第5章 ソウガ=ロニス 2
「久しぶりだな、国王」
「お久しぶりです、兄様」
握手を求めて右手を差し出すが、どうにもわざとらしい。
だが、きっと弟もそう思っているはず。『突然訪ねて来るなんて、どういう風の吹き回しだ』と。
形式的に握手を交わしてはいるが、本音を言えばアジクの進言でもなければこんな虫唾が走ることはしたくない。同じ空気を吸っているこの部屋からも、とっとと退散したいぐらいだ。
「今日は、変な噂を聞きつけたんで、ちょっと心配になってね」
「噂というと?」
「なんでも、シータウで王女が騒ぎを起こしたと。こちらにも報告が来てるんじゃないかな?」
「そんなはずはありませんよ。今日だって私邸の方で安静にしていますから」
探りを入れてみたものの、顔色一つ変えやしない。
もちろん、この程度で簡単に動揺を浮かべているようでは国王として失格だろう。
「そうだよな、変な噂だとは思ったんだ。でもせっかくの機会だし、姪を見舞おうかと思うんだが」
「そうでしたか、それはきっと喜びますよ。でも、ここのところ病状が不安定でして……。私でさえも、医者の許可が下りないと会わせてもらえない始末で……」
「しばらく見ないあいだに、そんなことになっていたのか。それじゃなおさら、見舞ってやらないといかんな」
「そうですね、それでは主治医に確認してこちらからご連絡しますよ」
腹の探り合い。
ここで引き上げたら間違いなく、主治医から止められたのでと断られる。
それはそれで、アジクによれば噂の信憑性が上がるという話だが、もう少し意地悪をしてみようと思う。
「気を悪くしたら申し訳ない。病気ももうずいぶんと長いわけだが、本当に治る見込みはあるのかね?」
「きっと治ると、私は信じています」
「でもな。あの子にはこの国の行く末がかかっているわけだからな」
「ご心配には及びません。遅くとも成人の式典で、けじめはつけさせてもらいます」
あてにして良いかは疑わしいが、言質は取った。
ここまで明言した以上、成人式典が開かれないような事態に陥れば、必ず責任を取らせてやる。王女の王位継承権の放棄という形でだ。
そうなれば、継承順位三位の我が娘は二位に繰り上がる。
継承順位一位はあってないようなもの、まあ放っておけば良い。
「それでは失礼するよ。ナデシコには身体を労わるよう伝えてくれ、きっと医者の許可は出ないだろうから……」
去り際の嫌味も忘れない。
用件さえ済めば、こんな居心地の悪い場所には一秒と居たくない。即刻帰って、今日の成果をアジクに知らせてやるとしよう。
「キシシシシ……お見事ですロニス様」
薄気味の悪い笑い声に出迎えられる。
アジクの言葉は一言一言、裏がありそうな気がしてならない。
こんな些細な誉め言葉でさえも、なにやらおぞましさを感じる。
凡人ならばきっとそんな言葉でその気にさせられ、散々利用され尽くしてお払い箱。身の丈以上の部下を持つと、『飼い犬に手を噛まれる』なんていうこともしばしば起こる。
こういう得体のしれない者を使いこなすには、私のように相応の能力が必要だ。
「フフフ、決定的な言葉だろう? ナデシコは来年成人。このまま来年になれば、我が娘の王位はぐっと近づくというものだ」
「お言葉ですがロニス様、それは口約束ですから反故にもできます」
王位の継承について、せっかく大きな進展が得られたというのにこの態度。
もちろん書面を交わしたわけではないから、『言ってない』の一言で反故も可能だろう。だが、私は確かに聞いたのだ。今更言ってないとは言わせない。
「それでは、私の今日の行動は無駄骨だったと言うのかね?」
「そうではございません。ロニス様のご助力により、王女様はほぼ間違いなくご不在という判断に至りました。きっと、家出なされたと思われます」
「信憑性が増すという話だったな」
「いいえ、確信して良いかと」
『お見事』という言葉は、言質を取った行動に与えられたものではなかった。
家出を確信とまで言い切るからには、こちらに対しての言葉だったらしい。
だとすれば、面会を拒否されただけで十分達成ではないか。そんな、誰にでもできるお使いを『お見事』などと、馬鹿にするにもほどがある。
「どうしてそこまで言えるのかね?」
「考えてもみてください、ロニス様。今回の謁見で、王女様の騒動の噂は一番聞かれたくないであろうロニス様のお耳にも入っていることを、国王は知りました。となれば、この噂を知らぬ者はいないと国王は判断したはずです」
「そうなるな」
「でしたら国王のお立場であれば、ご病気のはずの王女様がシータウで騒動を起こしたという噂は王族の恥、即刻払拭せねばならないはずです」
アジクの言いたいことは大体察した。
しかし、いつ聞いてもイライラする、この言い回し。
話を早いところ進めたいので、結論を催促する。
「で、結局何が言いたいのだね」
「本来なら医者が何と言おうと、王女様のお姿を第三者に確認させて噂の終息を図るはずです。だが、それをしなかった」
「病状が不安定だからだろう?」
「違います。会わせたくても会わせられないからです。キシシシシ……つまり、お屋敷に王女様はいないということです」
この結論はこの男の中では既に出ていて、私はただその裏付けのためだけに、小間使いをさせられたというわけか。本当に食えない奴だ。
だが弟が王位を継承した後、野心もなく燻っていた私に助言を与え、今では生き甲斐まで感じているのはこのアジクの功績だ。
そして、彼は頭も切れる。この男に任せておけば万事上手く事が運ぶだろう。
「家出がほぼ確定的として、次はどうするのかね?」
「ロニス様はこのまま来年まで待っていれば、王位が転がり込んで来るとお考えでしょう?」
「そうだな言質も取ったし、ここまで来れば慌てなくても良いだろう」
わざとらしくガッカリとした表情を浮かべ、アジクが詰め寄る。
そして真正面から深刻な表情で、訴えかけるように目を見つめながら、演技掛かった声を絞り出す。
「甘い、甘いですよ、ロニス様。可愛い可愛いお嬢様のあのお言葉、お忘れになられたのですか? そしてこの国の民を、一刻も早く苦しみから解放したいというお志は、どこへ行ってしまわれたのですか?」
相変わらずこの男は、人の心を抉るような言葉を容赦なく突き付ける。
本当に腹立たしいが、そのお陰で士気が高まるのも確かだ。
――娘の言葉……。忘れるはずがない。今の私の原点だから……。