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File25 辛いポテチはあしたの味

 ATG療法の経過は順調だった。


 最初はアイゾレーターの中で隔離された生活を送っていたが、5月の後半になるとほとんどゼロに近かった白血球や血小板、赤血球の数値は日に日に高くなり、最終的にはゼロから1へと昇華した。


 嬉しいし、ワクワクした。


 退院までとはいかないものも面会謝絶が解除されれば、メンタル的にも大きな救いにもなってくれる。そんなある日の朝の採血だった。


「あれ……?マーベリック君の血の色、濃くなってない?」


 その日の採血を担当した井上さんはそう僕に言った。確かに採取ビンの中の血液は黒ずんだ赤ではあるが、以前とは何ら変わった様子は見受けられなかった。


井上さんにしか解らない事……なのか?きっと、あの人の事だから冗談で言ったんだろう。


 そう思っていた。


でも現実というのは時にして小説よりも奇だった。


いや、本当に驚いた……まさか本当にアイソレーターから解放されるのなんて……。


 その日のお昼頃、いつも以上にニコニコした堀川先生が井上さんと一緒に、マーベリックの一番ベッドに来た。


「ど、どうしたんですか?」


「今朝の数値見ました……大分良い兆候ですね」


「はぁ……」


「ですので、アイソレーター外しちゃいましょう!」


 先生の言葉を聞いて、衝撃のあまり自分は凍り付いた。


 その時の自分がどんな顔をしていたのかは解らない……でも、きっと間が抜けてた顔をしていたのは間違いないと思う。


 そして「出られる」と自分の頭が理解した途端に体中が熱くなるような歓びと興奮が巻き起こった。


 またみんなに会える。


また外をブラブラと歩ける。


 一カ月近い孤独と閉塞の中にいた僕はその『当たり前』だった事が無性に恋しかった。本当に恋しくて、待ち焦がれていた……。


「出て……良いんですよね?」


「はい」


「よっしゃ!!」


 恥ずかしながら、自分はこの時に結構大きな声を上げてガッツポーズをしてしまった。他の患者さんに迷惑であるのは承知であるが、叫ばずにはいられなかったのだ。


 あと今でも思い出せるのはその時の井上さんの顔だった。何か知っているような顔をして、ただこっちを見て頷いていた。


 そして、先生がベッドから出た時に僕は、アイソレーターを外すために残った井上さんに訊く。


「まさか……井上さん、この事知ってたんですか?」


「うん。だから血が濃いなんて言ったんだよ」


「そういう事かよ……」


「うん。病室の外に出られて良かったね」


「まぁ、そうですけど……」


「じゃあ、撤去するから10分くらい外に行っててね」


「あっ、はい」


 井上さんに言われるがまま僕は病室のベッドの外、病室の外へと出て行った。


 本当に出られた。


 あの迷子になるように設計されたみたいに白一色で塗られた病棟の壁を見て僕はそれを実感した。


 久々に見る一番ベッド以外の風景を僕はどうみていたのか――今でもあの時の思いは忘れられない。


 ただ、懐かしい。


 行きかう患者さんと看護婦さん達、病棟の廊下から見える風景……その全てがあの時の僕にとっては懐かしく思えた。ついつい、小さく叫んでしまうほどに。


 また一歩、自分が過ごした日常に戻れたんだ。


 そう思うと、やはり心が躍ってしまう。貧血症状がまだ残る体である事を忘れ、僕はアイソレーターから出られた後にスキップで売店へ向かってしまった。ただ一本のコーラとポテトチップス……アイソレーターにいる間、食べたり飲んだり出来なかった自分の好物を買いに。


減量後のボクサーが食べるジャンクフードは本当に美味しいらしい。『あしたのジョー2』で金竜飛戦の為に減量したジョーが軽量後にサラダを灌漑深そうに食べるシーンを見れば、その気分が解る。


 ボクサーの減量の苦しみ比べれば、自分の味わった断ジャンクフードは大した苦ではないが、あのポテチとコーラは自分が味わってきた中で一番美味いポテチだった事は断言できる。


 本当に美味かった……でも、僕の食べたうす塩は妙に塩辛かった。消費者センターに文句が言えるほどに。


 長いアイソレーター暮らしが終わったせいか、ポテチを食べながら涙を流したのは誰にも打ち明けていない秘密である。


 そして、この日から僕の闘病生活に変化の兆しが起きた。


 大きな潮流の変化。


 まさにその言葉がふさわしいような変化だ。


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