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ひらべったくて、いたいもの

 原色に発見されたトゥーが、彼女に連れられるがままに移動して、目的の場所についた時には赤みかかっていた青色の天井はすっかり赤色に変わっていた。

 目を離した隙に刻一刻と塗り替えられていく天井は、トゥーの持つ数少ない知識を総動員しても、その理由は分からなかった。

 まあ、他の人たちだって理由が分かっていないのだから、それらよりも異常なまでに知識のないトゥーに理解できるはずがないのだけれど。

 さて。

 トゥーが原色に連れてこられた場所は、大きな建物であった。

 今まで見てきた中で、あの天井を支える柱を除けば一番に大きな建物の前だった。

 建物を囲うように、壁が広がっている。

 トゥーと原色の目の前には檻があった。しかしその檻は、なにかを閉じ込めるためにあるようには思えなかった。

 現に、原色が「ただいまー」と言いながらそれに手を当てて押すと、簡単に開かれてしまった。

 まるで鉄格子を真っ二つに割ったかのようだった。実は原色は怪力だったのだろうか。

 まあ、単に二つに分かれるように設計されているだけなのだけれど。

 原色は鉄格子を開いて、その中に入っていく。檻の中に入っていく。

 しかしその檻の中は広く、なにより天井がない。

 檻と言うには、あまりにも開放的すぎる。

 地面には少し長いコケが生えていて、裸足のトゥーでも歩いていて足が痛くなることはなかった。むしろ少しくすぐったいかもしれない。


「それはね、芝って言うんだよ」

「そ……は?」

「し、ば」

「し、ば……」

「そうそう。芝」

「しば」

 原色は地面を指さしながら少し長いコケを示した。どうやらこれは『しば』というものらしい。

 芝のところを抜けると、また不思議なものを見かけた。

 天井から水が滴り落ちることはままあった。上から下へと落ちていくのはよく見かけていた。

 けれど、下から上へと落ちていくのは初めて見た。

 ザアザア、となにかとなにかが擦れ合うような音が断続的に聞こえる。

 トゥーの目の前には大きな水桶があった。今までトゥーがいた檻の中に入り切らなさそうなほどの大きさだ。

 その中には水がたらふく溜め込まれていた。茶色くない、桶の底が見えるぐらい透明な水だ。水が波立っていなければ、そこに水があったことが分からなかったかもしれない。

 水桶の中心にはなにやら大きな柱が立っていた。

 その柱のてっぺんから水が噴きだしていて、勢いよく飛びだしたそれは、宙で水桶に落下している。

 どうして水が上に噴きだしているのだろう。水は上から下へ落ちていくものではないのだろうか。

 不思議に思ったトゥーは水桶の方によたよたとした足取りで近づくと、水桶の中に細い手を突っ込んだ。

 水は冷たかった。両手を水桶の中に突っ込む。ひじの辺りまで濡れてしまったが、トゥーは気にも留めない。そのまま頭を降ろして水を飲もうとしたが、ほっそりとした枯れ枝のような両腕は、彼の体を支えることすらままならず、がくん、と体勢が崩れて上半身は水桶の中に突っ込んだ。

 ばしゃーん、といい音がなった。

 腹が水桶の縁に引っかかって全身が入ることはなかった。腹が圧迫されて息苦しくはあったが、そもそも水の中に顔があるのだから、息苦しいのは変わらない。 

 まるで物干し竿に干された布団みたいな状態になったトゥーは、口の中に自然と入っていた水を飲みこんでから、頭を持ち上げた。

 髪の毛がしめって、顔の上に張り付く。滴り落ちる水に、トゥーはまばたきすらせずに、口の中に残っていたかすかな水を飲みこんだ。

 二回飲んでみたけれど、やっぱり普通の水だった。檻の中で飲んでいた水よりもキレイで冷たかったけれど、それだけだ。キレイで冷たかったら水は下から上に落ちるのだろうか。不思議な話だ。

 トゥーは上半身を水桶の中に突っ込んで、頭だけを水面からだしている、なんとも奇妙な状態でボーっとしていた。

 そんな折だった。


「誰だ。貴様」

 後ろの方から声がしたのは。

 トゥーが振り返ろうとするよりもはやく――トゥーの遅すぎる行動よりも遅い人は中々いないとは思うが──ひんやりとした物が、トゥーの首筋に充てられた。

 ひんやりとしていたが、水ではない。水とはまた違った冷たさだ。

 もっと冷酷で、残酷な冷たさ――。

 トゥーはそれを視界におさめるべく首を少し動かした。プチッ、と小さな音が耳に入って、ちくりと痛んだ。

 灰色のずんぐりむっくりに噛まれたときと似ているような気がした。

 トゥーはそのまま首を動かす。今度はブチッという音がして、さっきよりも大きな痛みがした。

 視界の端になにかが見えた。平べったくて長くて尖っているものが見えた。色はトゥーの髪に混じっている色に似ていた。

 つつつ、と表面を赤い水が流れている。見覚えのある色だった。階段で転けた時に口と鼻からあふれた鼻水とよだれに似ていた。

 トゥーはさらに首をひねる。

 首の横――耳の下にあった痛みが首元の方にまで移動している。

 ただ、耳の下にあった痛みが消えたのかと言えばそうではなく、まるで線でも引くかのように痛みが広がっている。

 トゥーは首に添えられている平べったいものに手を伸ばした。手を広げて、つかむ。

 平べったいものを持っている人が、ビクリと震えた。平べったいものも震えて、指に痛みがはしった。

 指の間から赤い水が流れて、平べったいものを更に染める。


「こ、こいつっ!」

 平べったいものを持っていた人が、声を荒げた。平べったいものが手の中から抜かれようとしている感覚があった。鋭い痛みは指の中にまで食い込んでいるような気さえした。


「あ、ダメだよ。クラシー!」

 鋭い痛みがなにか固いものにぶつかったような感触があった時、原色が声をあげた。平べったいものを持っていた人が驚いたように声をあげた。


「ティティお嬢様。いつお帰りに?」

「今さっき。その子は不審者じゃあないから、攻撃したらダメ」

 さっき買ってきたの。と原色は言った。


「ああ、そう言えば誕生日プレゼントで買ってもらうとか、そんなこと言ってましたね」

 じっと、平べったいものを持っている人はトゥーを睨んだ。

 トゥーも老犬のような目で彼女を見る。

 彼女もまた、原色と同じように目に痛い髪色をしていた。

 首から流れている痛い汗と同じ色だ。

 耳は長い。トゥーの形とは違う。

 背は高い。もしかしたら大人よりも高いかもしれない。

 トゥーの着ているみすぼらしいボロボロの服よりは上等な服を着ている。

 胸がふくらんでいる。大人にもティティにもないものだ。なにか隠しているのだろうか。


「もう少し健康的なものがよかったのでは? こんな弱々しいの。すぐ死んでしまいますよ」

「いいの。この子が一番かわいかったから!」

「……かわいい?」

 平べったいものを持っている人はトゥーの顔を注視して首を傾げる。

 かわいいかあ? と表情は語っている。

 確かに弱々しくて可愛さよりも可哀そうさの方が先行しそうだ。

 庇護的なかわいさかもしれない。


「もしかして、この子“地下”にいませんでした?」

「うん。全部かわいくないって言ったら一応って案内されたの」

「じゃあ、商品価値がないと判断されたやつですよ。これ」

「いいの!」

 ザバァ。と。

 トゥーの体は水の中から持ち上げられた。

 びしょびしょに濡れたトゥーの体を抱えて、原色は胸をはる。

 腕にも脚にも力をいれていないトゥーの体は原色の腕にもたれかかる形になる。

 だらん、と垂れた両腕から水がしたたる。


「私はこの子が気に入ったんだから」

 ふんす。と、原色は鼻をならしてトゥーの体を縦に揺らした。


「分かった。分かりましたから」

 力の入っていない両腕はぶらんぶらんと動く。平べったいものを持った人は呆れたように、手のひらで顔を覆った。

 はあ、と息を吐く。

 全くこの子は。みたいな感じだ。


「濡れているヒトを抱えないでください。服がびしょびしょです」

「あっ!」


***


「彼女はね、クラシーって言うんだよ。分かる? クラシー」

 ペタペタ。という足音がしない。

 足元が痛い汗と――あの平べったいものを持っているヒトも髪と同じ色の芝でびっしり覆われている。

 地面は柔らかくて踏むたびに自分の足を優しく受け止める。痛くはないけれど、気持ち悪い。

 トゥーには知らないことの方が圧倒的に多い。

 多すぎて数え切れないぐらい多い。

 知らないことすら知らない。

 自分の名前も知らないし、自分が置かれている立場も知らないし、自分がなんなのかも知らない。

 原色の髪の色が『黄色』ということも。

 平べったいものを持っているヒトの髪の色が『赤色』ということも。

 痛い汗は『血』ということも。

 自分がいま踏んでいる地面のことを『カーペット』ということも。

 自分はヒトで。

 原色はエルフで。

 自分は奴隷ペットで。

 原色は主人。

 それも、知らない。

 分からない。

 分からないから、気になる。

 だから『噴水』に顔をつっこんで、『剣』を掴む。

 『死ぬ』という概念を知らないから、首を『剣』で斬られても、まるで気にする様子もなく、『剣』を触ろうとする。

 恐怖よりもまず、好奇心の方が先にでるタイプのようだ。

 好奇心というほど前向きで明るいものには見えないけれど。

 トゥーの首――『首輪』の上には剣によって斬られた跡が残っている。

 治癒魔法で治してもよかったのだが、一日にこう何度も治していたら、天樹様も呆れるというものだ。

 血は止まったものの、完全に治ることはなかった。


 着ている服が濡れてしまった原色に連れられて、トゥーは大きな建物の中に入っていた。

 建物の入り口をくぐると、トゥーが今まで住んでいた部屋と比べるのがおこがましいぐらい大きな部屋が待ち構えていた。

 しかしティティは、そこにはまるで興味がないとでも言うかのように素通りして、その部屋から続いている廊下を歩いている。

 彼女に手を掴まれて、引っ張られるようにしてトゥーは歩く。

 放っておくとまた勝手にどこかに行くと判断されたのだろう。

 賢明な判断だ。

 左側に窓があって、光が廊下に注がれている。

 廊下は延々と続くのではないかというぐらい長くて、床はずっとカーペットが敷かれている。

 実際のところ、そんな延々と続くような廊下なんてものは存在しないのだが、トゥーの体力と歩幅ではそう錯覚してしまう程度には長かった。

 まだ歩くことに不慣れで、歩き続けるほど体力があるわけでもないトゥーは、ずんずんと歩いていく原色に半ば引きずられるように歩いていた。


「……ねえ、聞いてる?」

 原色が歩くのは止めないままに、トゥーの顔を覗きこんだ。

 ズルズルと引っ張られていたトゥーはその顔を見上げる。

 老犬のような目に、原色の困ったような顔がうつる。

 言っている言葉は理解出来ない。

 仮に理解できて、トゥーが喋ることができたら『なにか言ってたのは聞いてた』と答えるだろう。

 つまり聞いていない。

 流し聞きである。

 ティティは困ったように眉を逆八の時にして笑った。

 トゥーは困っている。という言葉の意味はさっぱり分からないけれども、その雰囲気はなんとなく分かる。

 分かるというだけで、それをどうにかしよう。という考えまでには、到達しなかったけれども。

 考えるのはもう疲れた。

 更に言えば歩くのも疲れた。

 座って、眠りたい。

 こくり、こくり。と重たい頭は何度も船をこぐ。


「もしかして、眠いのかな?」

 それを見て、原色はそう独りごちた。

「まあ、今日はずっと歩いてたからね。けど、もうちょとだけ我慢してね」

 原色は足が動いていないトゥーを、ずるずると引きずるようにしながら、廊下を歩く。


「ついたっと」

 原色はとあるドアの前で足を止めた。

 ドアを開こうとして、意識がそっちに向いたのか、しっかりと握られていた手が緩んだ。するりとトゥーの手は原色の手から開放される。自由になったトゥーは、自然な動きで壁の方へとよろよろと動いて、壁に背中を預けるようにして座った。足を投げだす。一番落ち着く姿勢だ。地面は柔らかくて、少し気持ち悪いが我慢しよう。

 体から力を抜くと、自然と体が眠りに向かっていくのが分かった。

 まぶたを閉じて、意識を手放す。


「え、あれ。トゥー? あ、また寝てる! ちょっと今からお風呂入るんだよ! 寝ちゃダメ!!」

 まどろみの向こうからなにか聞こえた気がした。

 意味は分からなかったけれども、なぜか背筋がゾクゾクとした。

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