16 コードδの本気
「…はぁ?」
目の前で起こる不可解な光景に、思わずコードδの口から声が漏れる。あと1センチ程で隼人の腹に氷の円錐が突き刺さる。だが、その1センチが埋まらない。まるで壁でもあるかのようだ。
「なんだ…これ」
自分が気流操作の異能力を持っていると自覚のない隼人からしても、それは異常だった。確かに壁ができれば、なんて考えはしたが、これではまるで本当に壁ができてしまったかのようではないか。
「何したのか知らねぇが、足掻くのも大概にしやがれぇ!」
コードδがそう叫ぶと、空中で止まっている円錐が砕け、大量の尖った破片となる。そして、それらは再び隼人に向かって飛んでいくが、それらも同じく、隼人に命中する約1センチ手前で勢いが落ち、バラバラと地面に落ちる。
「空気の…壁?」
腹の前に手をやっても、壁のようなものの感触はないし、他の部分でも同じだ。空気を圧縮して作られた壁。やはりそう考えるのが自然だ。
「おい、どうなってやがる…、なんで攻撃が通らねぇ」
コードδも焦っている。つまり、コードδにとっても隼人はただの風力操作の異能力者であって、これは想定外の事なのだろう。
「よく分からねぇけど、今なら勝てる…!」
隼人は、壁にもたれながらも立ち上がり、コードδを睨み付け、にやりと笑う。この不思議な壁がどのようにすれば出現し、どの程度攻撃を防いでくれ、どれぐらいの持続時間があるかなんて隼人には分からない。それでも、このチャンスを逃せば、負ける。負けるという事は、隼人自身と全国の異能力者の身が危ない。
「まずは一撃当ててやる…!」
隼人から見て、向かい風を吹かせる。つまり、その正面に立っているコードδからすれば、背後から急に突風が吹いてきたようなものだ。案の定よろめき、前のめりになって隼人に近づく。そして、それを迎え撃つような形で、握った拳をコードδを腹に突き出す。
「がはっ…!」
そして、今度は隼人からコードδへの方向に突風を起こす。腹に強烈な一撃をもらったコードδは、足を踏ん張る事も出来ずに後ろ向きに倒れ、後頭部を床に強打する。
「くそ…、急に強くなりやがった! 何故あんだけの攻撃受けといてまだ立てる…!」
「人間、どんな状況下であれ、その状況が果てしなく良い状況に変わるチャンスがあれば、自然とそれにすがりつくように出来てんだよ」
「はぁ…? な、なんの話だ」
「どんなに疲れたサラリーマンでも、一気に300万手に入る仕事が舞い込めば全力で取り掛かるだろうし、どんなに満腹な貧民でも、フォアグラのソテーが出てくれば美味しく食っちまう。そして、どんなに怪しくても、金に困っていた白咲は、あの実験に乗らざるを得なかった」
「だから、お前もチャンスが舞い込んできたからそんなに元気になったって訳かよ」
「ああ、もちろんだ」
「ちっ…、調子乗って訳わかんねぇ事口走りやがって!」
そんな理由だけで、体の限界を超えられるというのか。いや、そんな訳ない。そう考えるコードδからすれば、隼人の勝手な物言いは非常に腹立たしいものだった。隼人に言い返しながらも、左手に纏う炎の激しさがそれを物語っている。
「行くぞ、コードδ!」
隼人がそう叫ぶと共に、部屋の中で暴風が吹き荒れる。
「お前…、本気で殺してやる!」
対するコードδも、鋭く隼人を睨み付け、両手の拳を握りしめる。右手の冷気に晒され、その周辺の空気がパキパキと音を立て、左手の炎の熱に晒され、部屋の床の色が軽く変色する。
「はぁぁぁぁっ!」
「おぉぉぉぉっ!」
二人の掛け声と共に、最後の戦いの火蓋が改めて切って落とされる。コードδが近づき、まずは左手でアッパーを放つ。しかし、隼人はそれを右手で払いのける。それと同時に上方向への風を起こす。上昇気流のようなものだが、強さはそれとは比べ物にならない。ふわりとコードδの足が床から離れると同時に、腹めがけて回し蹴りを放つ。
「がぁっ…」
そして蹴るのと同時に突風を起こす。それに乗って、コードδは一気に反対側の壁にまで吹き飛ばされ、そして壁に叩きつけられ、声にならない声が無理やり喉から押し出される。
「くそ…、まるで別人じゃねぇかよ」
「今回も、俺の勝ちだぜ」
「それは、どうだかなぁ?」
口の端から血を流しながらも、コードδは笑っていた。その視線の先には、足元を氷漬けにされている隼人の姿があった。
「足が…! やばいっ…」
そして隼人が上を見上げると、巨大な炎の球体が浮かび上がっている。それは徐々に大きさを増していっており、その様子が隼人の焦りをさらに大きくする。
「勝つのは俺だ! 死ねぇぇぇっ!」
そして、それを合図に巨大な火球が落ちてくる。当たれば間違いなく即死。それは火球の大きさを見るだけで明らかだ。隼人は今、足は動かないが、異能力は扱える。自分の周りに上昇気流を起こし、火球の落下を止める。
「くっ、なんて重さだ…」
その火球には、重さがあった。あるいはコードδが火球を下方向に動かしているのかもしれない。どちらにせよ、隼人の必死の抵抗も虚しく、火球はじわじわと隼人に近づいてくる。
「仕方ないっ!」
上方向への力では無意味だと感じた隼人は、次に、右方向への暴風を火球にぶつける。先程までぶつかっていた下からの力が急に無くなり、火球は猛スピードで隼人の元に落下するが、隼人の機転のおかげで直撃は避けられた。しかし、着弾地点で大きな爆発が起こる。
「ぐっ…、あっつ…」
体に吹き付ける熱風に思わず隼人は顔をしかめてしまうが、その熱のおかげで足元の氷がみるみるうちに溶けてしまう。
「よし、いける!」
「甘いぜ!」
反撃しようとした隼人だが、その頃には既にコードδが隼人の目の前で燃え盛る左拳を振り上げていた。そして、隼人が防御の構えを取る余裕もなく、それは振り下ろされた。
「がはっ…!」
背後が壁なため、隼人に逃げ場はない。続いて二発目の攻撃。これは左側に回避する。コードδの左拳が、壁に焼き目をつける。
「ちっ、なんてやつだ…」
攻撃を避けるなり素早く距離を取った隼人は、殴られた痛みと火傷の痛みで顔をしかめながら呟く。身体はとっくに限界を超えているはずだが、勝てるかもしれない、という希望だけで無理やりボロボロの体を動かしているのだ。コードδは強いが、ここで一瞬でも諦めの感情が湧いてしまえばそれだけで隼人は倒れてしまうだろう。
「俺は諦めねぇ!」
「いつまでもしつけぇ!」
いよいよ躍起になったコードδが野球ボール大の火球を数個放つが、隼人はこれらを風でいなし、自分の後ろから追い風を吹かせ、走り始める。その速度は追い風でぐんぐん加速し、部屋の半分を超える頃には、走る車と張り合える程の速度になっていた。
「ちっ、これ食らうとまずいぜ」
舌打ちしながらも、コードδは氷の壁を生成する。暑さは30センチ。硬度も高い。仮にこれをぶち破っても、コードδが受ける衝撃は大して大きくもないだろう。だが、その予想すら隼人は超えていた。コードδが一安心した直後に、その氷壁は隼人の拳によってバラバラになり、そのままその拳が伸びた先はコードδの顔があった。想像の10倍以上もの衝撃に、コードδはそれを受けるとともに意識が消し飛ぶ。
「はぁ、はぁ、やっと終わった…」
そして隼人も、思わずその場に座り込んでしまう。これがコードδの本気なのだ。初めて会った時に本気を出されていたら確実に隼人の命は無かっただろう。




