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なまえ

 地面はまっすぐじゃない。

 時折、脚をひっかけるように段差がある。

 周りを見渡してみても柱だらけで、その柱の上には苔がたくさんひっついている。

 苔が邪魔で、青い天井が見えない。

 かすかなスキマから、光がさしこんでいる。

 見たことのない緑の中は、裸足で歩くにはあまりにも危険すぎる気がした。


「そういえば、この子の名前を決めてなかったね」

 ぎゅっと、離れないように――逃げないように少年の右手を握っていた原色が、急にそんなことを呟いた。

 こけないように地面をずっと見ていた少年は、地面から目を離して原色の顔を見上げた。

 見上げた瞬間、段差にひっかかって少しつんのめる。

 原色が慌てて腕を引っ張ったから、こけることはなかった。


「大丈夫?」

「…………」

「名前かあ」

 原色が少年の体の調子を確かめていると、大人はそう言った。

 頭にかかる苔をはらいのけている。

 苔は柔らかなヒモかなにかについているのか、手の動きにあわせて動いている。


「そろそろ、刈っておいた方がいいかもな。これも」

 大人は顔をしかめて苔を睨んだあと、原色と少年を見た。


「家に帰ってからでもいいんじゃあないか? そんなに焦ることでもないだろう」

「へへー、実はもう名前は決めてあるんだ」

「……なるほど。さっさと名前を決めて、自分が考えた名前にしたいんだな」

「えー、違うよ。ずっと名前で呼ばないのはかわいそうかな、って思っただけだよ」

 横目で大人に睨まれた原色は、のらりくらりとそれをかわすようにと笑った。

 少年と話している時は比較的、年上気質な話し方なのだが、大人と話すときは見た目相応な雰囲気に変わる原色である。

 まあ。

 少年の方が年下であり、大人は年上なのだから当然といえば当然なのかもしれないが。

 大人はそんな原色に呆れたように苦笑いで返してから。


「それで、どんな名前を考えてるんだ?」

 と、言った。

 原色は自信満々に。


「トゥー」


 と、答えた。


「トゥー。か」

 大人はあごに生えた短い髪を撫でながら青い天井をあおぐ。

 青い天井は苔によってかすかにしか見えないのだけど。


「ふむ、いい名前だな」

「ね、ね?」

「けど、その名前にするかどうかは家に帰ってから決めるとするか」

「えー、いい名前だって言ったのに」

「それとこれは話が別だな」

「いい名前だと思うよねー、トゥー」

 原色は少年の顔を覗きこむ。

 互いに見た目は子供とはいえ、二人の背丈には半分か三分の一ぐらいの差がある。

 結果、原色は腰を曲げて上半身をかなり倒す形になった。

 横向きになった原色の顔を、少年はぼんやりと眺める。


「…………」

「な、ま、え。きみの」

「な、え……」

「トゥー」

「う」

「トゥー」

「と、と……」

「違うって、と、ぅ。分かる?」

「ははは、名前を刷り込ませる魂胆は失敗だな」

「そんなことないよ。街につくまでには覚えさせてみせるよ」

 なんせ、ムダに森の奥深くにあるからね、私たちの街は。と原色は若干不満そうに嘲笑した。


「もう少し手前に住んでもいいと私は思うんだけど、馬車から降りてずっと歩くのは疲れるよ」

「あそこは私たちの先祖が居ついた場所だ。それに、天樹様もいる。今の土地以上にいい場所はこの世界のどこにもないよ」

「私が大人になったら、絶対もっと住みやすい場所に引っ越してやる」

「どうせ、天樹様の元に戻ってくるがな。俺だって、そうだった」

「ふん、だ」

 原色は唇をとがらせて、鼻をならした。

 自分の真っ当な意見が若気の至り――つまり、勘違いなのだと言われたのだと思ったのだろう。

 ぷいっと顔をそむけて、原色は街につくまで少年に名前を刷り込ませることに尽力したのだった。

 しかし、『ゥ』の発音とか『なまえ』の意味を説明するのにえらく時間がかかり――というか、言葉を知らない人に説明をするのはほぼ不可能だ――結局、街につくまでに名前を刷り込ませることはできなかった。


「と、う」

 とだけ言えるようになったのはしかし、その努力が無駄ではなかったのだと原色に思わせてくれた。

 頭を撫でたら、少し頭を俯かせたけど。

 名前を教えている間の少年のつまらなそうな表情には、さすがの原色も少しこたえたようだったけれど。

 つまらなそうで、なにも感じてなさそうな顔。

 まるで、表情をつくる仮面をどこかに置いてきてしまったような。

 それか、表情をつくる仮面がどこにあるか分かっていないような。

 その顔が、唯一晴れたときがあったとすれば、それは初めて外にでたときだろうか。

 外にでて、知らないモノを存分に視界におさめたときだろうか。

 そんな、不感症な顔に少し変化があったのは――深々と広がっていた森が急になくなったときだった。

 否、なくなる直前には変化があった。

 まるで、それを直感で気づいたかのように。

 どこまでもどこまでも深く深く存在していると思われていた深緑が途切れて、視界が晴れた。

 クリアになった視界には、青い天井を支える柱がその背後にある景色を隠すように屹立きつりつしている。

 その根元には、柱と比べると小さな――しかし少年には大きすぎる建物が並んでいた。

 その数はざっと見渡して、四十は越えるだろうか。

 原色の言い回しからして、あの柱の後ろにもこれと同じぐらい──またはそれ以上があるとみていいだろう。

 その建物の色は柱と同じ色で、ぱっと見、あの檻を形成していたものとは違うようだった。

 建物の合間を、何人かの人が歩いている。

 その見た目は少年に似ている。

 しかし髪色は総じて原色や大人のように目に痛い色をしていて、ここからはよく見えないけれど、その耳はとんがっている。

 少年に似ているというよりは、原色や大人に似ている。の方が正しいだろう。


「とうちゃーく。やあ、遠い遠い。疲れたでしょ、トゥー」

「覚えさせる気満々だな」

「…………」

 原色は透き通るような青色の瞳で、少年の顔を見た。

 少年はキョロキョロと街並みを眺めている。

 その動きは少しぎこちないけど。


「その子は覚えるつもりはないようだが」

「むう……大丈夫。覚えてくれる、トゥーは賢い子だから」

 キョロキョロと動いていた頭を両手で挟まれた。

 挟んで掴まれた。

 ほっそりとした指からは想像もできないような力で、頭を潰しにかかってきているかのようだ。

 頭の中から「ミシ」とか音が聞こえたような気がして、けれど少年の顔色はそこまで変わらなかった。

 さすがに原色の方は見たけれど。

 どんよりとした目で、口を噤んで、原色の方を見る。


「きっと、もう覚えてるよね?」

 少年はボーっとしている頭で少し考える。

 どうすればいいのだろうか。

 どうしたらいいのだろうか。

 そう言えば。

 と少年はさっき頭を撫でられたことを思いだす。

 それは今、頭を挟んでいる両手とは違って、力なんてこもっていない優しいものだった。


「……と」

「ん?」

 ということは、その時したことをもう一度やればいいのだろう。

 少年は噤んでいた口を開いた。


「と、う……」

「わあ」

 原色はぱあっ、と花開いたように破顔した。

 大人は驚いたように目を大きく見開く。

 原色は両手を顔から――離してはくれなかった。

 ただ、そこからは拘束しようという力は感じられない。

 少年――トゥーの顔をわしゃわしゃと混ぜるように揉みしだいた。撫でまわした。


「偉いね、偉いねトゥー! 名前を覚えたんだ!」

 実際は名前を覚えたというより、どうしたら優しくされるかを覚えていた。といった感じだが。

 満面の笑みの原色にトゥーは抵抗する様子もなく、顔を揉みしだかれている。

 ぎゅーっと、トゥーの両頬を両手で挟みながら、原色は後ろにいる大人を首だけ動かして見上げる。

 どうだ! と言わんばかりの表情である。

 大人はあっけにとられたように、少し固まっていたが、原色のその表情を見てふきだすように笑った。


「どうして笑うの!?」

「いや、別に自分がなにかしたわけじゃあないのに、まるで自分の手柄みたいに偉そうにしてるお前がバカっぽくてな」

「ヒドい!!」

「しかし驚いたな。言葉を話せるだけでも充分なのに、言葉を理解するとはな」

 賢いとか、そういう段階じゃあないな。もう。

 大人がそう呟くと、原色は満足そうに鼻を鳴らした。

 だから、きみの手柄じゃあないって。

 原色はトゥーの両頬から両手を離した。

 日を一度も浴びたことのないような白い肌が、真っ赤になっていた。

 トゥーはふらふら、と体を揺らす。


「いじめるなよ」

「いじめてないよ。ねー」

「…………」

 原色は両腕を背中で組んで前のめりになりながら、トゥーの顔を覗きこんだ。

 その花開いたような笑顔を、トゥーはどんよりとした目でじっと見る。

 ふいっ、と顔をそむけてトゥーは先を歩きはじめた。


「ははは、嫌われたな」

「え、え、ちょっと待ってよトゥー!」

 先に街へと足を踏み入れたトゥーを、原色は慌てて手を振りながら追いかけた。

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