で、幼い頃大病を患い、そのときに治療してくれたドクターに感銘を受け、家族を説得し、必死に勉強して、なんとか一人で立てる医者になった。
女性の医者は珍しく、やはり男性には言いづらい症状も同性になら言いやすいと、第二都市に構えた小さな診療所にもかかわらず待合室はいつもいっぱいで、お忍びで高貴な身分の方もいらっしゃるほど。
毎日くたくたになるまで患者と向き合い、社交もない日々。しかし特に不満などなかった。
私でも役にたっている、ありがとうと言ってもらえる!それだけでアリシアは頑張っていられた。
しかし、そうも言っていられなくなった。
隣国から音もなく、新しい疫病が流れこみ、瞬く間に蔓延したのだ!
症状は咳と発熱と、これまでの風邪と変わらないが、きちんと見極めた処置をしないとあっという間に重症化する恐れがある。
第二都市にはアリシアを含め医者が五人しかいない。
診療所前には日々大行列ができて、パニックになった患者をなだめ、いつまで待たせる殺す気かと騒ぐ患者を落ち着かせ、不眠不休で診察し、検査し、処置する日々。毎日毎日患者は増えるいっぽう。夜の22時に閉院の看板を出すと殺気で殺されそうになる。
「いっそ、殺してよ……」
一人ぼっちの診察室で崩れ落ち、アリシアはポロリと涙をこぼした。気力も体力も限界だった。
アリシアの診療所はアリシアと看護師一人。交代要員などいない。その戦友の看護師は夫に病がうつるからしばらく働くなと止められて、申し訳なさそうに休職を申し入れられた。
ご主人の気持ちもわかるので、引き止めることなどできない。
国もこれ以上病が蔓延しないように、あらゆる手をうっている。働き手が病気に倒れたときの給付金、経済がまわらず、傾いた商店には無利子の貸付、弱者への無料の薬や食料の配布……。
だがしかし、アリシアを助けてくれるものはいない。
アリシアの家族はアリシアの夢を閉ざしもしなかったが助けてもくれない。医学部の卒業式も、診療所の開設時にもおめでとうすら言ってくれなかった。
そして世間的には、アリシアは弱者とは言えない。仕事があり、お金があり、家がある。国も、誰も、絶対的強者と思われているアリシアを助けてなどくれないのだ。
そして当然のことながら、病魔と最前線で戦っていることも、アリシアを疲弊させた。いっときでも気を緩めれば、患者を治療するどころか、自分が感染してしまうのだ!
「つらくて吐きそう……」
しかし吐くものもない、ここ数日、食事の時間もない。食欲もないのだが。
「寝たい……でも眠って、起きたら、またこの苦しみの一日がはじまるの?もう嫌だ……」
ますます泣きじゃくりながらも、染み付いた医者魂がアリシアを動かし、部屋を換気し、丁寧に器材を消毒する。部屋中を掃除しおわったころには日付が変わっていた。
「帰ろう……」
と言っても帰るのは診療所の二階の私室だ。夜中に急患だとドアを叩かれれば働くほかない。この街には恩がある。もちろん皆の役に立ちたい。
ただ……ただ、疲れたのだ。
ますます頭痛がひどくなり、頭を揉みながら結い髪をぱらりと解く。金髪がぱさりと広がる。
髪を洗いたい。お風呂に入りたい。でもその時間すらない。ますます涙が溢れ出す。
階段を手すりにつかまりながら、のそりのそり上る。
「この、混乱もっ、い、今だけだって、わかってる……で、でも、少しだけ、休ませて……お金とか、もういいから……もふもふのなかで……二時間っ、眠らせて……もふもふに沈んで……もふもふパラダイスすれば……少しは……元気になれるかもっ……」
取り留めなく、そう呟きながら、二階にたどり着き私室を開けた。
そこには、何故か若い男が驚いた顔をして、突っ立っていた。この水晶のような銀眼、見事な銀髪……どこかで見たことある……しかし思考力が落ちているので、全く思い出せない。
男はつらそうに顔を歪めた。そして何故か私の足元に跪いた。
「ああ、このようにおやつれになって……おいたわしいロペス博士。博士、先ほどの言は本当ですか?」
博士と呼ばれるのは久しぶりだ。王都で勤務医をしていたころの知り合いだろうか?とぼんやり思う。
「えーっと。私、何か言いましたっけ?」
後から考えれば、女性の部屋に上がり込んでいた男に聞くことは、これではなかったけれど、アリシアはもはや普通の状態ではなかった。
「も、もふもふパラダイスすれば、元気になれる、と」
「ああ…………言ったわね。間違いない。もふもふパラダイスはどんな歳であれ女の夢だもの……」
私には見果てぬ夢だけど。アリシアは切なげに笑った。
「……わかりました」
「へ?」
突然男は目を瞑り、何かを唱えた。すると、男の体はあっという間にバラバラの粒子になり、再び再構築したときには……フッサフサの銀の毛皮を持つ、牛二頭分はありそうな、狼に変わっていた!
アリシアの夢そのものが目の前に、出現した!
「も……もふもふ⁉︎どうして?え?もふ?ふも?あの?もふって?いいの?」
狼は少し緊張した面持ちでこくりと大きな首を縦に振った。
「も、も、も、もふもふ〜!!」
アリシアはもふもふに飛びかかった!
『うぎゃっ!』
アリシアは体全体を銀狼の背に乗せて、まず全身でもふもふを堪能する。
「お、重くない?」
『ま、全く問題ないです』
ならばとズリズリと体を押し付けながら前進し、柔らかい首元の毛皮にグリグリと頭を擦り付ける!
「もふもふ〜!」
『ぐはっ!』
もっと体を進め、狼の頬に頬を擦り付けながら、首に手を回す。
「はあああ……もふもふ……」
『ごほごほっ、ロペス……アリシア嬢!頬を寄せる行為は万国共通の求愛行為だと……』
アリシアはゆっくりと手を毛皮の上に這わせ、どこの毛皮が好みの固さか確認する。
「はあ……お腹がわの白いところが柔らかい、フワフワのもふもふ……」
『そ、そこは……ああ……耐えろ、耐えるんだ……く、くう……』
「ねえ、まあるく、寝っ転がってくれない?」
『はい……ぜえぜえ……』
銀狼は伏せ、の体勢から、腹を横に見せたかたちで体を床に横たわらせた。
アリシアは、待ってましたとばかり、銀と白の毛が交じり合うあたりの深い毛並みに体をゆっくりと沈み込ませた。
「柔らかい……あったかい……」
『あ、アリシア、そこはちょっと……当たる……都合が……』
「ああ……もふもふパラダイス……」
アリシアは電池がきれたように、プツッと眠った。
『…………はあ。愛する女性に身体の至るところを撫で回されて……私の理性はいつまで耐えられるのだろう…………?』
◇◇◇
アリシアが目を覚ますと、銀狼は消えていて、代わりに胃に優しそうなスープがテーブルに置かれていた。
夢だったのかなと思いながらも手を合わせ、久しぶりの朝食を食べて、その日も診察を開始した。
夜、再びヘトヘトになって二階に登ると緊張した面持ちの銀狼が、待ち構えていて、
「も、もふもふ〜う!」
アリシアは当然、銀狼の腕の中?にダイブした!
そんな毎日が三か月ほど続いた。
相変わらず、診療所は長蛇の列だったが、ようやく王都の研究機関で特効薬が開発された!
第二都市にその薬が出回るのはもう少し先だろうけれど、その情報だけで、世の中の空気が明るいものに変わった。トゲトゲしい雰囲気は消えた。
そしてアリシアも毎夜のもふもふパラダイスのおかげで、質のいい睡眠が取れ、どうにかパンデミックを乗り越えた。
重い足をひきずって二階に上がると、今日も銀狼はいた。
「私のもふもふさあん!ただいまあ!」
アリシアは首に抱きついて、頬にキスをする。挨拶大事!
『お、おかえり。今日はちょっとだけ早かったね』
「うん。だから今日はお風呂に入ってくる。いつも臭くってごめんね」
『アリシアが臭かったことなど、一度も!ない!』
「よかったあ!」
アリシアはいそいそと久しぶりのお風呂に入った。大好きなもふもふさんに綺麗になった体でお願いしたいことがあったのだ!
薄手のガウンを着ていそいそと銀狼のもとに戻ってきた。
『石けんの爽やかな香りがする。よかったね、アリシア』
「うん!綺麗になったから、お願いがあるの」
『なんだい?……ぐはっ!』
アリシアはニコニコ笑いながら、さっと纏っていたガウンを床に落としたのだった。
「一度、素肌で直接、もふもふを堪能したかったの〜!」
アリシアは嬉々として、素っ裸でいつもどおり、銀狼の上にダイブした!
『だ、だ、だめだーーーー!』
銀狼はいつかの光に包まれて、バラバラの粒子になった挙句、どこかで見たことのある、涙目の銀髪の美丈夫に変化した。
「あ……あ?」
アリシアは気がついた。これはどう見ても裸の痴女がいたいけなハンサムに跨って襲っている構図であると。
そして、この男性を以前見たのは……女王の宮殿だったと。
自分の下に敷かれている彼は、恐れ多くも、女王の婦人病の担当医をしていたころに、心配そうに側に控えていた第三王子だと……正常に働くようになった、アリシアの本来賢い脳みそは気がついてしまった。
王子は頬をバラ色に染めて、伏し目がちで、ささやいた。
「アリシア、もう私は……あなたに身体中いいようにまさぐられて、婿に行けない体になりました。責任とってくださいね?」
「は、はいぃぃぃ…………?」
◇◇◇
アリシアは素っ裸のまま、背中から自国の第三王子レイナードに抱き込まれ、半分放心状態で、事の次第を聞いている。
「……で、医者の奮闘ぶりを聞いてたときに、かつて女王の不調に寄り添って治療してくれたアリシアを思い出し、第二都市では援軍もなくさぞや苦労しているだろう、と思い、いてもたってもいられなくなって、様子を見にきたんです。医療に知識などないけれど、何か手伝うことはないかと。女王は公務に差し障らないならばと許可を出しました。公務がない時間となると、結局夜で……」
「はあ」
「たどり着いてみれば、夜というのに診療所の玄関は騒然としていて、ここで私が顔を出せばもっと騒ぎになると思い、裏口からこっそり入らせていただきました。申し訳ない」
「いえ」
「で、日付が変わり、ようやく仕事を終えて部屋に戻ったあなたは死にそうに衰弱していて……そんなあなたが欲した唯一のことが、金でも食料でも休日でもなく、もふもふパラダイスでした」
「もふもふパラダイス……」
「私は一瞬で決意しました。あなたのために、王家の秘密を晒そうと。我々王族が他のものより強く、長生きし、先祖の知識をそっくり引き継いで、その知識で国を治められるのは、先祖に獣神がいる……獣人だからなのです」
「先祖が……もふもふ神……」
「我々は獣の形が取れますが、それは国難に際した時のみ!と固く戒められています。しかし、今こそ国難であると!今アリシアを助けることこそが国を、国民を救うこと!私は獣化しました。内心、密かに想いをよせているあなたに嫌われてしまったらどうしようとヒヤヒヤしながら」
「もふもふヒヤヒヤ……」
「そ、そうすると、アリシアは、私のもふもふをいたくお気に召して、私の体を、執拗に撫で回し……」
「ぎゃーーーー!」
「尻尾は我々の1番の……敏感なところですのに、むぎゅむぎゅと握りながらお休みになり……」
「ごめーーーーん!!」
「私の身体でアリシアが触ったことのない場所などもうどこにも……」
「いやーーーーん!!」
「頬に毎日キスされて……」
「キスしてたーーーー!!」
「夜、私が少し離れるともふもふ無しでは生きていけないと泣き出して……」
「それ真実ーーーー!!」
「アリシアが…………」
「……ーーーー!!」
「…………」
「……!」
◇◇◇
当然、アリシアは第三王子レイナードと結婚した。
アリシアは地方領主の娘だったのだが、疫病のさい多大なる貢献をした、という体で一代女伯爵になり、格を整えた上で、王子妃となった。
獣人という王家の秘密を知り、王子をキズものにしてしまった責任を取った形の結婚となったわけである。
しかし、
あのときアリシアを思い出してくれたのは、レイだけだった。
実際に手を差し伸べたのもレイだけだった。
毎日アリシアを包み込んで寝てくれて、心を温めてくれたのもレイだけだった。
アリシアの食を、命を心配してくれたのもレイだけだった。
三か月間、見つめ続けた銀の瞳と銀の毛は、レイのものと全く一緒だ。
結局、大好きなもふもふさんが恋愛対象に変わるまで、さして時間はかからなかった。
それに……今更レイ以外の体に包まれるなんて考えられない……もふもふであってもなくても。
正直言えば、私のもふもふを他人と分け合う気などさらさらない!!
アリシアはレイの公務のために再び王都に戻った。アリシアの公務は女性王族の担当医であることだけで、下町に小さな診療所を用意してもらい、空いた時間は今までどおり、町医者をさせてもらっている。
小さな離宮に帰ると、珍しくレイが先に戻っていた。
「ただいま!」
アリシアはジャンプしてレイの首にしがみつき、頬にキスをする。
「ねえ、もふもふさんにもただいまのキスしたい!」
アリシアはレイにだけは甘えられる。極限まで弱った姿を見せているから。
「……どちらも私だけど、狼のほうがアリシアは好きなの?なんか複雑だよ」
そう言いつつも、レイは一瞬で獣化し、アリシアを包み込む。
「もちろんどっちも大好きに決まってる!」
アリシアは愛するもふもふさんにキスの雨を降らせる。
『私も……患者のために奔走するキリッとした医者の君も、私のもふもふに埋もれる小さなアリシアも……愛してる』
狼は自分の首元に埋もれるアリシアの頰を、ペロリと舐めた。
アリシアは永遠に!魅惑のスーパーもふもふパラダイスを手に入れたのだ。
この話はもちろんフィクションです。
そして医療従事者の皆様、毎日ありがとうございます!