File19 治療〈後編〉
2012年 5月13日
その日の朝早くに1番ベッドを看護婦さん数名と、研修医だろうか若いお医者さん、そして堀川先生が訪れた。
「調子はどうですか?」
『ポチ』に薬を引っ掛けたり、その他もろもろの装備を看護婦さん達が準備する中、堀川先生は僕に問うた。
「よく見えます?」
いつも通りの冗談で返し、安心した素振りを見せた堀川先生はカルテの記入を始めた。
「この治療を行うにあたり、薬の副作用で発熱などが予想されます。辛い事があったらすぐにナースコールしてくださいね」
「はい。井上さん」
普段は明るく振舞う井上さんだったが、この時はどこか顔が引き締まりっており、失礼な言い様だが看護婦さんらしかった。
「あと、心拍をモニターするのに必要な装置のパッドを付けるので少しシャツを脱いでください」
そう井上さんに言われ、母が先日僕に買ってきてくれた半袖で、白を基調に赤と青のストライプが入った『ドラグナー1号機』みたいな配色のTシャツを脱いだ。ちなみにこのTシャツは今でも『ドラグナーっぽいシャツ』として今でも着ている。
セット完了。改造人間の手術を受けている藤岡●のような格好になったマーベリックの体内にウサギの体液で作られた薬剤の投与が始まった。
「では、3時間後にまた来ますね」
そう言って先生方は1号室を後にした。ただ井上さんは残り、僕に言った。
「キツイけどがんばってね」
「はい」
「うん。じゃ、風の導きがあらんことを」
『風の導きがあらんことを』……これは読者の皆様の何人かはご存知だが、稚作『少年と空』で戦闘の前にパイロット達が生還を祈って互いにかける言葉である。書いている時は何とも無いけれど、いざ言われると恥ずかしくて悶えてしまいそうだった……。うん。
「ども……」
体内に流れる薬剤は普段の輸血とあまり変わらない。でも、効果は違う。それに気付いたのは次の日の夜だった。
†
ATG療法が開始されてからは面会謝絶となった。薬の作用でこの時の僕の白血球の数は0.03と表記された。平均男性はこれが3.3ほどあり、マーベリックのはその100分の1もない。
こんな状況じゃ簡単にバイ菌が悪さする―――文系ながらもそれは理解できていた。
そして、この日の深夜、僕の左肘にできたかさぶたが熱を持ち始めた。そして、熱は痛みへ変わった。左肘は炎を宿したかのように痛み、僕を苦しめた。
「これはまずい……」
この時、初めて僕はナースコールを押した。もうどうしようもないなと判断した。やせ我慢しようにも痛すぎた。本当にまずい。うん。これは痛い。泣きはしないが本当に痛かった。
「マーベリックくん、どうしたんですか?」
「腕が……熱痛いです」
「炎症ね。氷嚢、持ってくる」
そういって駆けつけてくれた緒方さんはナースステーションに、氷嚢を取りに戻ってくれた。そして、その30分後に抗生物質を薬剤師さんが持ってきてくれて、壊死は防げたが、この痛みと3日ほど付き合う羽目になった。多分、これも入院中で辛かった出来事の一つになる。
もう一つ自分を苦しめたのは薬剤の副作用による発熱だ。風邪をあまり引かない僕にとって発熱は本当にレアな出来事だった。39度ほどの熱にうなされ、脳みそがとろけるような感じに襲われた。
五臓六腑を冷やすようなアイスをくれ……
せつに僕はそれを願いつつベッドに身をうずめた。体の表面は火照っているが、芯はどこか寒い。どっつつかずの奇妙な状況に身をおかれたのであった。
貧血症状や発熱と激痛、そして孤独。これまでの闘病生活でもっとも苦しい日々だった。誰にも会えない寂しさが心を、副作用が体を蝕んだ。
まさに地獄。本当に全知全能の神様がいるとしたら思いっきりぶん殴りたかった。よく不幸を『神が与えた試練』だのと表現するが、望んでも無い不幸を押し付けるなんて勝手極まりない。そう、ベッドで僕は思った。
だけど、今思い返せばそれはそれで良かったのかもしれない。味気ない人生に苦かったけれど味が付いてくれたのだ。普通じゃ体験できない事を体験できた。それだけども良い。退院してからそう思えるようになった。
転んで突っ伏して泣く事は誰にでもできる。だけど、人には立ち上がるための手がある。だったら這ってでも前に進もう。進める人間こそが強い人間だ。
これは『少年と空』の第34話の次話に書いたの閑話で、ヒロインの吉田光が落胆する主人公、風宮翔にかけた言葉の元で、逆境に転んでも、人には立ち上がるための手がある、なら立ち上がって進もう。この入院生活で学んだ言葉だ。
激痛は授業料。この生活は生きる上で重要な何かを教えてくれたものなのかもしれない。そう思えば、あの苦労は報われるものだと思えたりするのだ。




