物語の幕開け、『現実と二次元』③
蛍の足が止まったのは、倒れてからだった。すでに限界を超えていた脚が、小さな幹によって足を取られ盛大に転倒する。
初めから追われてはいなかったのだが、それを知らない蛍は何度も後ろを確認しては、木を背にして身を隠す。荒い呼吸と疑心で出来た音だけが蛍を支配した。
ガサッ!
ただ風で草木が擦れた音。
しかし、蛍を再び走らせるには十分だった。
ただし蛍は気が付いていない。それはもう走っているのではなく、気持ちだけが前に進んでいるだけということを。そして、それは悪い意味でしかないということを。
ふらりと視界が揺れる。一瞬意識がとんだ。
考えても見れば、夏の炎天下、学校帰りに山へと登り、帰りは猛ダッシュで走り続けている。いくら恐怖で限界を越えは知り続けたとしても、蛍は現実の人間であり二次元の世界に紛れ込んだとしても、その体は現実的にしか働いてはくれない。
「う、ぷ」
吐き気が体を襲う。
そうして初めて蛍は体の異変に気が付いた。
熱中症か脱水症状の言葉が浮かぶ。
「…………水」
逃げるという思考は消えてはいない。それでいて直ちに水分補給をしなければいけないと、ぼやける視界の中、水気のあるものを探そうとした。
だが、次の瞬間――。
ガサッ!
今度は蛍が倒れた際に草木が押しつぶされる音だった。
その事に気が付いた時には、もう遅すぎた。
視界が暗転していく。
風が優しく体を包み込む。蛍は死ぬという感覚は分からない。
この瞬間、蛍は風が気持ちいいということだけを感じ、静かに蛍の意識は途絶えた。
●
「は? 冗談にしては性質が悪い」
郷先で櫻井から掛かってきた電話の内容はあまりに意味が分からなかった。
――蛍失踪。
その事実が杉原家に伝わったのは、蛍がいなくなってから三日を過ぎた頃だった。




