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現在

左腕に巻かれた時計に目を落とすと、15時を回ったところだった。就職活動のために用意した腕時計は、まだ馴染んでいない。

15時か、と内心で呟いては冷めきったホットコーヒーを啜る。 酸味が際立ち、少し眉間が歪む。



西陽が差し込む店内は、ブラインドが落とされていて橙色の明かりが時間の流れを遅く感じさせる。

暖かい色調の家具との共演が微睡みを誘い、油断していると眠りこけてしまいそうだ。



昼下がりから子供連れの主婦の集団や、学生服の青年達がちらほらやってきては、店内の小洒落た音楽の存在を掻き消していく。



イヤホンをすると、まるで店内を包む喧騒から切り取られたような感覚に陥る。


窓際に目を配ると、ベビーカーを前後に揺らしながら会話を続ける主婦が、時折ゆりかごに目を向けては、微笑みながら口元をもう一方の手で押さえている。

その内容は耳元でパンクロックに変換されて、唇の動きと一致しない。



肩まである前髪から横目でこちらを覗いて、すぐに会話に戻る姿に気付いて、はっとした。

無意識に他人の挙動や、顔を凝視してしまうことが度々ある。幼いころからの癖だ。




机に伏している、内容の入ってこない小説を起こし、視線を戻した。



くだらない事で口論するカップルを描写したシーンなのだが、そのチープさがより仲の睦まじさを浮き彫りにしている。

しかし、数分前にこの行を読んだ気もするし、初読の気もする。ほとほと読む気が失せたのかもしれない。




ぱらぱらとページを飛ばし、再び二人が言い争うページと机を再び向かい合わせて、耳元の音圧をあげた。

その自分の行動に余計気もそぞろになり、席を立って喫煙所のほうに向かった。





 大学合格を経て片田舎から都内に越してきたが、気がついたら就職活動をしなければならない時期になっていた。



大学で何を学んだか問われても明確な回答は出来ないだろう。


単位を取るためにルーズリーフは消費したが、インプットできたのはその何%だろう。何のために勉強しているのかわからず、授業は出席していた回数のほうが少ないはずだ。


それでも、周囲には真面目に取り組む者、単位を取るための勉強をしてる者がいて、授業のたびに出席しないのか催促されたのを思い出した。


その温度差が疎外感を強め、大学というシステムに緊張しなくなった頃には、学校の最寄り駅で降車することは、ほとんどなくなった。




今となっては、同じ学部の友人が自分の携帯電話を振動させることはなく、就職活動などの活きた情報は、専らネットなどからしか得ることができなくなっていた。


気重ながらも説明会や企業などに足を運んでいたが、熱のこもった企業説明や理念は、自分の熱量と反比例し、怠慢的になってきた頃には駅前の喫煙所で説明会の開始時間を迎えるよになっていた。




何度か自分の席と喫煙所を往復し、気づけば数時間経っていた。

飲み干されたマグカップは、底を茶褐色に染められ、渇水した大地を思わせる模様を残している。


床から天井まで張られた一面のガラス窓はブライドをあげ、開放的な印象を創り出していて、店内は昼下がりとは異なる表情をみせていた。


客席もスーツ姿が目立つようになり、キーボードを叩く乾いた音が所々響いている。





外を眺めると、空は紺色がかり、星明かりの気配が感じられた。屋内からはわからないが、駅前のロータリーを歩く人々が首をすぼめているので、日が落ちて気温がぐっと下がったのかもしれない。

薄手のコートを羽織ってきたことを後悔しながら、帰路に着く支度を始める。







「まるで夏炉冬扇だな」

そう呟きながらマフラーに首を埋め、骨の髄に吹き込むような寒風にさらされながら、頼りないコートのなかで身を縮み上げる。


不慣れな四文字熟語は、発した途端に吐き出された白い息と共に空気中で霧散した。

白息は球体状に拡がりながら街路灯や看板のネオン、車のバックライトにあてられ、淡い変化をみせる。



流し読みしていた小説の主人公が、嘆息しながら使っていた言葉をオウム返しのように言ってみたが、しっくりこない。

たまたま目に留まった台詞で、語感が心地良い。

中学生の頃に、習いたての英単語を友達と繰り返し言い合ったのを思い出した。パードゥン、パードゥンと下手な発音で盛り上がったものだ。




荒削りなアスファルトを踏みしめながら、ノスタルジックな気持ちに浸ると、都会に一人で居るような疎外感を顕著にするような気がした。



もう都内に住んで4年近くになるが、世間の閉鎖的な息苦しさや都塵、灯りの消えない夜には、これから先も耐性がつくことはないと思う。おまけに夜空を仰いでも、いつも頭上に広がっていた星月夜はなく、墨汁を塗りたくったかのような鈍い黒々しさに、輝く星々が散見できる程度で、どこにも居場所がない心細さを感じることがある。




コートのポケットの中で、冷たい指と併存している携帯電話が微動し着信を告げる。


「お前、いま何してんの」

もしもし、と応答する前に大きな声で遮ってきた。

かいの声はよく通る。


大方の予想はつくので、駅のほうへ踵を返す。

「帰ろうとしてたとこ」

対照的な声色で返答する。きっといつものようにそらと一緒なのだろう。


「暇ならこっちこいよ!天と飲んでるからさ。」

「二十分くらいで行くよ。」


そっけない返事を意に介さないのは、付き合いが長いというよりも彼があっけらかんとした質だからだ。

見上げた月は、ひときわ輝いていて、白々しい綺麗な光は、凍てつく空気を和らげた。




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