【8】何か一つ、優れたものが
燃え滓邸と、それを囲う鉄柵の間の僅かなスペースを、灰色騎士達は庭と呼んでいるらしい。そこでテオは呪装顕現の訓練をしていた。
燃え滓邸一階にも訓練場はあるが、呪装顕現の力はまだ制御が難しく、勢い余って室内を傷つけてしまう可能性もある。なので、この訓練だけは外でしたかった。
テオは己の心臓の上に手のひらを押し当て、意識を集中する。
お前は何者か。どうありたいか。
「『呪装顕現──汝、騎士たれ』」
ドロリと心臓の中から黒い何かが溢れ出す。それを握りしめ、形を決めるイメージ。
右手に剣を、左手に盾を。足元には拍車付きのブーツ、そしてその身を覆うマント。
(顕現するまで、凡そ五秒。初めての時よりは、少し早くなったかな)
テオはその場で跳躍してみた。その気になれば、多分屋根の上にだって飛び乗れるが、そこは加減しておく。燃え滓邸を囲う鉄柵を軽々と越えたら、門番達が不安になるだろうと思ったのだ。
続いて素振り。非力なテオは普段、片手剣を長時間持ち上げていられないが、呪装顕現している間は軽々と振り回せる。盾も同様だ。これは、あまり良いことではないとテオは思っている。呪装顕現していない時でも片手剣と盾を扱えないと、充分な訓練ができないからだ。
(呪装顕現していられる時間は、凡そ一五分……か)
大体一五分が経ったところで、呪装顕現を解除。
初めて呪装顕現した時は、気絶するぐらい辛かったが、今は軽い疲労感で済んでいる。
ただ、呪装顕現の連続使用は無理だろう。次に使えるようになるまでの時間は、体調にもよるが凡そ数時間。
(これとは別に、意図して忘却の力を使うと、更に消耗する)
テオの忘却の力は無意識に垂れ流されるものと、任意で特定のものを忘却させる力に大別される。
前者は、普段からテオが気にしている影の薄さ──つまりは「一般人に存在を忘れられてしまう」呪いだ。これは無意識に垂れ流されているらしく、テオが消耗することはない。
後者は、例えば呪魔相手に、自分が何者かを忘れさせて戦意を殺ぐ、いわゆる〈忘我〉の呪いなどだ。他にも、人間の特定の記憶を消去する〈指定忘却〉がある。
これは、早朝訓練に参加している軍人に頼み、一度だけ試させてもらったのだが、非常にデメリットが大きく……。
(できれば、〈指定忘却〉は使いたくない……)
早朝訓練に参加している軍人にベリルが頼み、ベリル立ち合いのもとで使った〈指定忘却〉。
今朝の朝食を忘れさせる、という簡単な実験は成功した。成功したが、反動もあった。
「めぁー」
草の上を転がっていたレニーが平和に鳴いた。テオは地面にしゃがみ、レニーを指で突つく。
「レニーが顕現できたのは、最初だけかぁ」
初めての呪装顕現の時、レニーはテオの中から現れた。
ならば同じ理屈で、二代目、三代目のレニーが顕現できるのではないかと試してみたが、一度も成功していない。なお、その間も初代レニーは地面をコロコロしていた。
「めふぅ」
「うん、一度部屋に戻ろうか。少し休憩したら、読書をしよう」
テオは最低でも一日一時間は読書の時間を設けている。
テオは読書が好きだ。単純に物語の世界に浸るのも好きだし、文字を通して知識を蓄える作業も、達成感と充実感があって良い。
娯楽室にある本は、実に様々だ。料理のレシピ本や旅行記、古い詩や、歴史について語った本、教典の解釈本など。中にはちょっとテオには刺激の強い小説もある。
今日は小説の気分だったので、騎士物語を一冊借りて、部屋に戻る。
寝室の大部屋では、相変わらずヒューゴがベッドでゴロゴロしていた。テオは、ヒューゴが訓練や勉強をしている姿を一度も見たことがない。
レニーは小さい毛玉だからコロコロしてても許されるが、自分より年上の少年がゴロゴロしているのは流石にどうかと思う。
「ヒューゴ、明日から一緒に訓練しないか?」
テオが声をかけると、ベッドに寝そべっていたヒューゴがノロノロと起き上がる。その目がジトリとテオを見た。
「お前さぁ……なにをそんなに張り切っちゃってんの?」
ヒューゴの声は明らかに苛立っている。ただ、その苛立ちはテオに対する苛立ちとは違うように感じた。
もっと別の鬱屈した何かに対する苛立ちを、テオで晴らそうとしている──そう感じたので、テオは恥じることなく自分の考えを口にした。
「張り切ることの何がいけないんだ?」
ヒューゴのこめかみがピクッと引きつる。テオの反論が気に入らなかったらしい。
「……ベリルさんに聞いたんだけどさぁ、お前、呪装顕現で強化も顕現もそこそこできるんだろ? 強化で身体能力上がんなら、訓練する必要ねぇじゃん」
「僕の実力は『それだけ頑張ったら、その程度はできるだろう』というぐらいでしかないんだ。飛び抜けて優れたものがあるわけじゃない」
テオの剣術が未熟なせいで、呪装顕現の強みを完全には引き出しきれていない、というのは訓練をしていて感じたことだ。
テオは凡人だ。アレンの剣技のような圧倒的な才能はない。
(アレンは加護を二つ持ってるから強いんだと思ってたけど……今なら分かる。アレンの剣の才能は、加護とは無縁のものだ)
テオの兄貴分でもあるアレンは慇懃無礼な食いしんぼうだが、ひとたび剣を握ると、その才能の差に圧倒される。
神様が与える剣才を、一滴も漏らさず受け止めるための器なんじゃないか──そう思うぐらい、指先から爪先まで全てが完璧な剣を振るうために機能する。それがアレン・ローレンスだ。
テオは、継続的な努力を続けられる自分の在り方を誇りに思っている。
それでも、アレンの圧倒的な才能が羨ましくないと言ったら嘘になる。
「……僕に、何か一つでも優れたものがあれば良かったのに」
その時、突然服の胸ぐらを掴まれた。ヒューゴだ。
「は、あ、あぁ〜? お前、なに舐めてんの?」
ヒューゴはいつも、テオを小馬鹿にしたような態度を取る。そうやって、自分の方が立場が上だと主張するみたいに。
だが今のヒューゴからは、小馬鹿にするのとは違う、本気の苛立ちを感じた。
「お前さぁ、今よりちょっと頑張れば、『何か一つ』が手に入るとか思ってるわけ? 何か一つ優れたものを持ってる奴は、他のことを諦めて我慢して、『何か一つ』に時間費やしてんだよ」
その言葉に、血を吐くような切実さを感じた。
ヒューゴの捻くれた性格の奥にあるものに触れたような気がして、テオはヒューゴの顔をまじまじと見る。
途端にヒューゴはバツが悪そうな顔でテオを突き飛ばし、距離をとった。
「……そういう奴は、その『何か一つ』が潰れたら、全部おしまいなんだよ。誰からも見向きもされねぇ。生きる価値もねぇ」
その言葉は、ヒューゴが自身にナイフを突き立てているみたいに聞こえた。
自傷行為じみた悪態をついたヒューゴは、口の端を持ち上げ笑う。どこか卑屈さの滲む、嫌な笑い方で。
「聞いたぜ。お前の呪い、忘却なんだって?」
テオの忘却の呪いのことは、JJかベリルにでも聞いたのだろう。
テオが「……あぁ」と短く相槌を打つと、ヒューゴはハッと喉を震わせた。
「お前は良いよな、忘却の呪いで。悪さしても忘れてもらえるし、便利じゃん」
「…………は?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
頭がゆっくりと言葉を咀嚼する。咀嚼しても咀嚼しても噛み砕けないザラつきが、テオの胸に落ちていく。
(良いよな、だって? 忘却の呪いが? 悪さをしても忘れてもらえる? 便利?)
どう感情を発露して良いか分からず、テオは無表情のまま唇を動かした。
「良いものか……」
こんな呪いの、どこが良いのだ。まして、「悪さをしても忘れてもらえる」だなんて、浅慮にも程がある。
この呪いのせいで、テオはウォルグの街の人達に名前を覚えてもらえなかった。親しくしていた人も、オリビアも、テオのことを忘れてしまった。
悪さをして忘れられるより、善いことをして覚えてもらいたいのに。テオは、それだけを願って頑張ってきたのに。
ザラついた感情を飲み込めないまま、テオは口を開く。
自分でも信じられないぐらい、冷たい声が出た。
「ヒューゴは、人から忘れられたいほどの悪さでもしたのか?」
ヒューゴの顔が歪んだ。まるで図星と言わんばかりに。
これは良くない、とテオは思った。
ヒューゴがテオの心の柔らかいところを踏み躙ったように、多分テオも、同じことをしたのだ。
(このままだと、互いを傷つけるためだけに言葉を尖らせる、不毛な口論になる)
頭のどこかでそう分かっているのに、ヒューゴへの苛立ちが収まらない。
お前に僕の何が分かるんだ。僕の絶望を思い知ればいい。世界から忘れられてひとりぼっちになってしまえ、と苛立つ心が叫んでいる。
「……あ、の」
か細い声は扉の方から聞こえた。ワンテンポ遅れて、「めう」とレニーが鳴く。
扉を少し開けてこちらを見ているのは、仮面をした白髪の少女──カルラだ。
「アーチボルド管理官が、二人を呼んでる……司令室」
テオはヒューゴへの悪態を呑み込み、カルラに「今行くよ」と声をかける。ヒューゴも舌打ちをしただけで、それ以上は何も言わない。
正直、助かった、と思った。
* * *
司令室では、執務机の前に紙袋を被った男JJが座り、その横に管理官のアーチボルドが控えている。
司令室に呼び出されたのは、テオ、ヒューゴ、そしてカルラの三人だ。留守にしている者を除いたら、灰色騎士の中でも若手の三人ではないだろうか。
テオは背筋を伸ばして姿勢を正したが、ヒューゴはポケットに手を突っ込んで背中を丸めているし、カルラも自然体で佇んでいる。
そんなバラバラの三人にアーチボルドは何か言いたそうな顔をしたが、それより早くJJが話を切り出した。
「首都より南西にある、レジルナという村で呪魔の目撃情報があった。推定二等級。聖騎士五名が調査に向かうので、それに同行し、調査の手伝いをしてもらいたい」
中央部で呪魔が出るのは、少し珍しい。
呪魔は基本的に西側から〈忘却の海〉を渡って攻めてくるので、目撃情報は中央西地方や南西地方といった西部に集中しやすいのだ。
ただ、西側から入り込んだ呪魔が、中央部まで侵入してくることも皆無ではない。
今回目撃情報があったのは、比較的小型の呪魔らしい。なら、人の目を盗んでこちらまでやってきたのだろう。
アーチボルドが詳細や出発時刻を記した紙を読み上げ、最後にジロリとテオ達を睨む。
「なお、任務内容はあくまで聖騎士の補佐だ。現場では聖騎士達の指示に従うように」
「はい!」
返事をしたのはテオだけだった。




