第5章 ソウガ=ロニス 1
ヒーズルは王制の魔法国家である。
王位の継承権は男女の別なく、第一子が最上位とされる世襲君主制。
だが、魔法国家ならではの例外もある。
――相応の魔力を有しない者には、王位の継承権は与えられない。
今でこそ平和なヒーズル王国。
だが過去を振り返れば、この国にも乱世の時代が存在した。
それを千年ほど前に圧倒的な魔力で平定し、王国を築き上げたのが初代国王。現国王の遠い先祖である。
王族の直系は、その血を強く受け継ぎ、豊富な魔力量をもって生を受ける。
しかし魔力が不十分だったり、持たずに生まれてくる子も稀に存在する。その場合、たとえ長男であっても、王位継承権は最下位に据えられるのがしきたり。王となる資格は、完全に失われると思っていい。
このしきたりにより、ごく最近王位を継承できなかった者が、ここにいる。
先代国王の長男、そして現国王の兄『ソウガ=ロニス』だ。
それでも、国王になれなかったとはいえ、国王の兄という身分。その待遇は、国内で五本の指に入る。
むしろ国王という重責がない分、考え方次第では国王より快適かもしれない。
王位を継承し損ねた、魔力に乏しい可哀そうな長男。という、不名誉な烙印を我慢できればだが…………。
「やっぱり食後のひと時は紅茶に限るな」
――大柄な身の丈の彼こそが『ソウガ=ロニス』その人である――。
「ロニス様、ご報告致します! 先程シータウにて、ナデシコ王女様と思われる人物が騒動を起こしたという情報が届きました」
部屋に飛び込んできた従者に、食後の安らぎを邪魔されて苛立ちを覚える。
しかし、王女の話となると無視もできず、続きに耳を傾ける。
「なんだ? 騒々しい。シータウといえば貧民街ではないか。なぜ、そんな所で王女が目撃されるのだ。しかも騒動などと……」
「目撃者によりますと、王女様を含む女性二名、男性二名が、迎えに来た従者らしき者の手を振りほどいて逃走したとのことです」
「胡散臭い情報だな。そもそも、王女は国王の私邸で病に伏せっているはずであろう」
「確かにそう伺っております」
「そんな彼女が貧民街に居て、しかも逃走? どうにも信じ難いな。まあいい、引き続き情報を収集しておけ」
「かしこまりました!」
簡潔に用件を済ませた従者は一礼すると、速やかに部屋を後にした。
持ち込まれた情報は、普通に考えたらあり得ない状況。
どう解釈して良いものやら……。
ちょうど同席していたアジクに、考えを聞いてみる。
「君は今の話、どう考えるかね?」
「普通に考えれば、あり得ない話ですが……」
「ほう、何か思うところがありそうだな」
「そもそも、王女様につきましては不穏な噂が付き纏います。何しろご病気を理由に、もう十年以上も公の場に立たれていないのですから」
全身黒ずくめの装束に身を包むアジク。
黒い頭巾は、顔の部分までヴェールに覆われている。
不気味なまでの、物々しいいでたち。これが彼の職務中の仕事服だ。
アジクは、自分の右腕として働いている補佐官で、勤続は八年目になる。
記憶喪失のため、名前以外の記憶はないと言うが、名前すらも怪しい。
傍で働かせて欲しいと、初めて売り込みに来た時は相手にもしなかった。だが毎日のように足を運ばれ、断り続けることすら煩わしく感じ、仕方なしに配下に加えることにした。根負けしたというやつだ。
もちろん当時は、期待など微塵もない。
それが今や、筆頭補佐官。欠かすことのできない側近中の側近となっている。
「それで? 君の見立ては?」
「何とも言えませんが、あってもおかしくない話ではないかと。そもそも、私は王女様のご病気も信じておりませんので」
「ふむ、私が見舞いに行った時はいつも床に伏せっているんだがな」
そう、王女は公にこそ顔は出していないが、国王の私邸にて療養生活を送っているはず。実際、見舞いに行けばいつでも、ベッドにその弱弱しい身体を横たえているのだから間違いはない。
もっとも、ここ数年は弟の家になど行くのも腹立たしいので、新年の会合の時ぐらいしか訪ねることはないのだが。
「お言葉ですが……、ご病気と診断されたのも、国王様がお手配なされた医者によるものですよね? だとすれば、何とでもできるのではございませんか? 後は、王女様が床に伏せって、演技でもすれば欺けましょう」
「仮病を使う理由がどこにあるというのだ、極度の人見知りとでも言うのか? まあいい、君も考えあってのことだろうから、その言葉を信じてみるとしようか」
アジクは常に客観的、且つ冷静な分析で状況を判断していく。
これまでも、この男の考察は的確で的を外したことがない。きっとまた今回も、自分には及ばない考えがあるのだろう。
突然、傍ににじり寄るアジク。
ニヤリと薄ら笑いを浮かべながら、声が室外に漏れるのを警戒して小声になる。
アジクのこの不気味な表情は、決まって大きな企てを思いついたときのもの。
私も周囲に警戒を払いながら、耳をそばだてることにした。
「そこでご提案なのですが、ロニス様」
「何だね?」
「この噂を理由に、王女様への面会を申し出てみてはいかがでしょうか?」
「なぜだね?」
「素直にお会いになれればただの噂。理由をつけて断られたら情報の信憑性が高まります」
「なるほどな、一理ある。さっそく行動に移すとしようか」
常日頃から、彼は自分に有益な行動を進言してくれる。
それが補佐官の仕事と言ってしまえばそれまでだが、その尽力は並々ならぬものがある。だからこそ私も彼を右腕として使っているのだが、どうも権力に対する執着心に、異常さを感じることがある。
彼が私の『国王の兄』という立場を利用しようとしているのは明白だ。
しかし、彼の助言のお陰で日々発言力が増しているのも確か。互いが互いを利用し合い、双方がそれぞれに恩恵を得ている。いわゆる、持ちつ持たれつの関係だ。
その彼が言う提案なのだから、きっと何か策があるのだろう。
だが、アジクには時々底知れない恐ろしさを感じる。度が過ぎた事態に陥らなければよいがと、何やら胸のあたりがざわつく。
「裏付けが取れるのは先の話になると思いますが、私は王女様が家出をなされたのではと考えます」
「あの子は素直で、人に迷惑をかけるようには見えないがな。人は見かけによらないというわけか」
「まだ家出と決まったわけではありませんが、もしも家出だったとしたら……。キシシシシ……」
「だったとしたら?」
薄気味の悪い笑い声を立てていたアジクが、突然顔を耳元に寄せて小声で囁く。
「――気づかれないように葬ってしまえば、お世継ぎが不在になります」