第1話 「初めての強奪」
「……弱そうな割に金持ってそうなのが来たわね」
森の中、うっそうと茂る木の上から、真下にある獣道を通る通行人を、じっくりと観察していた私は、上等の獲物を見つけ、嬉しくなって唇の端を吊り上げた。
が、一瞬後、すぐに気分が落ち込んで、その表情が曇る。
肩ほどで切り揃えられた黒髪をいじりながら、私、ヴァネッサ・イル・カイロニアは、はあっとため息をこぼした。
カイロニアとは、とある王国の名であった。
自然にに囲まれ、鉱山資源に恵まれた豊かな小国であったカイロニアは、建国から常に近隣の国々からの侵略の危険にさらされていたのだが、
つい三年前、隣国のルイス帝国に滅ぼされ、
その一部となってしまった。
つまり、カイロニアの名を持つ私はれっきとした、カイロニア王国の王女であるのだ。
まあ、今となっては元が付くのだが。
けれど仮にも第一王女にして、第三王位継承権を持っていた自分が盗賊のまね事をしているなんて、きっと建国の祖も子孫のあんまりな行く末に草葉の陰で泣いているに違いない。
思わず情けなさに涙しそうになるが、それでも視線はまさしく獲物を狙う鷹のごとく、先ほどの通行人から1ミリも目をそらさない。
いい、ヴァネッサ。あんたはもう王女じゃないのよ。誰もあんたのご飯を作ってはくれないわ。自分で調達するの。
大丈夫、いつもちゃんと罠にかかったウサギを捌けたじゃない。
それが今度は人間になっただけよ。あんたならやれるわ。なにも殺す訳じゃないんだし。
などと、いささか間抜けな言葉で自分を励まし、これから行う盗賊行為へ向けて自分を鼓舞する。
元来、私は強かな性根であると自覚している。非常に順応性が高いのだ。
ウサギを捌くのも初めは抵抗を覚えたが、三匹目を捌く頃には、生命力の糧となってくれたウサギへの感謝の念は忘れはしなかったが、抵抗感は失っていた。
頑張るのよ、私。ちょっとくらい非道にならないと、亡国の王女なんて笑える馬鹿みたいな肩書、重くてしょってらんないわ。
腰の鞘に挿していた、自分の身長の半分ほどはある大剣を慎重に引き抜くと、腰かけていた木の枝にの上にそっと立ち、低く腰を落とし、息を潜めて襲撃の機会を伺う。
私の目に映っているのは、20代中頃かと思われる、眼鏡をかけ、優しそうな顔をした青年だった。
どちらかというと体つきはたくましくない。
服装は一見すると地味だが、その一つ一つはかなり上等の素材でできているのが見て取れる。
目に見えるところには、武器も持っていないようだ。初めての人間の獲物としては上出来。
青年は、ちょうど私の立っている木の下で、大きく膨らんだ背中の荷物を下ろし、一休みする気なのか地面に座り込んだ。
今だ! 私は木の上からざっと飛び降りるや否や、目にも止まらぬ速さで、先程まで青年が背もたれにしていた木の幹に大剣を突き立てる。
まさに一瞬の出来事だ。これでは青年は対した抵抗もできないだろう。
「もらった!……ってあれ?」
ニヤリと笑い、高らかに勝利宣言をするが、そこに青年の姿はない。
戸惑っていると、ふいに背後から何かが風を切り裂く音がして、私は慌ててその場を飛び退く。
すると、先程まで私が立っていた場所に、重さのある何かが直撃したかのように大穴が空いた。
「いたいけな少女に放つ攻撃魔法としてはなかなか容赦がないわね」
「いきなり純朴な旅人を襲うような女のどこがいたいけなんですか」
青年の繰り出した攻撃魔法によって穴の空いた地面を一瞥し、あれをまともにくらって、体に穴の空いた自分を想像してしまい、ゾッとした表情で振り返ると、呆れたような、どこか疲れたような顔をした青年と目が合う。
なんだかさらっと失礼なことを言われた気がする。けどまあ事実なので否定できないか。
「とにかくその荷物を置いて行ってもらおうじゃない。できればその上等そうな服もね」
まさかこんな物語の中の悪役まんまな台詞を口にすることがあろうとは。
自分で言っておきながらなんともいたたまれない。
「あなた、見たところまだ随分幼いようですけど、その年で盗賊紛いのことをしてらっしゃるんですか」
図星をさされて、カッと頭に血が上る。私だってわざわざやりたくて盗賊のまね事なんかしてるんじゃない。
本当ならどこかの優しい貴族の男の人の所に降嫁して、優雅で気楽な余生を送りたかったわよ!
「うるさいわね! 人には事情ってもんがあるの! それに私は確かに童顔だけど、もう成人してるわ!」
頭に上った血に任せるように青年に接近し、力の限り大剣を振りかぶる。
絶対にこいつから何か金目の物奪ってやる! 王女としての気概とか品格なんてくそ食らえ、だ。
「仕方ありませんね……Foyite int(焼き払え)」
小さく呟きながら青年が右手を横に払うと私と青年の間に炎の壁が生じる。
瞬時にバックステップで下がり、間合いを取るともう一度剣を構えなおし、今度は青年ではなく、その壁に向かって振り下ろす。
一瞬、青い光が私の持つ剣から放たれたかと思うと、次の瞬間には先程までごうごうと燃え盛っていた火の壁が跡形もなく消え失せていた。
私の愛剣はただの大剣ではないのだ。
「……っ退魔剣?!」
「そうよ! なめないでよね! 命までは奪わないから痛い目に合わない内に降伏して! とりあえず今日の晩御飯を食べられるだけのお金が欲しいの!」
こっちは必死なのだ。切実に食べ物が欲しい。ウサギを捕まえるための罠には、もう三日間何もかかっていなかった。
ウサギだって馬鹿じゃないのだろう。
それに正直なところ、そろそろ何か別の物を食べたいし、王宮から逃亡する際に持ち出してきた宝石を質に入れて手に入れたお金は三ヶ月前に底をついた。お風呂だって入りたいし、ベッドでだって寝たい。
ちなみに、退魔剣とは、その名の通り、魔法を退ける剣である。
剣自体は普通の物だが、それに魔法を解除する魔法を組み込み、魔法攻撃を無力化する能力を付加したものであり、一般的に普通の剣の数倍重く、扱いにくい。
けれど昔から、様々な刺客から自分の身を守るため、王宮で厳し過ぎるほどの退魔剣の訓練を受けていた私にとってこの剣は相棒のようなもの。
重さなんてないに等しいのだ。
「退魔剣をそんな風に楽々と振り回す人なんて、初めて見ました。確かに、こちらは部が悪そうです」
「だったら……」
「ですが、まだ勝負は付いていませんよ。Thyotyin warinn!(吹き荒れろ!)
青年が呪文を唱えると、私の周りを暴風が取り巻いた。砂が巻き上げられ、視界を奪われる。
即座に魔法を無力化しようと剣を振り上げた途端、光の球が私の体のすぐそばを目にも止まらぬ速さで駆け抜ける。
青年が1番最初に私に向かって放ち、地面に穴を開けた魔法と同じもののようだ。
「っのヤロ!」
元王女にあるまじき暴言(一応自覚はある)を吐きながら、次々に放たれる光の球を無力化していく。
青年のおっとりした、どこか好青年然とした雰囲気からは想像できないほど魔法の展開速度は速く、その攻撃は研ぎ澄まされており、鋭い。
優しそうな顔してやるじゃない。
必死になって光の球を追っていると、ふいに視界が開ける。
風がやんだのだ。そして、先程まで確かに正面から攻撃魔法を私に向け放っていたはずの青年の姿はない。
咄嗟に首を巡らそうとすると、いきなり背後から体を抱き抱えられる。
しまった。いつの間にか後ろを取られていたらしい。
耳元で甲高い金属音が聞こえ、目線だけをそちらへ動かすと、首へ突き付けられた短剣が視界の端に映る。
「素晴らしい剣の腕をお持ちのようですが、どうやら貴女は一つの事に意識を奪われると、周りが見えなくなるきらいがあるようですね」
ぴったりと私の首に添わせた短剣はそのままに、冷静な声で自分の性格を分析されて腹が立つ。
すでに戦意喪失状態の私は、持っていた剣を地面に落とし、抵抗する意思のないことを伝えるために両手を挙げた。
渇いた音を立て、剣が転がる。
「うるさい。あんたが勝ったんだから、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。ただし、自慢じゃないけど、金目の物は何も持ってないわよ」
「それはわかってますよ。今夜の晩御飯のあてすらないようですし。……ところで、僕はカイン・シェイネスといいます。あなたの名前はなんておっしゃるんですか?」
初めての盗賊行為で敢え無く失敗。すべてがどうでもいい気持ちでいっぱいだった私はカインの唐突な質問に目を丸くした。