File21 MAVE-RICK Annular Eclipse
カテーテルを抜いて日が過ぎていくと僕の血中物質の濃度は平均値には程遠いが良くは成ってきた。しかし数字は良くなっても貧血症状や動悸、息切れは一向に良くなる気配は見せてくれなかった。そんな5月19日の朝、輸血に来た井上さんが1番ベッドにある報告を持ってきてくれた。
「本日より、病室からの外出してもいいです。ただし、外出はだめですよ」
「マジすか!?」
「うん。よかったね」
本当に良かった。その言葉につきる。今まで外には出られず、看護婦さんや両親に『パシリ』になって戴いてジュースやらなんやらを買ってきてもらっていたが、ついに自分でジュースを買いにいけるようになった!!小さいけれど自分にとっては大きな進歩だ。
「あ、そうそう、ニュースでもいってたけど明後日、日蝕が起こるんだってね。運がよければ見られるかも」
ほう?それはそれは……。
5月21日。ニュースとかで話題になった珍しい日蝕が起こるとか何とかの日だ。友達が言うにはこの日、珍しすぎる日蝕を見ようと学校の登校時間が遅くなったとの事。
一号室の窓の角度からは太陽は見ることはできない。しかし、移動が出来れば何とか見られる……とりあえず展望エリアが良いかな。
「わかりました。いい情報を感謝します」
「あ、それとさきちゃんがマーベリックくんと一緒に日蝕見たいって」
「さきちゃん?」
「あの子もよくなってきたから病棟内でみられるから」
「そうなんすか。わかりました」
そんなこんなの朝。輸血が終わると、一部外出許可の出たマーベリックは大好物の『大きなコロッケパン』と『いちごスペシャル』を買いに2週間ぶりの売店へ飛ぶように向かった。
ちなみにこの2つのパンは学校の購買で良く買っていた商品で舌だけでも学校気分が味わえると、マーベリックは好んで食べていた。合計210円――――それで舌も心も満たされる。いわゆる故郷の味って奴だ。
†
それから2日後。さきちゃんとは検査とかなんやらで会うことは出来ず、待ち合わせ場所を決めることは出来なかったが看護婦さんのネットワークで7時25分に10階で落ち合う事になった。
病院の朝は結構早い。大体6時頃に点燈され、看護婦さんたちが採血と体温を測りに来るので寝過ごすことはまず無い。
貧血患者は血圧やヘモグロピンの関係で疲れやすく、朝に弱い。だけど大丈夫だった。その日に限っての幸運が味方してくれた。そう、マーベリックの天敵であるザキヤマさんが僕の日中看護を担当してくれたのだ。
目覚めの一発。激痛で眠気が吹き飛ばされ、二度寝の恐れは無くなった。この日だけはこの人に感謝した。
朝食も済ませ、僕はエレベーターホールでさきちゃんの到着を待った。その手には母親にもらった日蝕観賞用スコープを二つ。さきちゃんが忘れたときに備えて二つ頼んだのだ。
「おはよう」
7時25分。さきちゃんと付き添いの看護婦さんがエレベーターから降りてきた。久々に見たさきちゃんの顔色は変わらず蒼白だった。しかし、マスクで口は見えなかったけれどその目はうれしそうに輝いていたのは解った。
「ひさしぶりだね」
「うん!!」
朝から元気一杯だ。そういえば小さいころは朝起きても辛くなかったけれど、年を取ると辛くなる物なんだろうか。そんな事をしみじみと思いながら僕達は観測ポイントである第二談話室へ向かった。
「さきちゃん、お日様を見るためのメガネ持ってきた?」
観測ポイントである部屋に着いた僕はさきちゃんに問うた。
「ううん」
「じゃあ、これ」
僕はさきちゃんに観測用スコープを手渡した。受け取ったさきちゃんは興味津々にスコープを壊さない程度にいじくった。
「かっこいい!!はかせみたい」
「うん、博士みたいだね。これでお日様をみないと目が痛くなるから、気をつけて」
「はーい」
さきちゃんはスコープをつけて少し高い位置にある窓の向こうに広がる空を見上げた。だが、ハプニングが発生した。
「みえないよぉ」
「え?」
僕は窓を見た。雲は無い。太陽もある。だが見えない……どういうことだ?
「まさか……」
さきちゃんの立っている場所に僕はかがんで、窓を見上げた。やはりそうだった。彼女の首の仰角が足りていなかった。高さを稼がないと見えない……。
「よし」
マーベリックはとっさの判断でさきちゃんに言った。
「肩車するよ。乗って」
「うん!!」
僕は身をできるだけ低くしさきちゃんを肩車する事にした。幼稚園児を肩車するのは他愛も無いことだが、貧血の身でやるのはちと辛かった。足は攣りそうになったが転んだりするとリアルで命取りになるので必死にこらえた。
「お日様、見える?」
「うん……あ!!おひさまがくろくなってきたよ」
耳にかけたスコープを下ろし、僕も日蝕を鑑賞する事にした。
人生で初めて見た日蝕は色々な意味で凄かった。蒼空に浮かび上がったダイアモンドリング。まさに宇宙が作り出した芸術品だった。
「きれー」
「そうだね」
でも、もっと自分の心に残ったのはこのよく解らない状況だった。入院中、女の子を肩車して窓から日蝕を見る。これのほうがよっぽど印象的だった。
日蝕も終わり、いつも通りのお日様が顔をのぞかせるとさきちゃんはうれしそうに
「ありがとう!!おにいちゃん」
と言ってくれた。本当に嬉しそうに。そして、興奮冷めぬままさきちゃんは病室に帰った。
人生初めての日蝕。今でも思い出すことが出来る。ダイアモンドリングや、あのさきちゃんの嬉しそうな声……。
しかし、その晩は筋肉痛に苦しんだことは口が裂けても誰にもいえない。




