凍りて出づる・2
新書「凍りて出づる」2
ニルハン遺跡に向かう道、俺達は目立たないように三手に別れ、途中、宿場で打ち合わせながら、また別れて進む、という行程を取った。
カッシーとファイス、シェードとハバンロ、そして、残りの俺、グラナド、ミルファ、レイーラ。
シェードとハバンロは、旅の途中のギルドメンバー、カッシーとファイスは夫婦者を装った。俺達の組は、マントやベールを多用して、ヒンダの商人と、その家族ということにした。
そうやって慎重に進み、目的地まで辿り着いた。
ニルハン遺跡は火のエレメントの暴発で、遺跡村ごと、吹き飛んだ。カッシーの母親の出身地ということで、今のパーティーにも縁があるが、ホプラスとルーミにも深い関わりのある土地だ。
しかし、村のあった所は、爆発した擂り鉢状の地形に、水が溜まって湖になっていた。遺跡も、その底に沈んだ。事件の直前、遺跡の奥に隠し部屋が発見されていて、壁には古代文字があったらしいが、検証は出来なくなった。
遺跡の近郊の街のニルハンブラは、かつては賑やかな宿場町だったが、今はがらんとしていた。エレメントの監視施設があるため、職員達に不自由のない程度の便利さはあったが、遺跡を観光資源として、賑わっていた当時の面影はない。
もともと、遺跡付近は、春は風、夏は火、秋は水、冬は土、と、見本のようにエレメントの強さが切り替わる、安定した土地だった。それが春の季節、風のエレメントが強くなる時期に、いきなり火のエレメントが暴発したのだ。原因は、「エパミノンダスの複合体実験」の歪みのせいとされている。
事件の後は、全体的にエレメントが不安定になり、強くなったり弱くなったりを繰り返していた。ただ、暴発するほどの乱れはなかった。
村の水源だったニルラ川は、山から水を運んで村を潤していたが、地形が変わった為、新しい湖に直接流れ込んだ。湖の底からも、水が涌き出て来たので、人工的に水路を作り、近くのハブラ川に逃がしている。水のバランスは、これで上手く保っている。
事件の悲惨さから、長らく要監視対象だったが、クーデター以来、再開発が棚上げになった事から、監視施設の規模は縮小されていた。
遺跡は、ヘイヤント大学のルヘイム教授が中心に、発掘を進めていたが、中断した。大学側は教授の遺志を継いで、発掘を再会したがっていたが、何年も許可は降りなかった。しかし、クーデターの前年、急に許可された。ルーミが賛成したのが大きかったという。
「『もう少し、前に進みたくなった。』と言っていました。」
遺跡に行く、という話をした時、ロテオンから聞いた。
「ルーミに取って、遺跡は、墓標の様な存在だったんでしょう。もちろん、俺やルパイヤにとっても。」
少年だったルーミは、ピウストゥス・アルコス隊長の元、ギルドの団体部門のメンバーとして、活躍していた。ロテオンや、今はギルドマスターのルパイヤと共に、発掘のクエストに参加していた。事件はその時に起こり、隊長を初め、アルコス隊の主要メンバーは、殆ど亡くなった。
ルーミは、個人部門でギルドに再登録し、ホプラスは、騎士を辞めて、彼と共に歩んだ。ルパイヤは別隊に入り、新しいキャリアを積んで後にギルドマスターに、ロテオンは恋人(今の妻)と正式に婚約し、故郷のカメカに戻り、旅館と道場を継いだ。
「この事件がなければ、俺は妻とは別れていたかもしれません。彼女の両親は、はっきりとは言いませんでしたが、老舗旅館の跡取り娘と、小さな道場の息子との縁組みは考えていなかったようです。
ルパイヤも、ギルドの仕事は、別の夢のための、資金作りでした。でも、ギルドに残った。隊長の遺志を継いで。あらゆる切っ掛けになった事件ですが、たぶん、何年たっても、穏やかな気持ちで省みる事は、出来ない想い出です。」
グラナドは、ルーミからは、ニルハン遺跡の話を、詳しく聞いたことはなかった。魔法院に入った後で、ヘドレンチナに尋ねたら、事件経過を丁寧に説明してくれたそうだ。
「私に説明できるのは、資料にある事実だけです。陛下のお気持ちの真実はわかりません。」
と、前置きを添えた上で。
ニルハンブラに付く手前、港町ラジョドブレに入った時だ。アリョンシャが借りている小さな屋敷で、全員で顔を合わせる予定だった。俺達だけ、先に到着したのだが、屋敷にはアリョンシャの他に、ヴェンロイド家の次男ヴィルフがいた。レアディージナ姫の婚約者だ。
ここは、ヴェンロイド男爵領の飛び地だった。元の領主のアトレヒル男爵は、クーデターで死亡し、借金が残った。夫人はラッシルの人で、土地を売って、故郷に帰りたがった。男爵領は王家から与えられた物ではなく、私有財産だったから、売却は自由だ。
ヴェンロイド家は、レアディージナ姫と、ヴィルフが婚約した記念にと、街を購入した。アリョンシャが今回、手配した屋敷は、男爵家の所有ではないが、ヴィルフは行方不明の発表を疑っていたので、アリョンシャの動きを気にしていた。
これには、二重の意味がある。姫がグラナドの失踪にショックを受けていた事と、本当にグラナドが居なくなれば、病弱な姫の、王族としての負担が増えるからだ。
「姫はとても一生懸命な方で、お体の事があっても、王族としての役割を果たしたい、といつも考えておいでです。」
ヴィルフがこう言った時、グラナドは
驚いたようだった。俺も、姫は儚げで、ふわりとした印象だったので、そういう事とは無縁だと思っていた。
それよりも、強い魔法力も、優れた剣技も持たない彼が、姫の身を案じただけで、ここを嗅ぎ付けてしまった事に、ある種の感動を覚えた。
グラナドは会話の最後に、
「姉のために、親身になってくれて、有り難う。たが、私の事は、内密に頼む。」
と言った。ヴィルフは、
「了解しました。ですが、無事なご帰還をお祈りします。」
の後に、
「私は、姫をお慕いしています。ヴェンロイドの女性達は、勝ち気な者が多く、最初は、姫の事は苦手でした。ですが、あの方の、いつもひたむきなご様子を見ているうちに、許されるなら、ずっとお側で支えて差し上げる事が出来たら、と思うようになりました。
幸い、兄弟姉妹は私を除いて四人もおりますし、私が言うのもおこがましいですが、皆、一丸となって、尽力させて頂きます。」
と付け加えた。
彼が去った後、グラナドは、
「思いがけない収穫だったな。ディジー姉様のために。」
と言った。ミルファは、うっとりとした顔で、
「本当に、良かった。」
と言った。だが、
「でも、ヴィルフさん、凄いわね。アリョンシャさんの行動、読んじゃうなんて。」
と言ったために、アリョンシャが、
「うわ、言わないで。この件が終わったら、修行、し直すから。」
と答えた。全員、しっとりとした気分から、一気に笑いになった。
一人を除いて。
レイーラだけ、まだ感動に満ちた、うっとりした目をしていた。だが、直ぐに俺が見ていることに気付いて、笑顔になり、
「本当に、そうだわ。」
と、ミルファに向かって話し始めた。
カッシーとファイスは、翌日の午前中に着いた。ハバンロとシェードは、少し遅れて、昼近くになってから着いた。彼等は鉄道を使うルートを取ったのたが、途中の駅で、騎士団が人探しをしている、という話を聞いて、転送装置を乗り継ぐルートに切り替えた。
「偽造の身分証を使って、切符をツケにした者がいる、という話が聞こえましてな。私達は現金で払いましたから、問題はありませんが、念のためです。私達は、早く切り替えたので、すんなり装置を使えましたが、後は行列が出来ていました。」
とハバンロは言った。
アリョンシャは、その話を聞いて、ニルハンブラまで俺達を送った後、ラジョドブレに、直ぐに引き返した。珍しく慌ただしくしていたので、詳しくは聞かなかった。
全員がニルハンブラに揃った所で、グラナドは、レイーラだけを連れて、監視施設にいきなり乗り込んだ。責任者の、水と風の魔法官ラジミルを初めとする、三人の職員は、当然、グラナドの顔を知っていた。このため、最初は、単に監視施設から引かせようと考えたが、疑惑があるので、より「姑息な」方法を選んだ。彼は、魔法官達には、
「内部に、敵が地下基地を作っている。規模や人数は解らないし、水中だから、騎士団到着までは乗り込まない。
お前達は、ひとまず、ここを出て、自宅に戻れ。ただし、ニルハンブラの外には出るな。」
と命令した。(彼らの現在の自宅は、一応、ニルハンブラにあったが、実家はラジョドブレだった。)
皆は、施設から出る職員に一人ずつ付き、動向を見た。ファイスはラジミルに付いた。責任者の彼は、水魔法はかなりの物だが、風魔法は基本だけで、転送は使えない。
カッシーはナンバー2の、イーサイという土魔法使いの男性についた。彼は魔法官にしては大柄だが、動きが鈍く、戦闘能力は低い。
ハバンロはシンドンという、若手の男性に着いた。彼は一般聖職者かつ地質学者で、彼だけは、魔法官ではない。火魔法が少し使えるが、格闘などは縁がない、ひょろりとしたタイプだ。
シェードとミルファは、ログニールという、ラッシル系の女性に着いた。彼女は風魔法だ。ラッシル系にしては小柄で華奢なため、10代前半にすら見える。だが、転送を警戒して、二人つけた。
俺だけは、職員達と入れ違いに、建物の中に入り、グラナドとレイーラを護衛した。
グラナドは、整頓された資料の棚から、幾つかファイルを取り出して、読みながら、観測機器を操作していた。レイーラは、椅子におとなしく掛けている。俺は、彼女の側に立っていた。
レイーラは、脇の机にある、ガラス細工のランプを見ていた。綺麗な緑のガラスのランプで、煤はない。大きさからして、ただの置物だろう。
だが、レイーラは、ランプを見ている訳ではなく、ぼうっと見つめる先に、たまたまランプがあるだけだった。俺が、
「良い細工だね。」
と言ったら、きょとんとしていたからだ。俺がランプを指し示すと、今、初めて存在に気付いたように、目を見開いた。
この表情に、出発前に、皆でした会話を思い出す。
「この戦いが終わったら、どうするか。」
と言う、縁起の悪い話しになった。カッシーが、
「結構、顔が売れちゃったから、前の仕事はねえ…。芸を磨くか、また旅でも。家を買って、一つの街に住んで、というのは、無理ね。」
と答えた。終わったらじっくり考える派というところだ。シェードが、
「俺は島に戻る。」
と言った。
「メドラ達から、色々と手紙を貰ってるが、これからどうするか、って事で、意見が纏まらない事が増えている。この前、帰った時も、実は気になってた。俺がいないからって理由じゃないと思うけど、いつまでも、不在のコラードは限界だろ。」
彼は、はっきり決まっている派だ。ミルファは、
「私は、将来、何をしたいか、じっくり考えて、結論を出したいわ。」
と言った。
「母と同じ仕事に付くんだろうなあ、と思ってたけど、ガードの仕事、母ならこなせても、私はどうかな、と、時々思ってた。
ヘドレン先生が、『どんな仕事でも、努力や才能の他に、向き不向きがあって、合わないものを選択すると、努力家で、才能のある人ほど、精神的に参っていく。』って、言ってた。
だから、よく考えてみたい。」
ミルファも、終わってから派だ。この手の話題の死亡フラグは、どっちが高いかな、と殺伐と考えていると、グラナドが、
「お前は、やっぱり、道場主を目指すのか?」
と、ハバンロに尋ねた。が、彼は、
「いえ、別の道を考えています。」
と言い、皆を驚かせた。
「お前、道場を持つのが夢、と言ってなかったか?子供のころから、何があっても、ずっと続けて来たのは、その為だと思った。」
と、グラナドが尋ねた。ハバンロは、
「武道は続けます。ですが、私は、本当に、道場を持ちたかったのではありません。最初の師匠の事を、ずっと考えていたんです。改めて、その事に気づきました。」
と答えた。
ハバンロの武道の師匠は、三回変わった。一人目の幼少期の師匠は、道場の資金を不正に流用して、破門された。二人目の師匠は、そういう所はなかった人だが、微妙に合わなかったらしく、結局、ロテオンに師事した。サヤンからはそう聞いている。
「最初の師匠は、南方の訛りのある人でした。語尾が『ぎゃ』『じゃ』と聞こえ、いくつかの単語のアクセントが逆になってました。私と兄のペパードは、よく師匠の真似をしました。
強いだけじゃなく、ユーモラスでおおらかで、私達は、師匠の事が大好きでした。
ですが、ああいう事になってしまって。
ペパードは、しばらくショックで話せなくなっていました。私は、すっかり身に付いた師匠の口調や物真似を、出さないようにするのに、苦労しました。
父も母も、師匠を立派で、信用できる人と考えていたので、自分達の見る目の無さが、私達を傷付けた、と、気にしていました。
二番目の先生は、師匠と対立していた派閥の人でした。真面目な、正義感の強い人です。尊敬できる人でした。しかし、彼の口から、師匠の批判が出る度に、悲しい気持ちになりました。
私が塞ぎ混んでいたのを、心配したユッシ伯父が、父母に内緒で、話を聞いてくれました。
良い人だと思い、大好きな師匠が、
尊敬できない、悪い人だった、と言った時、伯父は言いました。
『尊敬はできないけど、大好きな気持ちは、変わらないんだろう?
師匠は悪いことをした、それは、師匠がもともと悪い人だったから、最初からそのつもりだった、と、皆は言っている。だけど、お前達一人一人を気にして、強くなれるように、精一杯頑張ってくれた。それも師匠なんだよ。
今は師匠は、街を出ているし、行き先は誰も知らない。もし気功術を続けていれば、いつか、会えるかもしれない。同じように、道場を持ってみたら、解るかもしれんよ。
その時まで、師匠が良い人か悪い人かは、決めなくてもいいんじゃないか?
』
当時は全部はわかりませんでしたが、今、決めなくてもいい、という伯父の話に、本当に安心しました。
そして、皆さんと旅をしているうちに、伯父が言った事が、解った…完全にではありませんが、解った気がします。
だから、次を考えてみたいのです。」
いつもの、特徴のある、ハバンロの口調では無かった。それより、ハバンロが、自分の話を、長く語るのは初めて聞いた。妙な感慨に、皆、静まった。しかし、グラナドが、
「そうか。ロテオンさんは残念がるかもしれないが…まあ、まず、しゃべり方を普通に戻すのは、良いかもな。」
と言い、ハバンロが、
「私もそう思いました。出来ることから始めるのが、一番ですな。」
と、弾みで答えてしまったために、爆笑になった。
「でも、ハバンロは、それよね。」
と、ミルファが明るく言っていた。
俺とファイスは、未来の話はしなかった。グラナドもだが、彼の未来は、王か宰相かだ。その中で、レイーラは、静かに微笑みながら、皆を見ていた。
まるで良い占いの結果を聞くみたいな顔で。
俺はレイーラに、
「何か、気になる事が?」
と、小声で尋ねて見た。レイーラは、はっとして、無防備に俺を見たが、直ぐに笑顔で、
「殿下は、凄いな、と思ってたの。いくら魔法動力でも、あんな難しそうな機械を。」
と取り繕った。
静かに彼女を見る。反らせなくなったレイーラの瞳に、諦めの色が宿る。
彼女が何か言いかけた時、
「おい、見てみろ、これ。」
と、グラナドが遮った。彼は、書類と写真、計算機器の数値を指し示した。
「この湖、底に海がある。」
レイーラも俺も、目を見開いた。レイーラは、海という単語に反応したようだが、俺は、グラナドの口調から、彼が初耳だったことに、反応した。
下に行くほど、真水から塩水になって行き、だいたい下半分に差し掛かる辺りで、水は海水の濃度になっている。全体の水深は不明だ。
注ぐニルラ川と、流れ出る水路が真水、底から沸く水が、海水と言うことだ。
海水のほうが、真水よりは重い。しかし、底から沸いて出てくる海水を、湖の外に逃がすルートはない。水路は真水のみなのだ。自然に、そんなバランスが可能なのか。よほど底が深いのだろうか。しかしそれ以前に(昔のイメージしかないが)そこまで深い跡地では無かったはずだ。
「こんな現象は報告されていない。水路は祖父の代から、父様が引き継いで完成させたものだ。海水が混ざる危険性に気づいていたら、川に注がず、海まで水路を伸ばすはずだ。二倍近くにはなるが。
だが、このデータによると、最低でも十年間は、この状態だった事になる。」
「と、言うことは。」
俺が自分の結論を出す前に、皆が戻ってきた。
それぞれの獲物を捕まえて。