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File5 テルマエ・コマゴメ


 入院生活で一番辛かったものは?


 よく聞かれる質問だ。まぁ、病気は言うまでもないが他にも沢山あった。友達に会えない事、採血や輸血が慣れるまで結構痛かった事など……だが、一番辛かったのは他でもなく「風呂」だった。


 病院のルールで、風呂は月水金は男性の日でそれ以外は女性の日。日曜日は公平さの為に無し。マーベリックは風呂無しを三日は我慢できる体質だが、ある作品との出会いがその体質を変革した。


 叔母からお見舞いの品で貰った『テルマエ・ロマエ』だ。


 ローマ5賢帝時代の浴場建築士が、風呂で溺れるとなぜか現代日本へタイムスリップするあのマンガだ。世界史大好きなマーベリックにとっては最高のマンガだ。古代ローマギャグには毎回笑わされた。しかし、僕は叔母に問うた。


「どうしてこれを選んだの?」


「え、店員さんに最近の高校生はどんなマンガを読むか聞いたら、これと『ワンピース』を勧められたの。でも、ワンピースはあるかなってね」


 この言葉――叔母は決定的なミスを犯したことがわかるだろうか。そう、マーベリックは『普通の高校生』ではないのだ。


 エリア88とシティーハンターを愛し、ベルセルクを聖書とするマーベリックはワンピースを勧めてくる同年代の友人に


「んな軟弱なの読んでないで、ベルセルクを読め」


 と言うような濃い漫画が大好きな昭和的な趣味を持つ高校生だったのだ。


 個人的には『ドリフターズ』あたりが欲しかったが、僕はテルマエ・ロマエを文句を言わず読んだら普通に面白かった。作者の画力は高く、そして何よりも知性が高かったので、マーベリックの好みだった。


 後日談だが、学校の先生がお見舞いに来た際に世界史担当の担任の先生から渡されたのもテルマエ・ロマエだった。渡された時のリアクションが辛かったのも良い思い出。そのあと、先生が下さったテルマエ・ロマエはベルセルクになってしまった事は口が裂けても言えません。


 ローマの風呂と日本家屋の風呂が延々と描かれるマンガを読んでいると解るだろうか?無性に風呂に入りたくなるのだ。


 画力の高い作者が描いたマンガで主人公が食べたものが食べたくなる……その心理が働いたのだ。


「風呂に入りたーい!!」


 お風呂には入れない晩に、暑いタオルで体を擦りながら風呂に幾度も思いを馳せたことか……特に週末は地獄でした。2日連続では入れないなんて!!ローマ人の心を手に入れたマーベリックに「死ね」というのか!!


 そして、月曜日の朝8時。ナースステーションの前におっさんが殺到した。我先にとお風呂の予約帳に群がり自分の名前を書いていく。マーベリックはその時間は寝ているか何かしていて、いつも最後の方だった。


 だが、耐えた分の風呂がまた素晴らしい。普通の家の浴槽と同じサイズで15分しか入れないが、それでも最高に気持ちよかった。生を実感し、風呂を愛する民族の日本人である自分を実感した。


 風呂といえば、良くラブコメである『ラッキー・スケベ』なるものがある。『ラッキー・スケベ』とはヒロインないし、主人公の風呂の際にどちらかが風呂に何も知らずに入るといったイベントの事だ。人生初の『ラッキー・スケベ』はこの入院生活だった。


 と、言っても僕は被害者だ。もし逆だったら『少年と牢屋―Jail Knight―』をエッセイとして書く羽目になっている。


 僕が入浴を楽しんでいて、いい気分で『宇宙戦艦ヤマト』声高々と湯船で熱唱していると、半透明のプラスチック板の向こうに人影が見えた。


「ん?」


『こちらがお風呂です』


 緒方さんの声だ。背後には新しい入院患者を連れているようだった。まぁ、見せて終わりだろうな。きちんと名前も書いたし、時間も合っている。脱衣かごにもきちんと服をたたんで入れてある。ん?


 ガチャリ。


「浴槽は……え……マーベリック君!?」


「入ってますよ~」


 湯船に身を沈めていたので恥ずかしい部分は見せずに済んだ。見られたお婿に行けないわ!!


「ごごご、ごめんなさい!!」


 顔を赤くして緒方さんは浴槽からそそくさと出た。これが人生初のラッキー・スケベだった。おばさんの看護婦さんならこうはならないが、緒方さんは看護婦になって2年と若くこういうシチュエーションに不慣れのようだった。まぁ、10代のピチピチの肌を病棟でお目にかかれる事なんて滅多に無いだろう。


 そして後々、輸血に来た緒方さんにこの事を聞いたら


「ごめんなさい。脱衣かごの上にたたまれたタオルが置いてあって、服が見えなかったの」


 そう言えばそうだ。風呂上りにすぐ身体を拭くためにたたんだタオルを上に置いておくのが僕の習慣だ。まぁ、仕方なかったな。


「それと、いい腹筋だったよ。何か部活やってた?」


 お、お目が高い。そう、マーベリックは中高とバドミントン部に所属していた。実力は中の上だった。


「はい。バドミントンを」


「へぇ……あ、道理で左右の腕の太さが違うんだ」


 バドミントン腕、僕はそう呼んでいる。ラケットを片一方で振るので片方だけが発達する事だ。


「何で解ったんですか?」


「点滴するときに左右の腕を触ったときにね」


「へぇ……すごいっすね」


 腕を少し触っただけで解るとは……さすがは天才針士(マーベリックが勝手に与えたあだ名)。


「へへ。じゃ、血小板入れるよ」


「栗きんとんですな。カモン!!」


 血小板の輸血パックはくすんだ黄色をしていて、それが栗きんとんに似てたので僕が勝手に命名した。そして、ぷすりと針を右の肘関節付近に痛み無く差し込んだ。


 したたる血小板の液体が身体に染み込んで行くのが解る。これを下さった方に感謝。彼らのお蔭で命が救われる人がいる。その事を感じながら輸血が終わるまで眠った。 


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