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痛い表現有。
さあ追い詰めますよー。
8歳になったエハヴは捨てられたことをすぐに理解した。
見知らぬ土地、と言っても恐らく村からそう遠く離れてはいないだろう。口減らしに使われている雪山に捨てられたのだと推測する。
食料泥棒。喉を焼かれた後、それは村全体に知られ、大いに虐げられた。
ミスを犯さなくても殴るわ蹴るわ。悲鳴を上げれないことをいいことにサンドバックのような扱いを受け、その痣が体中にある。
これ絶対消えないだろうっていうのもあるのだから、最悪だ。
だがこの身体が男であったことは幸いだ、女であれば嘆いている。
そんなこんなで村待望の弟が産まれた。
名前はシグラ。意味は救いというのだから皮肉がきいている。弟の世話に村人の世話。一人でそれを背負わされて働き続けていては倒れるに決まっている。
倒れたら、誰も見てくれない。
当たり前だ、ここの人たちは自分のことばかりで他人に目をやる暇がない。
あったとしたら、それは天変地異が起こったときだろう。
なんとか体調を取り戻してシグラの世話をする。
3年間、長いようで短い時間だった。歩けるようになり、喋れるようになった弟を守るために今まで以上に働いてきた。
産まれたときから奴隷宣言を受けていた弟は気の弱い人間だった。
私とは違い、ドラゴニュートではなくヒューマンとして産まれたためか体は弱くすぐに熱を出す。
そんな弟を村人は煩っていたが、私が徹底して守ったために手出しできなかった。そう、できなかったはずだ。
だというのに、私のいないところでシグラは強制的に働かされていた。
歩くことができるのなら水を汲め、草をむしれ、馬の世話をしろ。3歳児にはきついことばかり。もちろん私もやらされたが、身体の出来が違う。熱の出ている弟をこれ以上働かさせたら死ぬかもしれない。
そう言って初めて逆らった。
逆らった結果、私は捨てられた。口減らしの雪山に。
なんてこった、本当にどうしようもないなあの村人たちは。
ため息をつきながらゆっくりと起き上る。骨は折れていなかったため動くことに支障はない。内臓を少し痛めつけられたため嘔吐感があるがそれもすぐに慣れるだろう。だが頭が痛い。考えるまでもなく棒か何かで殴られたらしい。これで内出血してたら死んでただろうな、本当に怖い。
痛みを抑えてあたりを見渡す。見渡す限り見事な銀世界なのだが、ずっと見ているものなので感動なんて薄れている。
それよりも、早くどこかに身を置きたい。
ずっと冷たい地面に寝かされ冷風にさらされた体が身から冷えており、凍傷の危険性すらある。手足を忙しなく動かしながら山を下りる。
もちろん、村とは正反対のほうに。
そういえば、この3年間で新たに知識を身に着けた。
どうやらあの村はミズラフ村と言ってツァフォンの最東端らしい。国境に警備隊なんてものはないため、すぐに東の国ドンフェンへ辿りつくことができるのだとか。
ドンフェンがどういう国かは知らない。そこまでの情報はなかった。
名前からして中国系だとは思うのだけれど、外から来た人に厳しい国でないと良いな。
それにしても、というか。声が出せないのは本当に厄介なものである。
喉を焼かれた日から死ぬ気でドクダミを煎じたものを飲み続け、なんとか化膿は抑えたものの食べ物がのどを通らず餓死するのではないかとさえ思った。
どうにかして治せないかと思ったが、専門の医者にかからなければ分からない問題なために私ではどうしようもない。
もしかしたら二度と声が出せないのではないかと考えてもいるのだが、もしかしなくても出せないだろう。
雪山をゆっくりと自分のペースで歩み、麓を目指す。
麓に向かえば誰か人がいるかもしれないという望みをかけてただひたすら歩く。
幸いなことに今の季節は雪が少ない。いつも嵐のように降る雪はこの一か月全く降らず、歩きやすいようになっている。それでも、雪の上を歩きなれない人が歩けば転ぶような深さであるのに変わりはない。
慎重に下りて行っているためか、あたりはすでに暗い。
ファンタジーの世界だと知っているが、村の外に…特に山奥なんかに入ることはめったにないため、ここになにがいるのか把握していないのでいつ野生の動物が襲ってくるかわからない。
ああ、それにしても弟は…シグラは大丈夫なのだろうか。
村人たちにこき使われてないだろうか。つらく当たられてはいないだろうか。
私と同じ金色の髪を持つ可愛い可愛い私の天使に会いたい…。
―……っ。
はて、なんだろうか。
弟のことを思っていると風の音に混じって何かが聞こえたのだけど、空耳もありえる。そろそろ山の中間部に差し掛かるはずなのだけど、こんなところに人がいるだろうか。
いや、人はいないはずだ。
産まれてこの方8年間、この雪山には口減らしに捨てられた赤ん坊以外誰も人は足を踏み入れることはない。だとしたら、これはもしかして。
私は全力で駆けだした。もちろん、麓目がけて。
追い付かれたらまずい。絶対にダメだ。
こんなところで死んでたまるか、私は生き延びて生き延びて、寿命を全うするまで死ねない。
あの時の恐怖は、二度と味わいたくない。
私の願いは長生きだ。
結婚できなくていい、ただただ長生きして死ぬ。それだけ。前世の友達に言えば変な願いだねと言われるだろうな、こんちくしょうめ。
骨に罅が入っているのか、走るたびに右足が痛む。
ああ、ちくしょう。どうして私はいつも運が悪いのだろうか。産まれてきた場所も、生活も、すべてが長生きできない環境そのもので、とても運が悪い。
だが、今不運を嘆いても仕方ない。逃げるのみ、集中せねばやられてしまう。
裸足で駆けていくうちに足の裏の皮は剥がれ、血がにじむ。それが石に当たり激痛となるが、それでも走ることはやめない。
足から流れる血のせいで獣がすぐそこまで来ているかもしれないと考えると、恐怖で動けなくなりそうだ。
だから走る、懸命に。
だというのに、現実は無常だ。
まだまだ先が見えない場所で、2つの光を見つけ立ち止まる。
やがてゆっくりと這い出してきた姿に息をのんだ。
犬にしては獰猛で、狼にしては巨大なその姿。魔狼の姿に冷や汗が流れる。
邪悪で人に近い知性を持つそれはこの辺りではめったに見かけない魔獣だ。王都近くに巣があると噂されているのだが、よもやこの田舎に出てくるとは思いもしなかった。
ワーグは賢ければ賢いほど言葉を話す。人の言葉を理解し、惑わし、そして食らう。賢くて恐ろしい化け物。
怖い。
じりじりと寄ってくる巨体。
いつの間にか背後にも、もう一匹現れる。
怖い、誰か。
爛々と輝くそれに目が離せない。
足に根が生えたかと思うくらい、その場から動けないでいる。
また一匹、一匹と数を増やしていく。
怖い、怖い、怖い。
ワーグがにたりと笑う。恐怖に歪む顔に愉悦を見出しているのだろう。
周りはすでに10匹以上のワーグが囲っている。
何体かのワークの身体が前傾姿勢になる。
怖い怖い怖い怖い怖い…死にたくないよ。
ワーグの大きく開いた口が、目の前にあった。
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