貴族学園の職員室~給料を守りたい女教師は、今日も婚約破棄のフラグ潰しに奔走する~
「職員会議を始めます」
金曜日の放課後、職員室で教頭と三十人あまりの教師たちが一斉に頭を下げる。皆真剣な表情だ。
「まずジャンヌ先生、要注意新入生の家庭訪問はいかがでしたか」
「はい。今週は来年度新入生である、ピンク髪の男爵令嬢シャルロットの家庭訪問をしてきました。男爵家は堅実な家風です。シャルロットも知的で落ち着いた雰囲気であり、髪もパステルピンクというよりは赤紫に近い濃いピンクなので、警戒度は下げていいかと思います」
「ひとまずは朗報ですな。では次、来月配布する啓発チラシについてご意見をください」
教師たちが教頭の掲げたチラシに目をやる。
《両親や相手の同意を得ず、独断で婚約破棄を宣言してはいけません》
《身勝手な婚約破棄は地獄の入り口です。まずは教師か保護者に相談を》
普通科で一年生を担当しているルイ先生が手を挙げる。
「来月は期末パーティーがありますので、パーティーでの婚約破棄について警告する内容にしてはいかがでしょうか。《学園内パーティーでの婚約破棄は、公式行事を台無しにする迷惑行為です》というような」
「それはいいアイデアですな」
私ことジャンヌ・モンゴメリの勤務先である貴族学園では、婚約破棄の防止に力を入れている。
ひとたび婚約破棄が起こると、保護者たちが「学園の怠慢だ!」「十分な指導をしなかった担任教師をクビにしろ!」と乗り込んできてモンペ対応のストレスがすごいうえ、減給やボーナス削減まで課されてしまうからだ。
貴族学園の教師には、小さな爵位や領地すらもらえない多産家系の末っ子や、貧乏で持参金を用意できず結婚できないため自分で稼ぐしかない娘が多い。
だからみんな、減給だけは避けたくて必死。
「次。来年度の入学式で上演する『職員劇 婚約破棄が招く破滅』の配役を決めます。今年はシャルル先生が台本をブラッシュアップしてくださいました」
教師たちは配布された台本をぱらぱらとめくる。
「さすが《詩人シャルル》、素晴らしいです。婚約破棄後の悲惨さと臨場感が増していますね」
優秀な婚約者との婚約を破棄し、見た目だけで何の能力もない令嬢と新生活を始めた令息が、地位も富も失って転落していくさまが、ドラマチックな表現で描かれている。
「では配役と役割分担はこれで。ところでアレクシスの件はどうなっていますか。担当はアンヌ先生でしたね」
「ルネと仲直りさせました」
「それはよかった」
普通科二年生のアレクシスはツンデレ男子。大好きな婚約者ルネに対して素直になれず、強がってしまう癖があった。
そしてある日、心にもないことを言ってしまったのだ。
《俺はお前のことを、親の決めた婚約者としか思ってない。俺はいつでも婚約破棄しても構わないんだからな》
《…っ!》
ショックを受けたルネはアレクシスを避けるようになり、一方のアレクシスは激しく後悔しながらも素直に謝ることはできず、悶々と過ごしていた。
そこを目安箱の匿名情報から事態を把握したアンヌ先生につかまり、「謝罪して本心を伝えないと、永遠にルネを失う」と諭され、なんとかルネに謝ったのだった。
「さすが《目安箱のアンヌ》」
「それでもルネは最初、『愛している』というアレクシスの言葉を信じませんでしたけれど」
「どうやって信じさせたのですか?」
「アレクシスの部屋を見せました」
アレクシスは寮の部屋の壁一面にルネの肖像画を飾り、彼女が手ずから刺繍したハンカチも額に入れて飾っていた。そして机の引き出しには、彼女に渡せないまま溜まりに溜まった恋文。
「あれを見たら、さすがにルネも信じるしかなかったみたいです。アレクシスはルネにベタ惚れであることが本人に晒されて、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしそうでしたが、彼女を失うよりはいいでしょう」
「懸案事項が片付き、今月の給料は守られた」と会議室全体がほっとした空気に包まれたところで、教頭が「しかし気を緩めてはいけません」と両手を顔の前で組んだ。
「来月…期末パーティーの前には、期末テストの成績発表があります」
教師たちは「そうだった」と改めて思い出し、ごくりと唾を飲む。
「優秀な婚約者に劣等感を抱く令息たちが太鼓持ち令嬢に流れやすい時期なので、警戒が必要でしょう。現状最もリスクの高いカップルは、魔法科三年生のフランソワとブランシュです」
教師たちは資料に目を落とす。
私ことジャンヌも魔法科の教師として日々二人を見ているから、二人の実力差はよくわかる。
フランソワは心優しく温厚で課題への取り組みも真面目だが、どうにもこうにも不器用で、成績は常に下から数えた方が早い。一方のブランシュは天才肌で、魔法省から幹部候補生としてのオファーが来るくらいに優秀だ。
騎士科のランベール先生が手を挙げた。彼は今年入ったばかりの新卒だ。
「ブランシュは優秀なのに出しゃばることはせず、フランソワを立てているのでは?驕らず夫に寄り添う姿は、未来の伯爵夫人として理想的だと思います。そんな彼女との婚約破棄を考えるでしょうか」
「ちっちっちっ」と教頭が人差し指を振った。
「正論ですが、正論が通用するとは限りません。これまでの経験上、男子生徒より女子生徒のほうが優秀な場合、間に格下令嬢が挟まることによって婚約破棄が起こりやすくなっています」
ベテランの教師たちは、うんうんと頷く。
「とくに魔法科の先生方は、警戒を怠らないようにお願いいたします」
「はいっ!」
◆
翌月。
期末テストの結果が発表される日、魔法科校舎の廊下。
私が杖を振って廊下に順位表を貼り出すと、生徒たちが「わあっ」と自分の成績に喜んだり落胆したり、お互いを褒めたり貶したりし始める。
話題の中心は、ブランシュだ。
「実技も筆記も、やはりブランシュ様が一位でしたわね」
「ブランシュ様は一年生の時から一位を譲ったことがないのですもの。本当におめでとうございます」
「ありがとうございます、皆様」
ブランシュを褒め称えた友人たちは、ちらりとフランソワを見た。
「それに比べてフランソワ様は、下から数えた方が早いわ」
「ブランシュ様の夫になるのに、大丈夫かしら」
ブランシュ本人は何も言っていないのに周囲がフランソワの劣等感を煽り、視線と陰口に気づいたフランソワは、掲示板の前からすうっと離れる。
「これ!あなたたちは他人の成績をとやかく言うのではなく、自分の結果を自分の今後に活かしなさい」
「…はい、ジャンヌ先生。申し訳ありませんでした」
遠ざかっていくフランソワの背中は、小さく丸まっている。
ブランシュは友人から離れて彼を追いかけようとしたところで、第二王子アンリ殿下に話しかけられてしまった。王子に話しかけられたら、止まるしかない。
「ブランシュ嬢、今回も一位おめでとう。私はどうしても君に勝てない運命のようだ」
「まあ殿下、この結果は偶然ですわ」
「謙遜はよしてくれ。ところで私は筆記試験の三問目でつまずいたんだが、君はどういう解答を…」
ブランシュがフランソワの背中にちらちらと目をやる間にも王子の質問は続き、フランソワはどんどん遠ざかる。
だから私はブランシュの代わりに、フランソワのフォローに回ることにした。
このまま放置して、彼が弱っているところを太鼓持ち令嬢に絡めとられたら、私の給料が減るのだし。
「フランソワ、待っ…」
ようやく追いついて声をかけようとした私の前で、フランソワに甘ったるい笑顔を向ける女子生徒が。
「フランソワ先輩♡今よろしいですかぁ?きゅるる♡」
「君は…ゾエだったかな。全学年合同演習で一緒の班だったね」
「覚えていてくださったんですね!ゾエ感激しちゃう♡きゅるん♡」
ゾエはフランソワの手をぎゅうっと握った。
「実はゾエ、あのときからフランソワ先輩のことを頼りがいのある素敵な先輩だなって思ってて♡一緒にお茶できたら一生の思い出になるかも♡なぁんて思って、クッキー焼いてきたんですぅ♡」
ゾエからフランソワに向かって飛ぶハートの多さにぞっとした私は、反射的に魔法で腕を長く伸ばし、手を巨大化させて、ゾエの首根っこを掴んで引き寄せた。
「魔法科一年生のゾエ・ベルナールですわね?」
「え、なに…はい、そうですけど…」
「いらっしゃい」
私はあっけにとられているフランソワに「ブランシュがあなたを探していたわよ!」と叫び、ゾエを生徒指導室に放り込んだ。
大きくしたままの手で彼女の肩を抱き、目から光を消して、耳元でできるだけ低い声で聞く。
「ゾエ・ベルナール、一体どういうおつもり?」
「ど…どういうつもりって…私はただフランソワ先輩と仲良くしたくて…」
「仲良くなって、それからどうするつもりでしたの?婚約者に劣等感をもってる先輩に付け込んで、あわよくば伯爵夫人にしてもらおうとでも考えていたのかしら?」
「そ、そんなつもりはなくて…」
「本当に…?」
私は空いているほうの手でポケットから生徒名簿を取り出して、ゾエのページにたどり着く。
「あなたの家は経済状態がよくないそうですわね?持参金がなければ一生結婚できないか、老いた金持ちの後妻になるしかない。そんな未来から逃れたくてフランソワに目をつけたのではなくて?」
ゾエは私をぎっと睨んだ。
「それの何が悪いの!?私は自分の力で未来を切り開きたいだけよ!ジャンヌ先生たちみたいに結婚しないまま働き続けるのも、お姉様みたいによぼよぼの老商人に嫁ぐのも、まっぴらごめんなんだから!!」
それで私が「まあ、なんてかわいそうな身の上なのかしら。まるで過去の私を見ているみたい。なんとかしてあげたいわ」なんて揺らいで、見逃すとでも思ったか。
――甘い。
貧乏子爵家の娘として生まれたことを受け入れ、すでに一生独身で働き続けることを決意している私が、そんな言葉で揺らぐはずもない。
「だからって、婚約者のいる異性に甘い声で近づいてスキンシップなんて、許されません。身勝手な行動で、私たち教師の大切な給料を奪うのもね」
私の給料を削ろうとする者は、もはや守るべき生徒ではなく排除すべき敵。
「どうする?今ここでそのきゅるきゅるの可愛いお目々を抉り出されたい?それともフランソワ以外の、まだ婚約者のいない適当な男子生徒に鞍替えする?」
「そ、そんなのただの脅しですわ!先生がそんなことできるわけありませんもの…!!」
「どうかしら。あなた、聞いたことない?生徒指導室に呼び出されたきり、帰ってこなかった生徒がいるという話」
シャルル先生が作って流した噂に過ぎないのだけれど、どうやら噂を聞いたことがあるらしいゾエは、「ひぃ」と顔を青くした。
私はくすっと笑い、生徒名簿の中から、まだ婚約者のいない男性生徒を何人か挙げて、ゾエに教える。
「…もっと裕福な人はいませんか」
「高望みしすぎよ。彼くらいにしておきなさい」
「…わかりました」
「見逃すのは一度だけ」と念を押してゾエを解放して、私はフランソワとブランシュを探す。第二のゾエが出てくる前に、二人とも話し合っておかなくてはなるまい。
「あ、いた」
中庭のベンチに座っている二人。
そのベンチの後ろにある茂みに、二人の担任であるレオ先生が潜んでいる。私はレオ先生の隣にかがんだ。
「なんで放置してるんですか」
「できるだけ二人で解決させてあげたいんです」
「さすが《自主性のレオ先生》ですね」
私はため息をこらえて、二人の会話を見守る。
「僕はどれだけ努力してもいつだって下から数えたほうが早くて、優秀な君の夫としては頼りなさすぎるよ。僕は君にふさわしくない」
「私はそんな風には思っておりません」
「気を遣わなくていいんだ。ブランシュは第二王子殿下にも気に入られている。殿下にはまだ婚約者がいないし、君は僕と別れて殿下と結婚したほうがいいんじゃないか」
婚約破棄に加えて第二王子の自由恋愛なんて、ボーナスなし確定。
思わず彼らのほうへ腕を伸ばそうとしたとき、「ジャンヌ先生」と肩を掴まれた。
「《剛腕ジャンヌ》の活躍ぶりはもちろん素晴らしいですが、介入するばかりではなくて待つことも大切ですよ」
「でもこの状況はまずいです。私たちの大切なお給料が…」
「少しでいいんです、彼らに時間をください。信じてあげてください」
私は「減給になったら、私の分はレオ先生が補填してくださいましね」とぶつくさ言いながら、また茂みの陰に隠れる。
「…あなたの価値も、私の幸せも、決めつけないでください」
「決めつけてるんじゃない。事実なんだよ、ブランシュ」
「違います。フランソワ様には私にはない才能があって、だからこそ私はあなた様を本当に尊敬しておりますわ。だからフランソワ様とだったら幸せになれる自信があります」
「嘘だ」
「嘘ではありません」
「だって、僕のどこに尊敬される要素が?」
ブランシュは静かに話し始める。
フランソワは、苦手な魔法でも決して諦めずに取り組み続けて、最後にはできるようになること。
「だって僕にできるのは、諦めないことくらいしかないから…」
「誰にでもできることではありません。多くの人は途中で『自分には無理なんだ』と諦めてしまいますもの。苦手なことでも諦めずに向き合い続けるのは、フランソワ様の素晴らしい才能ですわ」
「…そう、なのかな?」
「ええ。フランソワ様は誰よりも強いお方ですわ。だから私はあなたを心から尊敬していますし、一緒に生きていきたいのです」
ブランシュはこれ以上ないほどいいことを言ったのに、フランソワの返事がなかなか聞こえてこない。
レオ先生と二人、気になって気になって、思わずじりじり身を乗り出して…
「レオ先生、押さないでくださいまし」
「いや、ジャンヌ先生が前に前に行くから…わっ!?」
二人して茂みから転がり出てしまった。
「ジャンヌ先生…とレオ先生!?」
「…ほほほ、ごきげんよう」
「もしかして、私たちの会話を聞いていらっしゃったのですか」
言い訳すればするほど怪しくなる。となれば、正直に話すしかない。
「ええ。盗み聞きをして申し訳なく思っているわ。でもどうしてもあなたたちのことが心配だったの」
つまりは、あなたたちが婚約破棄をして、私のお給料が減らされてしまうことが心配なのだけれど。
フランソワはベンチから立ち上がった。
「ブランシュに劣等感を抱いていた私のせいですよね。ご心配をおかけいたしましたが、もう大丈夫です」
そして、私とレオ先生に頭を下げる。
「ブランシュが私に自信を与えてくれましたから。そして私も、ブランシュが私にとって誰よりも大切な存在だと、はっきりとわかりましたから」
ブランシュが「フランソワ様…!」と口を押さえて立ち上がった。彼女の目に感激の涙が浮かぶ。
「安心したわ」
私とレオ先生は、泣きながら手を取り合う二人に安堵のため息を漏らし、職員室に戻ったのだった。
◆
――今月の給料も、無事に守られそうだ。
ささやかな外食を楽しんで、新しい通勤用のドレスを買っても、少しばかり貯金に回せるくらいの余裕はあるだろう。
「今日は退勤後にブティックへ行って、カフェでチルしようかな」なんて思いながら椅子に腰かけようとした瞬間、目安箱をチェックしていたアンヌ先生が声をあげた。
「大変です!普通科三年生のベルトランが、期末パーティーで婚約破棄を企んでいるという匿名情報が…!」
「なんですって!?」
ああ、また給料を守るために走り回らなくてはならない。




