楽しんだ者勝ちの精神
族長セレンに導かれ、神殿の奥深くへと進んだ俺たちがたどり着いたのは、度肝を抜かれるほど巨大な『大闘技場』だった。
「こ、これは……すっごく広いです!」
ルナが感嘆の声を上げる。
すり鉢状にくり抜かれた巨大な石造りの闘技場。その規模は、現実世界のドーム球場に匹敵している。
さらに驚くべきは、その観客席を埋め尽くす異様な熱気だった。
「おおおおおっ!! 久しぶりの余興だ!!」
「人間族の勇者よ! 我らが里の戦士たちに、古代の技を見せてみろ!!」
すり鉢の斜面に設けられた石のベンチには、数千、いや数万に及ぶ『砂耳族』のNPCたちがひしめき合っていた。
生成り色から青、緑に至るまで、様々なトガを纏った住人たちが、拳を突き上げて熱狂的な歓声を上げている。
普段は穏やかに農作業や商売をしている彼らだが、その瞳には明確な血の気と、闘争を求める獰猛な光が宿っていた。
「……なるほどな。地下に引きこもって鬱憤が溜まってるんだろうが、ここまで絵に描いたような戦闘狂の集団だとは恐れ入るぜ」
俺は前髪の隙間から観客席を睨みながら、右腕の《古代変形機装》をカチャリと鳴らした。
闘技場の最上段、特別にしつらえられた貴賓席のような場所から、深紅のトガを纏った族長セレンが、その妖艶な長身から響き渡る声で宣言する。
「よくぞこの闘技の場に立たれました、人間族の勇者よ。我々が対峙する『古代の悪意』は、並大抵の力で退けられるものではありません」
セレンは、スッと片手を高く掲げた。
「ゆえに、まずは『小手調べ』といたしましょう。我が里がかつての戦いで捕獲し、封印を施していた古代の獣を解き放ちます。その命、散らさぬようお気をつけて!」
セレンの手が振り下ろされると同時に、闘技場の対角線上にある巨大な鉄格子が、重々しい音を立てて上に引き上げられていった。
ズシン、ズシン、と。
大地を揺らすような足音が、暗闇の奥から近づいてくる。
「来ますよ、アイズドさん! きっとすごいモンスターです!」
ルナがショートソードを構え、興奮したように頬を紅潮させている。
俺もまた、どんな見たこともない固有モンスターが出てくるのかと、獰猛な笑みを浮かべて鉄格子の奥を睨みつけていた。
――だが。
暗闇から姿を現したその『モンスター』の姿をシステムが視覚野にレンダリングした瞬間。
俺の口元に浮かんでいた笑みは、ピシッと音を立てて凍りついた。
「……は?」
全長十メートルを超える、獅子と山羊と蛇を無造作に繋ぎ合わせたような醜悪な巨体。
その肉体の半分は、古代の金属装甲と青く光る魔力チューブ(機巧)によってサイボーグ化されている。
頭上に浮かぶ赤いカーソル。
名前は『古代合成獣』。
「いや、ちょっと待て。冗談だろ……」
俺の顔が、文字通り引きつった。
こいつを、俺は知っている。嫌というほど知っている。
たった数ヶ月前、俺たちトッププロのチームが最前線レイドダンジョンの攻略に挑んだ際、道中で立ち塞がった凶悪な【中ボス】そのものだったからだ。
「あ、アイズドさん? どうしたんですか、そんなに顔を青くして」
ルナが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくるが、俺はそれどころではなかった。
「……ルナ、聞け。あれはただの獣じゃない。現行パッチの最前線で、レベル百のトッププロが八人がかりで挑んで、それでも一瞬のミスで全滅するような『極悪ギミックの塊』だぞ!?」
俺は焦りを隠しきれない早口で、システム的な脅威をまくし立てた。
「開幕と同時に、回避不可の全体割合ダメージが来る。そこから三秒後にランダムな二名に追尾型の即死レーザーが放たれて、さらにその五秒後には、フィールドの四分の三を覆い尽くす即死級の熱線を吐いてくるんだ!」
プロの八人パーティであれば、タンクが防御バフを張り、ヒーラーが全体回復を差し込み、指定された散開位置にコンマ一秒の狂いもなく移動することで、なんとかその猛攻を凌ぎ切れる。
だが、今の俺たちはどうだ。
レベルはまだ一桁の初心者帯。ステータスは最低値。しかも、たったの【二人】しかいない。
「それを『小手調べ』だと!? いくらなんでも設定が狂いすぎてるだろ! このクソAIが!!」
俺が空の彼方にいるであろう管理者AI『アルファ』に向けて毒づいていると。
「わぁっ! かっこいいですね!」
隣で、完全に場違いな、きゃっきゃっという無邪気な歓声が上がった。
「なんだかとっても強そうですし、半分機械になってるなんて、ロマンがあります! アイズドさん、あんなすごい敵と戦えるなんて、燃えますね!」
ルナは恐怖するどころか、サファイアブルーの瞳をキラキラと輝かせ、ショートソードをブンブンと素振りしている。
「お前……! 話聞いてたか!? レベル百のプロが八人がかりで倒すバケモノだぞ!? 今の俺たちじゃ、かすっただけでもHPが消し飛ぶ! 絶対に勝てる計算が成り立たないんだよ!」
俺が思わず声を荒げると、ルナは素振りを止め、スッと真っ直ぐな視線を俺に向けた。
「アイズドさん」
彼女の表情から、無邪気な笑みが消える。
「さっき、言ってましたよね。……効率や、絶対勝てる計算だけのゲームなんて、ただのお仕事《作業》だって」
「……ッ」
「勝てるって分かってる敵を倒しても、それは『冒険』じゃありません。どうなるか分からない、一歩間違えたら死んじゃうかもしれないから……だから、ワクワクするんじゃないですか?」
ルナは、俺の胸のど真ん中を射抜くような、純粋で力強い笑みを浮かべた。
「冒険は、楽しんだ者勝ちです! アイズドさんの最強の武器と、私のフレーム回避があれば、絶対に勝てます!」
その言葉に、俺は雷に打たれたように立ち尽くした。
(……俺は、また計算《数字》に囚われていたのか)
レベル差。ステータス差。ギミックの理不尽さ。
プロとして生き残るために脳に染み付いた「絶対に勝てる盤石な土台がなければ戦ってはいけない」という呪縛。
それを、たった数時間前にゲームを始めたばかりの初心者の少女が、いとも簡単に笑い飛ばしてくれたのだ。
「……ははっ」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
それはすぐに、腹の底からの大きな笑い声に変わる。
「くくっ……あははははっ! 違いない! 全くもってその通りだ!」
俺は前髪を乱暴に掻き上げ、獲物を狙う肉食獣のような三白眼をキメラ・マキナへと向けた。
俺の中の『プロゲーマー・ジン』の残滓が、今度こそ完全に消え去り、純粋な狂人『アイズド』が完全に覚醒する。
「レベル百のレイドボスが小手調べ? 最高にイカれたクソゲーじゃねえか。やってやろうじゃねえか、限界突破の大番狂わせ(ジャイアントキリング)をよ!」
俺は右腕のガントレットを天に掲げ、高らかに叫んだ。
「行くぞルナ! 俺が三十のクラスを回して全部の攻撃を相殺してやる! お前は俺の死角から、あいつの機械の隙間に一撃をぶち込め!」
「はいっ! ついていきます、アイズドさん!」
『グルオオォォォォォォッ!!!』
咆哮を上げる古代合成獣に向けて、俺とルナは同時に大地を蹴った。
数万のフェネキアの民が熱狂する大闘技場の中央で、絶対に不可能とされる狂気の戦闘が、今、幕を開けた。




