凍りて出づる・6
新書「凍りて出づる」6
装置を抜けると、そこは「氷の回廊」だった。
屋外に、緩い上り坂の真っ直ぐな道があり、左右に白い柱。柱の間には、薄いガラス板が張ってある。屋根は無く、地面は芝だ。遠くには、屋根のある小さな建物がある。だが、空は仄暗く、雲が無いのに、星は見えない。余計な音は無く、静まり返っている。熱くも冷たくもない、ただ生温い空気が、季節感を消している。
グラナドは土の盾を出した。取り敢えず、物理攻撃を防御するためだ。俺は水の盾を出した。カッシーが、軽く照明魔法を出使う。ルヴァンが、
「おや、この前は、ほとんど魔法が使えなかったのに。」
と、自分もカッターを出してみた。
「ガラスじゃないわね。」
と、張り巡らされた透明な板を、近くで照らしながら、カッシーが言った。俺は板の表面に触れた。これもまた、熱くも冷たくもない。つるりとした表面。硬い感触だが、圧迫すると凹む。
「ああ、あまり強くないんですよ。元は氷なんで。」
ルヴァンの言葉に、指を離す。屋根こそないが、、下方が溶けるか割れるかしたら、上方が崩れるかもしれない。
「その割には、寒くないが。」
とファイスが言った。単に気温の問題ではなく、不自然な物に対しての不信感だろう。ミルファが、
「フィール達と、一緒に戦った時、こういう感じだったでしょ。でも、ここの方が、別世界って感じは、あまりしない。」
と言った。ハバンロは、柱を撫でるように触り、
「おや、この柱、「継ぎ目」がありませんぞ。この大きさで。」
と、ルヴァンを見た。彼は、ハバンロとグラナドを交互に見ながら、
「微妙に答えにならなくてすいませんが、アルトキャビクの、民話の『氷の城』を再現したかったんですよ、たぶん。
あれ、実は、キャビク山の裏から採れた白い石を、これまた特産の粘土でくっつけるんですが、この粘土が、乾くと透明度が増して、天気の良い日は、やたらと、きらきらするんです。
コーデラ領になってからは、安くて良い木材が入ってきて、お城は徐々に変わっていったんですが、今でも、アルトキャビクの古い家は、まだその石使ってますから。
ただ、もう、城が新しく作れる
ほどは採れないんで。」
と、述べた。
「あと、ヒビが入って割れたりしても、ガラスみたいに、上から凶器になって、降ってくることはないですよ。ぐにゃりとなってしまいますから。」
と付け加えて。本当に、答えになっていない。
改めて見渡す。高い柱が並んでいる様は、遺跡には見えても、城には見えない。元々、ここは遺跡だが、彼が再現しようとしたのは、寒冷地の強健な城の筈だ。こんな南国の巨大な四阿のような物は意外だ。
グラナドは、
「それはまた、有益な話だな。」
と小声で言い、
「取り敢えず、向こうから仕掛ける気は無さそうだな。」
と、道の先を見通す。
留まっているのは、シェード達を待っているか、敵の出方を見ているか。俺はシェード達を待ちたかったが、グラナドは、ルヴァンに
「あそこには、劇場みたいな建物があります。ソーガスはそこに居ます。すぐ手前まで、転送で送りますよ。」
と言われて、承諾の返事をした。レイーラが来る前に決着を付けたいようだ。
転送で、「劇場」の手前に着いたら、ルヴァンは直ぐに戻った。
「お達者で。」
と言われた時には、おかしな気分だったが、約束した事は全うしたので、止める理由はない。
「最後まで、掴みどころのない男でしたな。」
とハバンロが言った。
彼が去った後、改めて「劇場」を見る。
見た目は平坦な四角い建物だが、構造は円形劇場のような物だった。小さく見えたのは、地表に出ている高さがないためで、すり鉢状に穿った地面を、低い壁で囲っていた。ニルハン遺跡で、エレメントが暴発した時、こんな地形だった。何らかの共通点はありそうだ。
今回は海水と炭酸ガス、オリガライトと、単純なエレメント以外に、「爆弾」になりそうな物が、多々ある。しかし、すり鉢の中心は簡素な物で、暗い色に輝く、大きな結晶体があるのみだ。
それに手を添えて、ソーガスが立っていた。
上空を見ている。縁の外側からは気付かなかったが、紫色の雲が渦を巻き、中心に光が見えた。結晶は、地面からソーガスの膝の高さに浮いていたが、よく見れば、中心の光から地面に、一本、極薄い、帯状の筋が見えた。
グラナドがいきなり、
「魔法結晶か?」
と問いかけた。改めて見る。確かに、ソーガスが持ち去った物と、だいたい同じ大きさだ。しかし、透明に輝く澄んだ結晶は、暗く濁った紫色になっていた。
「これじゃ、取り戻しても…。」
と、ミルファが小声で言った。ソーガスは、グラナドには答えず、ミルファに、
「取り戻せば、海水が付近の湖沼を満たす。」
と返事をした。
水源が海水になってしまったら、ニルハン近郊の被害は甚大だ。対策は、湖に注ぐ川から直接水を確保するか、海水を蒸留するか。今のコーデラなら、技術的には前者は可能だ。しかし、それまで、住人達はどうなる。
「もっとも、『王子の一行』は、結晶をコーデリアに持ち帰る事しか、考えて無かったみたいだが。」
と、ソーガスが皮肉な笑いを浮かべてきた。ミルファは、「あ…」と言ったきり、俯いた。
しかし、グラナドは、
「馬鹿を言え。この仕掛けを見て、一目で完全に『からくり』の解る奴が、簡単に居てたまるか。」
と一蹴し、
「それに、嘘はついても、無駄だ。」
と続けた。
「その結晶の役割りは、本来はキャビク島で集める筈だった物を、ここで集めるための物だろう。」
グラナドの言葉に、ソーガスの眉根が動いた。ミルファが、どういうことか、と尋ねる。彼は答えず、代わりにグラナドが説明をした。
キャビク島の反対側は海の真ん中だ。そこから入ってくるエネルギー(便宜上こう呼ぶが、エレメントが結合した、気流のような物)がキャビク島から吹き出ていたが、ソーガス達は、キャビクは放棄せざるを得なくなった。それに変わるものとして、この場所を選んだのたから、キャビク程ではないとしても、同等の機能を期待したからだ。しかし、現役の火山の火口でもある、アルトキャビクの吹き出し口と、研究途上で水の底に沈んだ古い遺跡とエネルギー源としての効率に差がある。用意周到に準備していたのだろうが、他の候補地(死人の蘇る古代遺跡や、特殊な鉱石の取れる土地、かつて複合体が産まれた場所)は、もう、並行して使うことが出来ない。魔法結晶とオリガライトを駆使し、無理矢理引き出すように仕向けた。手持ちの残りを全て投入し、足りなくなった分を強行突破で手に入れた。
その副作用で、遺跡の底の変化が目立ち、誤魔化し切れなくなった。
つまりは、結晶を取り返すか、消すかすれば、海水の現象は治まる。
「わざと場所を知らせて、何かあると思わせたかったか?この碁に及んで、俺が慎重論に走るとでも?」
俺はグラナドの言葉に対する、ソーガスの反応から、腹を探ろうとした。しかし、、不遜な態度を崩さず、皮肉な笑みさえ浮かべている。
“仕組みが解ったからと行って、何が出来る?”
声は変わった。さっきまでは、ソーガスの肉声だった。だが、今は、違う。彼の喉から出ている声なのに、空気を直接震わせて、振動がそのまま伝わるかのような、独特の声だ。
“また、そこの守護者に、最後の力を使わせるか?
だが、前王の時とは違う。天上に背き、雲の上から追放された身で、力を使い切れば、もう二度と蘇らない。
地上の者でなければ、『恩恵』の空虚も身に染みているだろうに。死に瀕して、味わうのは無念と後悔しかない。”
注目が俺に集まる。ミルファは驚いていた。ファイスは表情を変えない。ハバンロとカッシーは、疑問を顔に出している。
“仲間と言っても、差はつけてるようだな。
お前は、やはり、『そちら側』の者ではない。『こちら』に『戻れ』。”
挑発に乗る気はなかったが、俺より先にハバンロが、
「人は、皆、いつも全てを表に出して生きているとは限りませんぞ。私だって、グラナドやミルファとは幼馴染みですが、お互い、話してないことはいくらでもあります。
ラズーリにあれこれ言うより、そのような事でしか、人を計れない、自分自身を、まず顧みるべきです。だから、こうなってしまったのでは、ありませんか?」
と、整然と言い返してしまった。ファイスでさえ、驚いて彼を見る。カッシーが、
「ねえ、それは最もだけど。今は…。」
と言いかけ、
「まあ、別に、良いかな。」
と、自分で納得して黙った。ミルファと俺、グラナドは、顔を見合わせ、お互いの空気を読んだが、グラナドがいきなり笑いだした。
「その通り、さすがだ。」
とハバンロを褒めた。ソーガスの空気が張り詰めたので、気が気ではないが、グラナドが笑い終わるまで、誰も喋らなかった。
「お前に言われるまでもなく、こいつの考えそうな事くらい、見当がついてる。」
と、今度は、俺を驚かせた。
「気づいてたって…。」
とようやく言うと、グラナドは、
「アルメルで、あれだけ完全に消えた後で、しれっと無傷で戻ってきたんだ。何もない方が変だ。」
と、流れるように返答した。
「だが、今度は、『力』は使わせない。敵を倒し、異変を止め、全員、無事に連れ帰る。
それが、俺の戦いだ。」
その言葉に、ミルファはうなずいて、魔法攻撃の準備をした。切り札の弾は、まだ出さない。ハバンロは気功を貯め込む。カッシーは少し迷い、武器ではなく、火魔法を選んだ。ファイスは、冷静に剣を構える。
俺は剣先をソーガスに向けた。
「全てを引き換えにして得た、今ひとたびの生だ。後悔するとしたら、それを全うできなかった時だ。俺は、死なない。生きて帰る。」
真に愛する者たちと共に、真に愛する者たちの元へ。
“所詮はその程度か。勇者の矜持とやらか。下らん。”
と冷たく言うソーガスに、グラナドは、皮肉は抑え気味に(普段よりは)、反論した。
「お前の理想は、俺達を倒して、わざわざ塩で枯れた土地に、都を築く事か?なら、確かに俺には理解できん。
だが、お前はそれで満足しても、お前が呼び戻す者達にはどうだ。
嘆き悲しんで、お前を攻めるか。いや、人の土地なら、そこまでは思わないか?だが、『彼等』は、お前を勇者と称えるかな?お前たちの『恩恵』は?
幻影の中で見た者達の話を合わせると、お前の所業に、昔の仲間だからと言って、手を叩いて喜ぶような者は、一人もいないようだがな。」
キャビクも聖女コーデリアの恩恵を信じる国だ。彼が拘るとは思わないが、彼の『民』はどうか。そして、仲間は。
ソーガスの痛いところを、グラナドは見越していた。彼は冷静をかなぐり捨て、逆上した。
“知った口を!”
衝撃波が飛んできたが、俺が魔法剣で弾いた。
“勇者だと!そんな言葉は、もう、沢山だ!それで、全てを、支配した気になってるのか?!恩恵?そんな物がどこにある!あの忌々しい球体、ただそのための資源でしかないというのに!”
「俺の家族が殺されたのは、神聖騎士として使えた事に対する、聖女の恩恵だとでも?仲間を大切に、王家に忠誠を誓い、郷里を愛する心が、俺達に無かったと?恩恵にふさわしく無かったと?」
二つの声が同時に響く。直接の答えにはならないのが、返って彼の「本質」を明らかにしていた。
同業者、確定か。情報が全く無かったのは納得行かないが、常よりの疑問の答えとしては、納得が行く。
「“思い知れ!”」
地が割れる。二つに。
ソーガスと結晶の側と、俺達の側に亀裂が入り、急に間が広がった。彼は結晶に右手を触れていた。左手は、何やら図形を描くように動かし、その動きに連れて、切っ先の鋭い黒紫の塊が、無数に飛んでくる。俺とグラナドで、直ぐに盾を作る。塊はそれで防ぐには防げたが、盾で弾き返す事は無く、俺の水の盾には、変形して、半分程埋まった。グラナドは土の盾を出していた。こちらは埋まらずに、表面に潰れて張り付いた。
カッシーが火の盾を出し、脇から、いくつか塊を受け止めた。塊は、音を立てて吸収され、あっさり燃え尽きる。
「硬さが無いのね。焼いたほうが早いわ。」
との言葉に、グラナドは盾を火に変えた。しかし、焦げて煙が出るので、視界が曇る。
ハバンロが煙を、気功で吹き飛ばす。塊も同時に、進路を変えた。それを見たグラナドは、さらに盾を風に変えた。盾の表面を攫った気功、それを、魔法剣で、ソーガスの方に打ち返した。
これで、塊は防げた。カッシーの盾の背後で、銃を構えるミルファ。しかし、敵も味方も、足場が動くため、狙いが定まらない。グラナドが、攻撃魔法を何種類か放つが、速度が落ちていて、避けられてしまう。
「もう少し、近づけないか。飛び移れない。」
と、ファイスが言った。ハバンロも賛成した。ソーガスは剣は持っているようだが、抜いてはいない。魔法で決着を付けるつもりらしいが、魔法しか使えないと考えると、直接攻撃の出来る者達での、接近戦が有利だ。
「とりあえず、こっちの足場だけでも、先に固定しないと。ミルファに、結晶、撃たせるんでしょ?狙いがつけられない。」
とカッシーが言う。
今まで、このパーティーになってから、上下の感覚のない空間や、距離感の怪しい異世界みたいな場所で戦うことはあった。だが、中途半端に現実感が残っていると、返ってやりにくい。土魔法をロープ状にして、と提案しかけたが、ロープは向こうからやってきた。
塊が防がれたのに業を煮やしてか、ソーガスは、塊を紐に変えた。自分の足場は、細い柱のような脚で、地面に立てている。それは、彼の立っている足場の下から出ている。
その周囲を、光の輪が取り巻き、輪の縁から、紐、というか、何本も触手が出ていた。塊による礫弾と、触手による鞭。彼の陣営に属する者が、何度も使ってきた手段だ。
一本が、俺達のいる場所を捉え、少し引き寄せた。向こうも安定させたいらしい。触手を伝って、瘤が盛り上がり、人の形に近いものが、襲いかかってきた。ハバンロが気功で弾き飛ばし、ファイスが刀で切る。彼等の間を縫ってきた物を、俺が魔法剣で砕いた。
「今なら、直接倒せますぞ。」
「待て、この高さなら、奴がいきなり倒れたら、こっちもただで済まない。」
ハバンロの言葉に、ファイスが歯痒そうに答えた。確かに、このまま落下は不味いが、風魔法で調整すれば、ショックは和らぐ。
俺はグラナドを見た。彼は、一言、
「三人でかかれ。手はある。」
と言い、ミルファとカッシーを引き寄せ、詠唱を始めた。意味がわかった俺達は、触手を足場に、ソーガスに切りかかった。だが、彼はすぐに触手を消してしまった。俺は飛び上がったので、三人の剣では、俺のだけが、なんとか、彼の周囲の輪の縁に当たり、破壊したのを確認できた。
「ハバンロ!ラズーリ!」
「私はなんとか。ラズーリが。」
「どこだ、見えない…。」
ファイスとハバンロの声がする。声は聞こえる。急に煙が蔓延して、皆の姿は見えない。しかし、さらに急に、霧が晴れ、ソーガスの姿が、はっきり見えるようになった。正面にいた筈の彼が、下方に見える。頭を抱えている。結晶は近くには無い。苦しそうだ。触手や礫は勢いが無くなり、飛び交う火の玉や、銃の餌食になっている。
これはチャンスだ。
俺は空中で難無く方向を変える。剣は落としたのか、手に無かった。水の最高魔法が使えなくなったのが悔やまれるが、まだ『切り札』がある。
使わないと約束した力。だが、守護者の本能だ。俺はごく当たり前のように、構えた。
「ふざけるな!自己陶酔も大概にしろ!今すぐ、戻ってこないなら、無事でも、無事では済まさないぞ!」
グラナドの声がした。振り向く。随分、下の方に、グラナドが見えた。目が合う。
「しっかりしろ!」
シェードの声が、すぐ近くで響く。彼の腕は、背後から、俺の身体を捉えていた。転送に入ったのか、一瞬、暗転し、次の瞬間、俺は地面にいた。皆は、俺の周りにいた。アリョンシャの姿も見える。しかし彼は、俺を一瞥し、
「剣がいるね。」
と、転送で去った。
「間に合ったな。」
とファイス。
「あとちょっと遅かったら、頭から地面に激突してたわね。」とカッシー。ハバンロが、
「無事で良かった。しかし、一体、何が起きたのですか。」
と目を丸くしている。レイーラが回復と浄化を掛けてくれる。
「私達が来た時、貴方が、空中を、風に乗って、回ってたの。それがいきなり止んだと思ったら、落下して。」
先程まで、俺の見ていた状況とは、合わない。ミルファは半泣きで、
「ほんと、良かった。」
と言った。傍らのグラナドは、俺に向かって、カッターを出す構えをしていたが、引っ込めた。が、仏頂面で、睨んでいる。俺は、
「ありがとう。」
と言った。目を逸らした彼は、中央の結晶の方(最初にくらべ、砕けて十分の一程度になっていた)を指差し、簡単な説明した。
俺がソーガスに切りかかった所で、グラナド達の足場は落下した。風魔法で落下を和らげ、着地したら、すかさず、カッシーと魔法を合わせて火縄を作った。それを結晶に向かわせて、空気を焼き払う。そこに、ハバンロの気功と、ファイスのダークカッターを飛ばした。エレメントの影響のない二つの力を縫うように、ミルファに例の弾を撃たせた。
結晶は砕け散った。(俺の一撃が、ソーガスを引き離していたので、効果があった、とグラナドは言った。)
しかし、俺の身体は力を失い、残骸の結晶から出る、煙と気流の余波のせいで、浮き上がってはいたものの、人形のようにぐったりとして、意識がないのは明らかだった。礫や触手、人型は、気流に巻き込まれないような位置にしか出ていなかったので、俺の周りを避けているようだった。それで、必殺技を使ったように考えたらしい。
俺は自分の見たものを手短に伝えた。上から、皆を見下ろす形で、確かに浮遊はしていたが、グラナドの説明とは合わない。彼もそれは理解していて、違和感に気付いて上を見たら、もう一人、俺が見えた、という。
丁度、そこにレイーラとシェードが来た。シェードは、俺が落下し始めた(おそらく結晶が完全に砕けたせいで)のを見て、直ぐに転送魔法を使った。
そういうシェードも、ボロボロだった。服が数か所、カッターで切れている。
子供達の側には、ルヴァンから聞いていた、レフトン、キーファスという二人の男がいた。レフトンは逃げようとしたが、彼は難なく捕まった。だが、キーファスは、見たこともないような、珍しい紫色の小型のドラゴンを三匹操り、カッターを出して攻撃してきた。
拘束魔法だけでなく、レイーラの回復と、ドラゴンのダークカッター以外は全ての魔法が聞かなかった。苦戦し、レオニードとハーストンが負傷した。だが、ログニールの娘が、隙きを見て、傍らにあった、水瓶の中身を、キーファスに対してぶちまけた。彼は苦しみだし、ドラゴンの動きが乱れた。動ける者で総攻撃し、全て倒して、二人を捕まえた。
シェードの話をそのままに聞くと、空間だけでなく、時間にも歪みがあるようだ。俺の感じた時間と、グラナド達が感じた時間、そしてシェード達と別れてから、彼らが今に至るまでの時間。比べると、帳尻が合わない。
「ダメージが抜けないうちに悪いが、もう一戦闘、あるぞ。」
と、グラナドが、ソーガスを指す。彼は、地面に膝をついている。何も仕掛けてこない。そこにアリョンシャが戻ってきて、俺に剣を渡してきた。
「オネストスに借りた。彼のは、片手剣にしては、大振りだから。」
と添えて。
アリョンシャは、また直ぐに去った。レオニードが利き腕を捻っているのと、ハーストンが肋骨にひびが入っている(らしい)のと、ログニールの娘が、急に高熱を出しので、医療機関に転送する、と言い残した。グラナドは、手早く、いくつか彼に指示を伝えた。
残る俺達は、警戒しながら、ソーガスに近づいた。彼は立ち上がり、ふらついてはいたが、正面から俺達に対峙した。
《用があるのは、俺か、それとも、この男か。》
ソーガスの声ではないが、もう一人の声でもない。だが、反対に、それぞれの声を彷彿とさせる響きがある。
《お前達が結晶を壊したから、俺達は、完全に『融合』を果たした。これで完璧だ。》
これに対し、ミルファが、
「何言ってるのよ。解らないわ。貴方の負けよ。」
と言った。
「逃げられると、思ってるのか。」
とシェードも言い返した。
俺はグラナドに、
「任せてもらえるか?」
と尋ねた。グラナドは、
「好きにしろ。」
と俺に言い、ファイスに、
「構わないな?」
と言った。ファイスは、
「ああ。頼む。」
と、軽く自分の足を指した。少し引きずっているようだと、気がついた。
俺はソーガスに、オネストスの剣を向けた。彼は、
《酔狂だな。お前も、今の戦いで、疲弊しきってる筈だ。》
と、合わせて剣を抜く。
《守護者として、完璧に勝ちたいのか、完璧になりたいのか。》
「『融合』は、完璧になるための物じゃない。もしその為の手段だとしても。」
俺達は、お互いの中点で、激しく剣を合わせた。
彼も俺も、疲労は同じくらいだ。だが、俺にはこの場の空気、つまり結晶の「気」はマイナスに働き、一度体から追われた。あれは恐らく、彼が、新しい入れ物を欲したからだ、と見ている。しかし、機会はあったのに、彼は離脱して、入り込む事は出来なかった。ミルファやファイス、シェードにも、身体を寄越せ、と言うことは言わず、仲間の召喚もしない。彼の力も変質し、今の状態では、逃げて立て直す以外の道はないだろう。
だが、俺と勝負して、勝つ目があれば、新しい入れ物が手に入る。長く持たない物だとは知らないはずだ。これを利用すれば、ここで倒せる。もし離脱しても、グラナドとレイーラの魔法をぶつければ、終わる。
しかし、ソーガスは予想より強かった。剣技は俺、つまりホプラスの方が上で、魔法剣もある。だが、彼の方が体力と力があった。
細かい傷は与えても修復されたが、当然、その力の源は、ソーガスの肉体によるものではない。しかし、彼の盾を吹き飛ばした時に、深めに抉った傷は、完全には治っていない。素早さは徐々に落ちている。
体の中心に剣が入る。これで致命傷かと思ったら、避けられて、浅い傷で終わった。だが、切れて垂れ下がった服の布が、邪魔で気になったのか、やや動きが散漫になった。
出来た隙は逃さない。
一太刀、二太刀、傷が重なる。徐々に俺が押して行き、最後に、喉元と首筋に、深手が入った。
ソーガスは膝から崩れた。だが、俺も剣を持っていかれた。最初は魔法剣で狙ったのだが、前にぐらついた彼との距離が急に縮まり、直接攻撃に変えたが、衝撃波の振動は俺の腕に返り、握りが緩んだからだ。
倒れる彼は、俺の方に寄ったため、計らずも、抱きとめる形になった。血が滲む。彼を離して、横たえる。胸元から、黒と金色の何かが溢れ落ちた。
髪の毛だ。
ソーガスの妻子の髪。ペンダントに入れて、時々、取り出していたという、形見の髪だ。
彼は、倒れた後で手を伸ばし、散らばったそれを回収しようとした。近場にあったものを集め、握らせてやる。
ソーガスは、僅かに微笑み、目を閉じた。
脈はない。
「融合は、こういう事なんだ。」
自分に呟き、仲間を振り返る。皆、一斉に駆け寄ってきたが、シェードとファイス、カッシーの姿が無い。ミルファが、
「二人が戦っている時に、結晶の残りが、急に光り始めたの。ファイスが気付いて、僅かだし、大した物じゃないけど、始末しに行ったわ。焼くんだと思う。」
と言った。
「何故、俺に言わない。」
とグラナドが言う。ハバンロが、
「二度呼びましたが、気づかなかったんですよ。」
と真面目に言った。
そこに三人が帰ってきた。シェードとファイスは。上着を脱いで、何かを包んで持っていた。
「焦げちまったが、ばら撒いとくのも何だから、できるだけ包んで、持ってきた。」
と、シェードが言った。グラナドは、
「ありがとう。気が利くな。これで分析できる。」
と対応した。カッシーは、笑顔を向けたが、俺の頭越しに、何かを見て、叫び声を上げた。
振り向くと、ソーガスの亡骸の上に、黒、いや、暗い七色の大きな気塊がある。死滅寸前の、バランスの球体のような色だ。
《…どこ…は、どこ。》
《…るしい。助けて。》
《…痛い…何故…》
複合体か?確かに似ている。だが、あれは、多分、ソーガスに取り憑いた者が、この世に蘇らせようとしていた物だ。自分で考えて、半信半疑だ。こんなにはっきり見える事が、有り得るのか。煙には違いないが、物理的な実体の質感が強い。
グラナドが魔法を放とうとした。俺も水の盾を出す。剣はソーガスの側に置いてきたからだ。
だが、放つ寸前、レイーラが、グラナドの手を押さえ、止めた。
彼女は、歌いだした。シレーヌの術だ。
気体は、歌うに連れて、明るく、鮮やかな色に変わり、透明になり、段々と消えていった。
《そこにいたのね。》
《ああ、これで、苦しまなくてすむ。》
《うん、もう、傷なんて関係ない》
はっきりと一声一声、澄んだ音がした。最後に、氷塊のように透明になり、煌めいて、消えていった。
歌い終わったレイーラは、倒れかけた。シェードが支える。
「こんなに、この力を使った事はないから。」
「脅かさないでくれ。世界が何とかなっても、姉さんが倒れたら、意味、ないんだよ。」
ファイスは、気体のあった所を眺めていたが、カッシーから、
「取って置かなくて、いいの?」
と聞かれ、
「ああ。俺の手を出す領域じゃない。」
と答えていた。
俺の側には、グラナドがいた。
「借りは返してもらうぞ。見てるだけなんか、もう御免だからな。」
と微笑む。その表情に安堵して、その途端、全身の力が抜けた。倒れる所を、グラナドとミルファに支えられた。
「ちょっと、傷だらけじゃない?!何で、直ぐに言わないの!」
「まったくだ、痩せ我慢しやがって。だけど、深いのは無いぞ、しっかりしろ。」
今まで、俺も気づかなかったんだよ。そう答えようとしたが、ハバンロの、
「私が運びましょう!」
を聞いた後で、もう諦めた。
考えるのは、次に目が覚めた時にしよう。思い切りグラナドに絞られて、笑って、それからだ
約束された翌朝のために、俺は目を閉じた。空には、透明で、氷のように清烈な月が輝いていた。
次の目覚めでは、燃えるような太陽が見えるだろうか。そのような希望を持ちながら。