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File24 花は染井に嵐吹く

 1号室のメンバーの入れ替わりは結構激しい。File4に登場した木田さんや志茂さんは僕が入院してから、一週間ほどで退院した。良い事ではあるが、寂しいものだった。まさに一期一会というものだ。


 今回はそんな来ては去っていく、個性的な同居者についてのお話。



 一号室の同居人は実に個性的だった。本当に色々な人がいた。トラックの運転手から普通のサラリーマン。色々な人が己の病と向き合って、戦っていた。


 病室は一種の戦場。そんな中に本物の『兵隊さん』がやって来た。


 あれは入院生活の最後の方だ。ATG療法の経過も順調で、アイゾレーターが外され、生活の幅がある程度広がった。そんな頃に新しい患者さんが一号室の三番ベットにやって来たのだ。


 外見年齢は不明。おじいさんであったのは解ったが、若々しく、背筋がピンと伸び、身長は自分より低いくらいで、いわゆる長身の部類に入る位の方だった。皺の数やら体つきのせいか、60歳にも80歳にも見える不思議な外見をした人だ。


 とりあえず、僕はお隣のベッドだったからあいさつに伺うことにした。


「こんにちは。隣のマーベリックです。よろしくお願いします」


「おぉ……挨拶ご苦労様です。若いのにしっかりしてるね」


 と、親しみやすい口調で返答をしたおじいさん。おじいさんの言葉は僕にとって少し照れくさく、嬉しかった。


「坂本と言います。検査入院でここに来ました。よろしく」


 う……もの凄く年が気になる。だが、年を聞くのは失礼だ。そんなジレンマの中、坂本さんは僕に問う。


「若いけれど、いくつかな?」


 よし来た。これで、年齢を知れるフラグが立った。


「あ、17です」


「ほぉ……若いね。私は89歳だよ」


 89!?すげぇご年配じゃん!!


 マーベリックの知り合いで最年長はこの人だ。次が大おじさんの85歳である。


 ここに病棟最高齢と最年少がそろった。その年齢差は約72年……ほぼ一世紀近くにあたる。人生の大先輩……その巌のような威厳に少し圧倒されたことは今でも思い出せる。


 そんなこんなで僕と坂本さんの奇妙な交流が始まった。


 File14で記述した通り、マーベリックはご年配からのウケが良いらしい。何だか解らないがすぐに坂本さんと親しくなってしまった。


 そんなある日だった。


 僕がお風呂から帰った時に歌声が聞こえた。しわがれていて、とても綺麗だとは言えないが力強い歌声……耳に残る旋律の歌で、歌詞は古めかしい言葉で良く解らない歌だった。




 万朶ばんだの桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く


 大和男子やまとおのこと生まれなば 散兵線の花と散れ



 自分の帰りに気付いた坂本さんは少し気恥ずかしそうだった。


「おぉ、湯加減はどうだったかね?」


「あ、上々です。で、坂本さん、今の歌って何ですか?」


「あぁ、聴いていたのか……私が陸軍にいた時に覚えた『歩兵の歌』だよ」


「陸軍って……あの戦争に行ってらしたのですか!?」


 陸軍!?初耳だぞ!?


 でも、言われてみれば、そうだったのかもしれない。最近、亡くなられた小野田さんも老いても背筋が伸びていて、どこか若々しかった。


「いやぁ、少しね。満州の方へ」


「はぁ……満州ですか」


 満州。清王朝の発祥地であり、旧日本軍の支配下に置かれていた、中国の東北部の地域である。満州事変やヌルハチとかである程度馴染みのある場所だった。


「そう……私はあそこで上等兵として、任についていた」


 そして、坂本さんは自分の体験談を語り始めた。


 野営で見た美しい月や広大な華北の大地の話。本隊とはぐれて、ゲリラの部隊と鉢合わせしかけた時の話、そして亡くなった戦友たちの話。


 実に貴重な話だった。


 普段、自分が訊いたことのある戦争の話は一市民だった祖母や祖父の話だけだ。だが、あの時に僕は本当に銃弾飛び交う中に身を投げ込み、命を張った人が見た『戦場』の話を聞く事が出来たのだ。


 ……命は大切。


 ありふれた言葉だが、この時の自分はこの言葉の意味を理解できた。坂本さんほどでは無いが死線を乗り越え、今を生きている。死線に近づけば近づく程、人は命の大切さを知るものだと僕は思う。そして、坂本さんは僕に言った。


「君はまだ若い。楽しいことだってこれから沢山あるはずだ。見知らぬ土地で死んでいった、若者たちの分も君には生きてもらいたい」


 本当にこれは重い言葉だった。あの衝撃は今でも鮮明に思い出せる。『白血病かもしれない』と同じくらい衝撃的で、力強くもどこか寂しい言葉だった。


「はい。絶対に……」


「うーん。どこかしみったれてしまったな。どれ、さっきの歌を歌ってみないか?」


「え?あの歌ですか?」


「あぁ」


 そう言って坂本さんは僕に10番近くある歌の6番、「アルプス山~」の所まで教えてくれた。今でも多少あいまいだけど、この歌は覚えている。


 ちなみに『太平洋の奇跡』という映画で、竹野内豊さん扮する大場大尉がアメリカに降伏する際に行進しながら歌っていたのはこの歌だ。この映画を見た方は解るかもしれないが、リズムも良く七五調ととても歌いやすい一曲である。


 ……これだと、マーベリックがただの『ネトウヨ』だと思われてしまうので、弁明をさせてください。


 マーベリックの稚作、『少年と空―EAGLE KNIGHT―』をご覧になった方は解るかもしれないが、自分は基本的には戦争には反対です。軍事費はかさむし、自然は壊れるはろくな事がない。しかし、何よりも一番忌むべきことは、空までお金を積んでも買う事のできない人の命が失われる事である。


 本当に戦争はあってはならない事である。


 だが、あの70年前の戦争を「愚かしい」と評価するのは少し変な気もする。戦争はどれも愚かしい事なので「正しい」もクソもないのだ。


 しかし、そこで命を落とした将兵に哀悼の念をささげるのは間違ってはいないと思う。


 これ以上脱線すると別のエッセイになるので、ここまでにしておきます。



 その後も坂本さんと色々な話をした。話をして、色々な知識を手に入れ、見識を広げる事が出来た。そして、坂本さんは出会って5日目に退院した。何ともなかったらしい。ま、あの健康的な坂本さんなら無理はない。どこか寂しかったが、退院を喜んだ。


 相席も相部屋も一期一会。来ては去るは一号室の常。


 いつになったらここから出られるのだろうか?


 そんな事を考えつつ、僕は坂本さんの教えてくれた『歩兵の本領』を彼のいなくなった病室で口ずさんだ。 

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