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失業した軍師、産廃ジョブで世界の余白を攻略する 〜古代変形機装は、使い手の頭がおかしいほど強くなる〜  作者: 三元豚


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才能


「もう一回。攻撃が来る直前に、左へ半歩。大きく跳ぶな。重心だけ逃がせ」


 俺が指を鳴らすと同時に、練習用に選んだ低レベルの魔物が地面を蹴った。


 角兎。


 名前の通り、額に小さな角を生やした兎型の魔物だ。見た目は愛嬌があるが、初心者が油断して腹に角をもらうと、普通に痛い。攻撃は単調。突進だけ。だからこそ、回避練習には向いている。


 ルナは片手剣を握ったまま、俺の指示どおり左へ踏み込んだ。


 一拍、遅い。


 角兎の突進は、すでに彼女の胴に届く軌道へ入っている。


 当たった。


 少なくとも、俺の目にはそう見えた。


 だが、次の瞬間、ルナの身体はふわりと流れていた。左へ踏み込んだ足を軸に、上体だけが遅れて逃げる。角が服の端をかすめ、攻撃判定は空を切った。


 Resistでも、ガードでもない。


 完全回避。


 角兎は自分でも外したことが不思議だったのか、突進後の硬直の中で小さく首を傾げるような仕草をした。


 ルナも、同じような顔をしていた。


「……避けました」


「遅れてたのに避けてる」


「遅れてました?」


「遅れてた。今のは普通なら腹に刺さってる」


「でも、当たりそうな感じはしませんでした」


「そこが問題なんだよな」


 俺は腕を組み、ルナを見る。


 本人には悪気がない。自慢しているわけでもない。むしろ本当に、自分がなぜ避けられたのか分かっていない顔をしている。


 それが、厄介だった。


「もう一回やってみろ。今度は俺の合図を無視していい」


「無視、ですか?」


「ああ。俺の指示に合わせるな。タイミングを、自分で決めろ」


「でも、それだと教わってる意味が」


「いいからやれ」


 ルナは少し首を傾げたが、すぐに頷いた。


 素直なのは美点だ。素直すぎて危険なときもあるが。


 角兎が再び地面を蹴る。


 今度は俺の指示なし。


 ルナは構えたまま、ぎりぎりまで動かなかった。


 遅い。


 いや、遅く見える。


 角が届く寸前、彼女は半歩だけ右へ抜けた。足運びは教えた型と違う。上体の傾け方も少し危ない。普通なら、次の動作へ繋がらない雑な避け方だ。


 それなのに、余裕があった。


 角兎の突進は、まるで最初からそこにルナがいないと分かっていたかのように外れた。ルナは勢いを殺さず、角兎の横へ回り込む。片手剣を振る。刃が胴を浅く叩き、低いダメージ表示が浮かんだ。


 スキルは使っていない。


 攻撃効率も悪い。


 だが、回避だけは異様に滑らかだった。


 俺は長く息を吐いた。


「もう一回」


「はい!」


「今度は攻撃しなくていい。避けるだけだ」


「はい!」


 返事は相変わらずいい。


 そして、避けるのは返事以上にいい。


ーーーーーー


 それから数日、ルナに基礎を叩き込んで分かったことがある。


 彼女は、俺の言うことをちゃんと聞く。


 練習も真面目にやる。分からないところは質問するし、教えたことを忘れたら素直に謝る。地図の見方も少しずつ覚えた。帰還アイテムの場所も、三回に一回は迷わず開けるようになった。


 いや、そこは十割になってほしいのだが。


 戦闘に関しても、覚える気はある。


 敵の正面に立つな。


 攻撃後の硬直を見ろ。


 スキルは光ったから押すものではない。


 HPが減ってから慌てるな。


 知らない敵に突っ込むな。


 言えば、ルナは覚えようとする。


 だが、指示どおりに動くと、なぜか少し噛み合わない。


 型がずれる。


 タイミングが微妙にぶれる。


 俺が「ここで避けろ」と言うと、彼女はその言葉に合わせようとして、逆に動きが鈍る。俺が「この角度で入れ」と指示すると、その角度へ身体を押し込もうとして、本来持っている柔らかさが消える。


 ところが、指示から離れた瞬間、別の生き物になる。


 動きが軽い。


 迷いがない。


 どこへ避けるか。


 いつ踏み込むか。


 相手の次の動きが、まるで最初から身体の中に入っているような動き方をする。


 頭で考えている様子がない。


 目で追って、判断して、命令して、身体を動かす。その手順を踏んでいない。


 身体が、勝手に解を出している。


 問題は、本人にその自覚がほとんどないことだった。


「ルナ」


「はい」


「さっき、どこで避けるか決めた?」


 角兎との練習を終えたあと、俺は尋ねた。


 ルナは汗ひとつかいていない顔で、きょとんとする。VRのアバターは疲労表現をある程度補正するが、集中の濃さは表情に出る。彼女はまだ余裕がある。


「決めてないです」


「じゃあ、なんで右に動いた」


「なんか、そっちじゃないと当たりそうだったので」


「そっちじゃないと当たりそうだった」


 俺は繰り返す。


「お前、それで何回も完璧に避けてるんだが」


「でも、型は全然違いますよね。駄目じゃないですか?」


 ルナは真剣に心配していた。


 駄目ではない。


 むしろ、俺が教えている型のほうが彼女の邪魔をしている可能性すらある。


 ただ、その説明が難しい。


 型は必要だ。


 基本は大事だ。


 身体の使い方を知らない者が感覚だけで動けば、いずれ必ず破綻する。だから本来は、基礎を積ませる。回避方向、踏み込み、硬直管理、攻撃後の離脱。安全な形を覚えさせ、その上で応用へ進ませる。


 だが、ルナの場合は順番が逆に見える。


 安全な形を覚える前に、危険な線を身体が勝手に避けている。


 基礎の前に、結果だけがある。


 これは才能と言えば聞こえがいい。


 だが、扱いを間違えると危うい。本人が理由を分からないまま避け続けているなら、避けられない相手に出会った瞬間、何が起きたか理解できずに崩れる。


 俺は、地面に枝で短い線を引いた。


「いいか。感覚で避けられるのは、お前の強みだ。でも、それを全部信用するな」


「信用しちゃ駄目なんですか?」


「信用はしていい。丸投げするな」


「難しいです」


「だろうな」


 ルナは少し考え込むように、地面の線を見つめた。


 その表情は真面目だ。


 分からないなりに、理解しようとしている。


「つまり、身体が先に動くのはいいけど、あとでどうしてそうなったか考える、みたいな感じですか?」


「そうだ。避けられた理由を言葉にできれば、避けられなかったときに修正できる」


「なるほど」


「本当に分かったか?」


「たぶん」


「たぶんか」


「でも、前よりちょっと分かりました」


「なら合格だ」


 ルナは嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見て、俺は内心で少しだけ困る。


 教えれば教えるほど、俺のやり方とルナのやり方の差が浮き彫りになる。


 俺は盤面を分解する。


 敵の攻撃範囲、発生、硬直、ヘイト、地形、自分の手札。全部を線にして、最も死なない形を組み上げる。


 ルナは違う。


 線を引く前に、そこが危ないと分かる。


 地図を読む前に、足が安全な場所を踏む。


 俺にとっての最適解は、彼女にとっては身体が勝手に選んだ場所に近い。


 それは、俺にはないものだった。


ーーーーーー


 探求期まで、あと三日。


 夕暮れの辺境で、状況は少し変わった。


 その日は、ルナの基礎練習と俺の《古代変形機装》の形態制御を兼ねて、いつもより谷の奥へ入っていた。もちろん、無茶をするつもりはなかった。地図上で確認できる敵のレベル帯は、ぎりぎり許容範囲。危険ならすぐ引く。そのつもりだった。


 だが、地図に表示される敵性反応が、すべてを教えてくれるわけではない。


 岩棚の影から、翡翠色の大型蜥蜴が現れた。


 エメラルド・リッパー。


 片側の前肢が刃のように鋭く発達した、素早い近接型の魔物だ。体高は低いが、全長は人間より長い。地面を這うように動き、間合いを一瞬で詰める。攻撃は軽いが速く、連撃をもらうと一気に削られる。


 レベルは、俺たちよりひとつ上。


 レベル差の絶対法則に引っかかるほどではない。攻撃は通る。だが、今のルナが単独で相手をするには明らかに早い。


「ルナ、離れてろ。俺が前に――」


 言い終えるより先に、ルナが踏み込んでいた。


「あっ、いたんですね! やります!」


「待て、話を聞け!」


 止める間がなかった。


 エメラルド・リッパーが地面を蹴る。低い姿勢から、刃の前肢が伸びた。狙いはルナの胴。発生が速い。初心者なら、気づいた時点で遅い攻撃だ。


 ルナは沈んだ。


 膝を抜くように、身体を下へ落とす。


 刃が髪の上を通過する。


 プラチナブロンドの髪が、風でふわりと揺れた。


 ルナはそのまま一歩踏み込み、蜥蜴の懐へ入る。


 支給品から買い替えたばかりの片手剣が、翡翠色の外皮を叩いた。ダメージは小さい。狙いも甘い。だが、当てている。


 蜥蜴が横薙ぎにする。


 ルナが浮く。


 跳んだ、というより、地面に触れていた重さが一瞬消えたような動きだった。刃が足元を抜け、彼女は半歩先へ着地する。


 蜥蜴が噛みつく。


 ルナが半歩後ろへ抜ける。


 大きく逃げない。


 距離を取りすぎない。


 相手の攻撃判定が切れるぎりぎりの外に、身体を置いている。


「……嘘だろ」


 思わず声が漏れた。


 理に適っているわけではない。


 少なくとも、俺が教えた型ではない。


 ゲームの攻略法としても、決して洗練されていない。スキルを使うべき場面で通常攻撃を振り、離脱すべき場面で妙に深く踏み込む。ダメージ効率だけ見れば、かなり悪い。


 なのに、当たらない。


 完全に、当たらない。


 エメラルド・リッパーの刃が何度も空を切る。


 噛みつきが外れる。


 尻尾の払いがすれすれで抜ける。


 ルナはそのたび、本人にも理由が分かっていない顔で、しかし確かに安全な場所へ身体を置いていた。


 俺は《盾装》へ変形しかけた手を止めた。


 助けに入るべきだ。


 普通なら。


 だが、今ここで割り込めば、この動きの正体を見失う気がした。


 だから俺は、いつでも射撃でヘイトを取れる位置に立ちながら、ルナを見た。


 彼女は戦っている。


 強くはない。


 上手くもない。


 スキルの発動タイミングはめちゃくちゃだ。剣筋も粗い。攻撃後の硬直も危うい。


 それでも、被弾がゼロ。


 格上の近接型を相手に、初見で、被弾がゼロ。


 それは、明らかに異常だった。


 エメラルド・リッパーが大きく身を引く。


 前肢を低く構え、全身に翡翠色の光をまとった。


 突進系の大技。


 ルナはそれを知らない。


 知らないはずなのに、身体が半身になった。


 真正面から受ける位置を外す。


 蜥蜴が突っ込む。


 ルナはすれ違いざま、剣を横へ置いた。


 振ったのではない。


 置いた。


 そこへ、蜥蜴の首筋が勝手に通った。


 ダメージ表示。


 これまでより少し大きい数字。


 エメラルド・リッパーのHPが、最後の一割を切る。


「あ、今のちょっと上手くいきました!」


「今のを自覚なくやるな」


「え?」


「続けろ!」


「はい!」


 最後は、泥くさい通常攻撃の連打だった。


 剣を振る。


 避ける。


 また振る。


 スキルのタイミングは相変わらず遅い。だが、相手の攻撃は通らない。削れる速度は遅くても、当たらなければ死なない。


 やがて、エメラルド・リッパーが光の粒になって崩れた。


 俺は、しばらく加勢することを忘れていた。


ーーーーーー


「やりました!」


 ルナが振り返った。


 頬を少し上気させて、片手剣を胸の前で握っている。


「でも、スキルを出すの、まだ遅いですね。最後のやつ、もっと早く押せた気がします。あと、最初の攻撃も硬いところに当たっちゃって」


「スキルより先に聞くことがある」


 俺は、ルナをまじまじと見た。


「今の戦い、被弾ゼロだったの、分かってるか?」


「え」


 ルナは瞬きをした。


「そうでしたっけ?」


「格上の相手に。初見で。俺の教えた型は、ほとんど守れてなかった。それでゼロだ」


「型、やっぱり違いましたよね。すみません」


「怒ってるんじゃない」


「じゃあ、褒めてます?」


「驚いてる」


「驚かれてます」


 ルナは少し困ったように笑った。


 その様子を見て、俺は黙り込む。


 頭で盤面を読む。


 敵の行動パターンを把握し、発生と硬直を測り、地形と自分の手札を重ねて、最も損失の少ない手順を組み立てる。


 それが俺のやり方だ。


 何年もかけて磨いた、計算としての強さ。


 ルナのやり方は違う。


 手順がない。


 組み立てがない。


 相手の次の動きを読んで、そこに合わせて身体を置く。正解が、計算の前に身体の中にある。理屈を一段まるごとすっ飛ばしている。


 もちろん、完全ではない。


 攻撃は粗い。知識も足りない。スタミナ管理も、スキル回しも、ヘイトも、装備補正も分かっていない。今のまま強敵に突っ込めば、いつか普通に死ぬ。


 だが、避ける。


 そこだけが、異様に突出している。


「ルナ」


「はい」


「現実で、何かやってたな。武術とか、格闘技とか」


 ルナは少し驚いた顔をした。


「あ、分かります? 古流の道場に、小さい頃からずっと行ってます。今も一応続けてるんですけど」


「一応、でこれか」


「でも、試合とかはあまり出てないです。祖父の道場、試合より稽古が多くて。相手の起こりを見ろとか、間を外せとか、そういうのばっかりで」


「それだな」


「それ?」


「このゲームは完全没入型だ。ステータス補正やスキルモーションはあるが、身体感覚はかなり反映される。現実で積んだ動きの癖、重心の使い方、間合いの読み方、相手の起こりを見る感覚。そういうものは、アバターにも乗る」


 だから、ルナは避ける。


 ゲームを知らなくても。


 スキルを知らなくても。


 相手が魔物でも。


 動く前の気配を、身体が拾ってしまう。


 それは、俺が持っていないものだった。


 俺の強さは、計算と経験の積み上げだ。


 長い時間をかけて、ログを読み、盤面を見て、手順を作り、失敗を潰してきた。戦場を上から見る目はある。味方と敵を数字として扱うこともできる。だからこそ、《古代変形機装》のような狂ったジョブも、なんとか回せる。


 だが、ルナのそれは違う。


 もっと原始的で、もっと鋭い。


 考える前に、身体が危険を外す。


 その才能は、たぶん特定のジョブと噛み合えば化ける。


「お前に向いてるジョブが、だいたい見えた」


 俺が言うと、ルナの表情が明るくなった。


「本当ですか?」


「ああ。ただし、簡単じゃない」


「難しいんですね」


「たぶん、普通のプレイヤーなら投げる」


「アイズドが言うと、すごく難しそうです」


「俺のジョブほどじゃない」


「それは、ちょっと安心しました」


「安心するな。方向性が違うだけで、かなり面倒だ」


 ルナは、それでも楽しそうだった。


 まだ何も知らないくせに、難しいと言われると少し嬉しそうにする。


 この辺りは、俺と同類なのかもしれない。


 認めたくはないが。


ーーーーーー


 その夜、俺たちは辺境の安全圏で小さな焚き火を囲んでいた。


 もちろん、本物の火ではない。フィールド用の簡易キャンプアイテムだ。一定時間、低レベルの魔物避けと簡易休憩効果を発生させる。性能は最低限だが、見た目だけはよくできていた。薪が弾ける音、橙色の光、頬に当たる熱の錯覚。こういう無駄な再現に、EHOの開発は妙に力を入れている。


 ルナは焚き火の向こうで、片手剣を膝に置いて座っていた。


 探求期まで、あと二日。


 空には、現実より少し大きな月が浮かんでいる。


「《絶剣》というジョブがある」


 俺は言った。


 ルナが顔を上げる。


「ぜっけん」


「上級職の一つだ。正式には《絶剣士》系の発展職だが、プレイヤー間ではだいたい絶剣と呼ばれる。近接アタッカー。武器は片手剣。攻撃を当てるたびに《練気ゲージ》が溜まり、刀身の力が段階的に上がっていく」


「攻撃すると強くなるんですか?」


「そうだ。最初は白刃。次に緋色。さらに白銀。ゲージが上がるほど火力と速度補正が伸びる。一定以上まで溜めると、専用の大技も使える」


「強そうです」


「強い。理論上はな」


「理論上」


 ルナは少し身構えた。


 俺がその言い方をすると、たいてい面倒な条件がついてくると学習し始めているらしい。成長が早い。


「一発でも被弾すると、ゲージが全部消える」


「全部?」


「全部だ」


「ちょっとでも?」


「ちょっとでも」


「痛いですね」


「痛いというより、終わる。絶剣は攻撃を当て続けて強くなる職だ。だから被弾してゲージが消えると、積み上げた火力がゼロに戻る。強敵相手にそれをやると、立て直す前に押し切られる」


 ルナは焚き火を見つめながら、真剣な顔で聞いていた。


「普通のプレイヤーには難しいんですか」


「かなり難しい。理屈を知っていても、身体がついていかない。被弾ゼロで立ち回り続けるには、敵の動きを読んで、攻撃を当てながら、ぎりぎりで避け続ける必要がある。安全に逃げているだけじゃゲージは溜まらない。攻めながら、当たらない。そこが難しい」


「攻めながら、当たらない」


「今日のお前は、それに近いことをしていた」


 ルナが目を丸くする。


「私が?」


「ゲージもシステムも知らないのに、身体だけ先にそのジョブが要求する場所へ行っていた。攻撃は下手だった。スキルも遅い。だが、格上近接型を相手に被弾ゼロで立ち回った。しかも、攻撃を入れながらだ」


「でも、ダメージは全然出てなかったです」


「今はな。ジョブと装備とスキルが噛み合えば、そこは伸びる。問題は、当たらずに居続けられるかどうかだ」


 ルナは自分の手を見下ろした。


 ゲーム内の手。


 現実の手ではない。


 けれど、その手には現実で積み上げた感覚が乗っている。


「難しいことは、全部は分からないです」


 やがて、ルナは言った。


「でも、当たらないのは、得意かもしれないです」


「ずいぶん大きく出たな」


「大きく出たつもりはないんですけど……なんか、当たる気がしないときがあるんです。相手が動く前に、ここじゃないなって分かる感じがして。ずっと、道場でもそうでした。おじいちゃんには、調子に乗るなって怒られましたけど」


「正しい祖父だな」


「アイズドも怒ります?」


「調子に乗ったら怒る」


「じゃあ、乗らないようにします」


「今、少し乗ってたぞ」


「えっ」


 ルナが本気で驚いた顔をした。


 俺は軽く笑う。


 この数日間、ルナはただの厄介な初心者だと思っていた。


 録画の危険性も知らず、地図の端まで迷い込み、帰還アイテムの場所も怪しい。数千万の爆弾を無邪気に握っていた、世間知らずの初心者。


 それは間違いではない。


 今でも十分に面倒だ。


 ただ、面倒の中身が、思っていたものとだいぶ違った。


「ルナ」


「はい」


「お前はたぶん、俺じゃ教えられないところまで行く」


 ルナはぱちぱちと目を瞬かせた。


「え?」


「俺は盤面を読む。計算する。正解を組み立てる。敵の行動、味方の手札、地形、待機時間、全部を見て、勝てる形を作る。それが俺のやり方だ」


「はい」


「お前は違う。組み立てる前に、身体が正解へ触れている。危ない場所から外れ、入るべき間へ入る。それは俺が教えて渡せるものじゃない。俺の訓練で身につけたものでもない」


「……褒めてますか?」


「事実を言ってる」


「難しい褒め方ですね」


「褒められたときくらい、素直に受け取れ」


「じゃあ、ありがとうございます」


 ルナは少し照れたように笑った。


 焚き火の光が、彼女の白銀の髪を橙色に染めている。


 俺はその表情から視線を外し、夜空を見上げた。


 探求期まで、あと二日。


 俺たちはまだ何もできていない。


 レベルは低い。装備も足りない。《古代変形機装》はようやく初期形態に慣れてきた程度で、三十枠の大半は眠ったままだ。ルナも《絶剣》になったわけではない。むしろ、そこへ至る条件すらまだ調べ始めた段階だ。


 最前線には、遠い。


 上限解放など、さらに遠い。


 この世界の深層には、まだ指先も届いていない。


 それでも、この二人で探求期を越えてみたいと思った。


 白紙に戻る世界。


 誰も正解を持たない盤面。


 その上で、俺の計算と、ルナの身体がどこまで噛み合うのか見てみたい。


 そんなことを、自然に考えていた。


 誰かを勝たせるためではない。


 スポンサーに見せるためでもない。


 配信の数字を取るためでもない。


 ただ、俺が見たいから。


 それは、ずいぶん久しぶりの感情だった。



「一定レベルに到達出来れば絶剣にジョブチェンジできるから、早めにレベル上げしないとな」



 俺が言うと、ルナはぱっと顔を上げた。


「本当ですか?」


「ああ。ただし、基礎練習も続ける。調子に乗って格上に突っ込むな。スキルの使い方も覚えろ。あと、地図」


「地図もですか」


「地図もだ。絶剣以前に、迷子になる剣士は話にならない」


「迷子にならない絶剣を目指します」


「目標が低い」


「でも、大事ですよね?」


「大事だな」


 認めると、ルナは満足げに頷いた。


 焚き火が、ぱちりと音を立てる。


 夜の谷は静かだった。


 けれど、その静けさの奥で、世界が少しずつ変わる準備をしている気がした。


 探求期まで、あと二日。


 俺たちはまだ、何者でもない。


 だが、何者でもないことが、今は少しだけ心地よかった。

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