何でも有料になったら
ごがつじゅうにち はれときどきくもり
なかむらしょうがっこう にねん にくみ やまだ たろう
きのうは、おかあさんといっしょに、おかいものにいきました。おみせのまえには、とおかいちののぼりがでていました。
じゃがいもと、きゃべつと、おさかなと、にりっとるのおちゃをかいました。にんじんとしいたけも、かいました。
おとなりさんとおしゃべりしてるすきに、おくらをかごからだそうとしたら「わるいこには、おかしをかわないわよ」といわれたのでやめました。
れじのおねえさんに「ふくろはいりますか」ときかれて「いりません」といったら、にえんやすくなりました。
こういうのを「ちりもつもればやまとなる」というのだと、おかあさんにいわれました。
ちいさなことでも、なんどもなんどもくりかえしてるうちに、おおきなことになるのです。
よるは、おとうさんといっしょに、おふろにはいりました。きのうは、いつもよりかえってくるのがはやかったです。
おとうさんがぼくとおなじくらいのときは、れじのふくろはただでもらえるのがあたりまえだったそうです。
でも、おとうさんは「ただよりたかいものはない」といいました。ぼくは「どういういみなんだろう」とおもいながら、ひゃくまでかぞえました。
おふとんにはいってえほんをよんでもらったあと、ねむっているときに、へんなゆめをみました。
うでにとけいみたいなわっかがついていて、おみずをもらうにも、あぶないことからまもってもらうにも、そのわっかをおとなにみせないといけませんでした。
みせるたびにわっかにあるすうじがへっていって、ぜろになったこどもは、まちからつまみだされるしくみでした。とってもこわかったです。
あさになって、めがさめたときに、うでにわっかがないのをみて、ほっとしました。
そのとき、まえのひにおかあさんとおとうさんがいっていたことばのいみが、わかったようなきがしました。
しょうらい、おおがねもちになったとしても、いちえんにえんをたいせつにしたいとおもいます。おしまい。